死神来りて首が舞う
それは帳が下り、三日月の月光が街を照らす頃のことだった。眠りに就こうとする者がいる一方で、仕事の憂さを晴らすかのように騒ぎ立てる者もいる。繁華街から外れた路地を千鳥足で歩く一派はまさに後者であった。
今時珍しい、典型的な酔っ払いだった。顔は赤く蒸気しており、スーツはだらしなく着崩されている。あっちへふらふら、こっちへふらふらと、ぶつからないのが奇跡なぐらいの見事な千鳥足を披露していた。
「うぃー。おい、もう一軒いくぞぉ」
「部長、もうすぐ終電ですよぉ」
「かまうもんかぁ。今日は花金だぞぉ」
部長と呼ばれた男はネクタイを振り回し、上機嫌で闊歩する。この調子だと終電までに駅にたどり着けるか怪しいところではあるが、彼らにそんな心配は無用であろう。
そもそも、きちんと駅の方角に向かっているかすら怪しい。蛇行しながらも、どんどんと人通りの少ない路地へと迷い込んでいるのだ。素面であれば、異様なまでの静けさに足がすくんでいたであろう。だが、酒の力で高揚している彼らには関係のないことであった。
ふと、部下と思われる男性の肩が通りがかりの人物の肩とぶつかった。
「おい、気をつけろよ」
舌打ちをして怒鳴りつける。だが、反応はない。気弱そうな外見とは裏腹に、琴線に触れたのか一気にまくしたてる。
「おい、てめぇ! ぶつかっといて謝らなねぇのかよ! あぁ?」
常人ならば萎縮してもおかしくない勢いだった。しかし、反応はない。
この場合、考えられる可能性は二つだ。恐れをなして言葉を告げられずにいるか。あるいは、恫喝されても平生を保っていられる胆力があるか。
客観視すれば前者の可能性のほうが高かった。ぶつかった相手は外套で全身を隠しているものの、体格は華奢な少女のようであった。酔っぱらいの成人男性三人に絡まれて一般的にどんな反応をするか。それは特筆する必要性もなかろう。
加えて、酔っ払いたちは自分の都合のいいように解釈していた。日頃のうっ憤を晴らすかのように、少女に言い寄る。
「おい、何か言ってみたらどうだぁ」
「やめときましょうよぉ。ビビってるじゃないですかぁ」
形式だけで静止を促すが、半分笑っていた。酒臭い息が直接かかっていても、少女は黙り込んだままだ。
この時点で酔っ払いたちは気づくべきだった。そもそも、終電も近い時間帯に少女が一人で出歩いていることがいかにも不自然であると。他にも不可解な点は枚挙に暇はないが、逐一指摘する時間もなさそうだった。
なにせ、少女がいきなり酔っ払い男の手首を掴んだからだ。
酔っぱらいは顔をしかめる。自分の半分も生きていない少女にいきなり接触を図られたのだ。衝動的に拳を振り上げる。
しかし、その手ははたと止まった。握られている手首に、万力で締められているかのような異常な圧がかかっている。声にならない悲鳴をあげる。そのまま掴まれていては骨が粉砕されそうであった。
やっとのことで解放され、男はしりもちをつく。別の酔っぱらいが「てめぇ」と言いながら因縁をつけようとする。だが、中途半端に詰め寄って、はたと足を止めた。なぜなら、フードが外され、少女の顔が露わになったからだ。
「おい、嘘だろ」
その顔は酩酊していても即座に素面に戻るほど衝撃的であった。現代に生きている人々でそいつを知らない者は皆無であろう。なぜなら、地上に存在する生物で最も脅威と言っても過言ではないからだ。
凶悪そうなツリ目に、鋭い犬歯。黒い長髪を揺らし、サディスティックに微笑んでいる。そして、いつの間に出現させたのであろうか。右手には巨大な鎌が握られていた。
「よぉ、人間。好き勝手にやってくれてんじゃぁねぇかぁ」
独特の低い声ですごまれ、酔っぱらいは後ずさる。例え泥酔していたとしても、本能的に歯向かってはならないと警鐘を鳴らしているのだ。
唇を震わせ、まともな言葉を発せられずにいる。そんな酔っぱらいへと鎌が一閃された。
「は?」
思わず間抜けな声が出てしまう。さもありなん。眼下に生首が転がっていたからだ。
先ほどまで「それ」と繋がっていたはずの胴体はゆっくりと倒れ伏す。切り口からはどくどくと血が垂れ流されていた。
酔っぱらいたちは硬直していた。つい数秒前まで自分たちと同じようにバカ騒ぎしていたはずの同胞が見るも無残な姿に変わり果てたのだ。
そして、大鎌から鮮血がしたたり落ちている。そいつを少女は素知らぬ顔をしながら舌で舐め受けていた。
「おっと、いけねぇなぁ。人間は脆いんだったぁ。気を付けないと、すぐに死んじまぅ」
鎌で空を裂き、つかつかと歩み寄ってくる。地面に尻をついた男はそのまま動けずにいた。それどころか、股間の辺りから生温かい液体がにじみ出てくる。早く逃げなくては。脳内では必死に警鐘を鳴らしているものの、筋肉が一向に応じてくれない。汗やら涙やらどうでもいい液体ばかりが流出するばかりだ。
「お、俺たちを、どうするつもりだ」
ようやく声を絞り出せた。すると、少女は不思議そうに首をかしげる。
「殺すんだよぉ。決まってるだろぉ」
「か、か、絡んだのは悪かった。謝る、謝るから。でも、殺すことは、ないだろ」
必死の思いで抗議する。しかし、少女は馬の耳に念仏だと主張するかのように、指で耳の穴をほじくるのだった。
「命乞いたぁ、面白いことをするぅ。けれど、ダメだなぁ。なぜなら、人間は皆殺しって決めてるからよぉ」
「な、なぜだ」
「説明してやる義理はねぇよ」
空を切り裂く鋭い音が響く。途端、失禁していた男の右腕がごとりと転がった。全身に走る激痛。「うるせぇ」と一喝するとともに、今度は左足が転がる。
「大雑把にやりすぎると、あとがつまらねぇからなぁ。じっくりいたぶってやんよぉ」
趣向替えとでも言いたげに、木材をのこぎりで切るかのように、ゆっくりと腕に刃を入れていく。その動作はあまりにも悠長であった。歴戦の猛者が相手ならば反撃を受けてもおかしくはない。相手から反撃される可能性は皆無。そう判断したが故の「料理」のようなものであった。
ただ一つ計算違いがあったとするならば、奇跡的に五体満足でいる残りの一人を無視してしまったことであろう。がむしゃらに反撃してくるのならば、むしろ問題はなかった。だが、惨劇を前にして常識的と思われる行動を起こされたことで、少女にとっては不都合が生じた。
恐怖の呪縛から解放された男は、脇目も振らず一直線に逃げ出したのだ。足がもたついており、少女がその気になれば楽に追いつくことができる。それでも取り逃がしてしまったのは、ひとえに享楽を甘受しすぎていたからだ。
「仕方ねぇなぁ」とつぶやき、舌打ちをする。別に逃げられたところで彼女にとって支障はない。どのみち、人間はすべて手にかけるつもりなのだ。その順番が前後しただけの話である。
それよりも、つまらないことにかかりきりになり、目の前のお楽しみを潰すことの方が問題だった。腕が体から分離してもなお、しぶとく心臓は脈打っている。出血多量で意識が朦朧としているのか、受け答える様子もない。
地面に唾を吐き捨てると、少女は勢いよく鎌を振るった。残されていた四肢が分離し、完全なだるま状態と化してしまう。何事かを主張せんと唇が震えていたが、事切れるのも時間の問題だろう。勢いよく胸に蹴りをかますと、少女は三人目の男が走り去った方角に歩みを進めた。
とはいえ、追いつこうという意思は毛頭ない。牛歩で闇夜を闊歩していく。
「そういやぁ、この町も久しぶりだなぁ。また暴れ回ってみるかなぁ」
それは、明日の夕飯はどうしようかという程度の他愛ない独り言ちだった。だが、人類にとってはのっぴきならぬ宣戦布告であった。
再び外套で全身を覆い、闇へとまぎれる。その意匠は万人を通じてこう言わしめるだろう。「死神だ」と。それも無理からぬことであった。彼女の通称は死神の魔法少女デッドリーパー。かつて、人々の常識すら変えた存在が、再び凶刃を振るわんとしていた。




