ベルとテミス
月明かりが空を支配しようとしている頃、少女が一人、片腕を庇いながら通りをふらついていた。周囲を異様に警戒し、足取りは重い。切断された肩に夜風が染みる。飼い犬に吠えられたが、一瞥するや情けない声を出して退散していった。
彼女にとって初めて味わう屈辱だった。よもや、こんな決断をする羽目になるとは。あの時、戦闘を続行していたら確実に殺されていた。そんな判断のもと、全力を込めた行動は「その場からの離脱」だった。端的に言えば、敗北を認めたのである。
「刹那にマシュとか言ったかぁ。このあたいが負けるだぁ? ありえねぇ! 絶対にありえねぇ」
ゴミ箱にやつあたりをする。真っ二つに粉砕され、一面に生ごみが散乱した。不快な臭いが鼻をつく。勢いよくごみを踏みつけ憂さを晴らす。
その少女、デッドリーパーは大いに荒れていた。戦いにあけくれようとも、片腕を失ってしまってはまともに攻撃できない。それ以前に、胸に受けた傷が問題だった。命に別条がないことは自覚している。それでも、治療に集中しないと激痛に襲われてしまう。
央間市からは全力で走り抜けてきた。だから、追手であるMSBの連中は容易には発見できないだろう。手負いでも人間数人ぐらいはあしらえる自負はある。それでも、第三者にビクビクしながら過ごすなど、舌打ちしたくなるほどもどかしい。
どこからともなく鐘の音が響く。お遍路参りならともかく、町中で聞こえるのは不自然だ。足をとめ、耳をすませる。自然と腕の傷口を強く握りしめていた。
「Ring a bell」
歌うような透き通った女性の声だ。足音とともに鐘が鳴らされる。デッドリーパーは必死で周囲をうかがう。
姿を現したのは二人組の女性だった。鐘を鳴らしていた少女は修道女のような白いローブを身に着けていた。聖母という言葉がしっくり当てはまる柔和な雰囲気を醸し出している。
もう一人は古代ギリシャの戦士のような急所を覆うだけの露出の多い衣装をしていた。中世的な顔立ちの短髪で、一見ではどちらの性別かは分からない。修道女が鳴らす鐘に合わせ、錫杖で地面を突いていた。
「悩める子羊よ。悩みがあるのではありませんか」
「なんだてめぇは」
デッドリーパーはガンを飛ばす。常人であれば及び腰になること間違いなしだ。だが、修道女は人の好さそうな笑顔を崩すことはなかった。
「貴様、ベル様に対して口の利き方がなっていないぞ。聞きしに及ぶ魔法少女のようだが、礼儀はまるでダメのようだな」
「テミス。初対面の相手に文句を言うものではありません。あなたの方が無礼ですよ」
「失礼いたしました、ベル様」
錫杖を振り上げて威嚇するオリンポス戦士風の少女だったが、修道女に窘められ、うやうやしく頭を下げる。とりあえず分かったのは両者の上下関係ぐらいだ。デッドリーパーは警戒を強め、両足を肩幅に開く。
「そうそう、自己紹介でしたね。わたくしはウェディング・ベル。俗世の言い方ですと祝福の魔法少女ベルといったところでしょうか。呼び方はあなた様の好きに任せます」
「そして我はベル様に忠誠を誓いし者。粛清の魔法少女テミスだ」
「魔法少女かぁ。だったら用はねぇなぁ」
「あなたにとってはそうかもしれませんね。しかし、わたくしたちはあなた様にお話があるのです」
「鬱陶しいなぁ、ぶっ殺すぞ」
「貴様、馴れ馴れしいと言っているだろ」
その言葉の数秒後にはデッドリーパーの喉元に錫杖が突きつけられていた。速い。速すぎる。デッドリーパーは瞠目して息を詰まらせる。
相手の攻撃に対して反応が遅れた。その事実はデッドリーパーに衝撃を与えるに十分だった。仮に本気で殺しに来ていたら首をはねられていただろう。
「テミス、およしなさいと言っているでしょう。おしおきが必要ですか?」
「申し訳ありません、ベル様。おしおきを頂けるのであれば本望。このテミス、ギロチンでもアイアンメイデンでもどこへでも参りましょう」
「ならば少しお黙りなさい」
「御意」
おとなしくベルの後方へと引っ込むテミス。にっこりとほほ笑むベルだが、デッドリーパーの戦慄が解消されることはなかった。
「それで、あたいに話って、どういうことだぁ」
「単刀直入に言いましょう。わたくし共の仲間になるつもりはありませんか」
「断る」
「貴様!」
即答するとテミスが吠えかかる。ベルはさっと右腕を広げて制止させた。
「あなた様ならば了承してくれると思いましたが」
「あたいは群れるつもりはねぇ。刹那とかマシュとかいう奴らは友達がどうとか言っていたが、そんなもんで強くなるとは思えねぇしなぁ」
「それは違いますよ、デッドリーパー様」
いぶかしむデッドリーパーにベルは諭すように語り掛ける。
「あなた様がここまでの傷を負った理由。それは足りないものがあったからです。そのことを自覚することで更なる高みを目指せるでしょう。そして、わたくしたちであれば、あなた様に欠けているものを提供することができます。悪い提案ではないと思いますが」
「どうだかなぁ」
デッドリーパーはぶっきらぼうに言い放つ。すると、ベルは懐から鐘を取り出してチリンと鳴らす。
「Ring a bell。あなたに祝福を捧げましょう。あなた様がわたくしたちを信用できないのは、わたくしたちの力を見定めていないから。違いますか」
図星だったデッドリーパーは二の句が告げなくなる。口調に勢いを増したベルはもろ手を広げてたたみかける。
「ならば、あなた様の傷をいやして差し上げましょう」
その提案は寝耳に水であった。確かに、同じ魔法少女同士であれば治療はできるかもしれない。
正直のところ、二つ返事で了承しそうだった。しかし、なおも思いとどまる。デッドリーパーの本能ともいうべきものが警鐘を鳴らしているのだ。
一歩たりとも動けずにいるデッドリーパーにベルはゆっくりと歩み寄る。その緩慢な動きは裁量一つで容易に葬り去ることも可能なほどだった。だが、なおも動けない。もはや、金縛りにでもかかったかのようだった。
ベルは優しくデッドリーパーの手をとると、手のひらにあるものを握らせた。ポーションに入っていたのは透明な液体だった。
無味無臭の天然水。最初に抱いた印象がそれであった。だが、仰々しくそんなものを握らせるであろうか。デッドリーパーの疑念を察したか、ベルは再度鐘を鳴らした。
「Ring a bell。それはわたくしが開発した聖水です。深く考えずに飲み薬と思ってください」
「こんなもんで傷を治せるのかねぇ」
「疑うのも尤も。使うも、使わざるもあなた次第です」
あまりにも胡散臭い代物だが、そうとしか思えなくなるほどの圧だった。デッドリーパーは固唾をのんでポーションを外套の内にしまった。
「とりあえずもらっておいてやる。だが、一つ聞かせろ。どうしてあたいに肩入れする。てめぇらとは特に面識がねぇはずだろ。あたいを助けたところでメリットはねぇ」
「随分と理知的な判断をなさいますね。確かに、あなた様とは初対面です。しかし、噂は存じておりますよ。人間を殲滅しようとする最強の魔法少女、と。その噂通りであれば、わたくしとは目的が同じはずです」
「てめぇの目的だと」
「そう。わたくしの目的もまた人類を殲滅することです」
その言葉はデッドリーパーをしても戦慄させるほどだった。清廉そうな瞳に吸い込まれそうになるが、強引に外套を被って回避する。
無言のままデッドリーパーは塀の上に飛び乗る。そして、無言のまま逃げるように去っていった。
「最後まで無礼なやつだったな。ベル様、始末しなくてよかったのですか。あの手の輩は放置すると何をするかわかりませんよ」
「いいえ、テミス。あの方はきっとわたくしたちの力になってくれるでしょう。わたくしたちと目指す場所は同じ。きっと手を取り合えるはずですわ」
「そういうタマではないと思いますが」
呆れるテミスだったが、ベルは羨望の眼差しで両手を組む。しばらくそうしていたが、ふと俯くと息を深く吐いた。
「わたくしたちが問題にしなくてはならないのは、むしろMSBなる人間です。特に、あの刹那という人間。野放しにしていては厄介な障壁となるでしょう」
穏やかな口調であるのは変わりない。だが、そばにいたテミスは内心戦慄していた。気を抜くと錫杖を落としてしまいそうであった。
猫の子一匹いない街路に鐘の音と杖を突く音が点々と続いていく。その行き着く先はどこか。それぞれの道が交わる日は近い。




