ターボババア
今回より新章ターボババア編の開始です。
晴天下の国道を一台の車が快調に飛ばしていた。窓から流れていく海の景色は実に爽快だ。カーブが続く一車線の道路であり、本来ならば慎重な運転が求められる。だが、よほど運転技術に自信があるのか、高速道路かと錯覚しそうな速度が出されていた。
「ねえヒロキ、飛ばしすぎじゃない」
「心配性だな、ミキは。このくらい平気だって」
ヒロキと呼ばれた青年は口笛を吹きつつハンドルを握る。軽口を叩くだけあり、ハンドル捌きは確かであった。危なげなくコースを走り抜けていき、このまま何事もなければ問題なく目的地に到着するだろう。懸念点は速度違反を取り締まる警察官だが、その時はその時だ。
ふと、サイドミラーに妙な影が映り込んだ。野生動物だろうか。山間部ならまだしも、海沿いの国道でニアミスするなど考えにくい。疑心を抱きつつもアクセルを踏み込む。
「ねえ、ちょっと、あれ」
ミキが慄きつつミラーを指差す。せっかく調子が出てきたのに、水を差すようなことをするな。そんな文句をぶつけたくなりつつも、ヒロキもミラーを確認する。
そうしてハッと息を呑んだ。明らかに異様な「者」が並走していたのだ。
血走った眼でこちらを睨みつけ、ぼさぼさの髪は更に乱れている。上半身は豪奢なドレスであったが、下半身は車いすと一体化していた。
人によってはそいつを魔法少女と呼称するだろう。車と並列して走ることができるなど人間業ではない。可能であるとするなら、そいつは妖怪変化の類とでも呼ぼうか。
しかし、ヒロキは別の感想を抱いていた。
「ターボババア」
そう発した口が塞がらない。全身が震え、ハンドルに汗がにじむ。走行を続けていられるのが奇跡なぐらいだ。無意識に脱線を避けてはいるが、いつまでもつか分からない。
「違う」
謎の少女は一言呟いたのち、ミラーから消えた。隣に座っているミキは涙目になりながら椅子に背を預けていた。彼女が異様に憔悴しているのは無理もない。先ほどまで執拗に少女がのぞき込んできたからだ。彼女が安堵しているのに合わせ、ヒロキも呼吸を整える。疲れて幻でも見たのか。なんにせよ、もうしばらくで道の駅に到着するはずだ。そこで休憩をとろう。自分に言い聞かせ、再度アクセルを踏む。
「違う! どこにいる!」
今度という今度は勢いよく悲鳴をあげた。つい数十秒前まで並走していた地点とは真逆。運転席側のドアミラーに少女が映っていたのだ。
人間と変わらない体格であれば側道を走り抜けること自体は可能だ。だが、一旦速度を緩めたのち、車線変更して一気に追いついてきたというのか。そうであるとするなら、瞬間的にも百キロメートルを超えるスピードを出さないと無理な所業だ。それこそ、単なる人間ではありえない。
「どこにいる! ハラダタクミ!」
人間では決してなしえない速度でピタリと付いてきている。それだけでも脅威であるが、ヒロキは別の意味で驚愕していた。
「なんで。なんでタクミのことを知っているんだよ」
それは偶然の産物といえた。よもや、こんな局面で友人の名を耳にすることになろうとは。だが、それがいけなかった。冷静に考えればありうべからず事態に、ヒロキの混乱は加速してしまうのだった。
恐怖にかられ、更にアクセルを踏み込む。時速は百二十キロをゆうに超え、高速道路でさえ危険を感じるほどになっていた。
だが、そんな速度で走るには道路状況が悪すぎた。しまったと思った時にはもう遅い。減速が間に合わないまま、車は大きなカーブへと突入していく。当然のことながら、素人が時速百キロオーバーで急カーブを曲がれるはずもない。ましてや、規格外の存在につきまとわれているとしたら、プロであっても不可能だろう。
車はガードレールを突き破り、崖の下へと転落していく。絶壁に車体を何度もぶつけつつ火花を散らす。そして、爆音とともに海の底へ沈んでいった。
「ハラダタクミ! ハラダタクミ!」
謎のつぶやきを残し、少女は全速力で離脱する。その後を追えるものはいなかった。突然の大事故に後続の車は次々に停止。「警察を呼べ」「まずは救急車だ」などの騒動に発展した。
大惨事となった現場を尻目に、少女は超高速で国道を走り抜ける。
「どこだ、どこにいる!」
鬼気迫る表情で声音はくぐもっていた。一瞬とはいえ、その異様な姿を目撃した人々は口をそろえてこう報告する。
「ターボババアが出現した」




