MS細胞と仇敵
タオルで体を拭い、上下ジャージという機能性の極みの服装に着替える。廊下で友人たちと談笑している隊員とすれ違ったが、露骨に無視をされた。いつものことなので、さしたる問題はない。こそこそと陰口を言われていた気もするが、素知らぬふりで歩き続ける。
そういえば、西代長官から呼び出しを受けていたな。そんなことを思い出しつつ、刹那は指令室へと赴く。
指令室には整然と机が並べられており、スーツ姿の様々な年齢層の隊員たちが一心不乱にパソコンのキーを叩いていた。ここで全国各地の魔法少女の情報を集めたり、過去の戦闘データを分析したりしているのである。
その中央の机に眼鏡をかけた男性が指を組んで鎮座していた。年のころは三十代後半であろうか。厳格そうな顔つきと無精ひげでそれ以上の年齢の貫禄がある。
刹那が敬礼をすると、その男、西代長官は楽にするように促した。年頃の女子高生であれば及び腰になってもおかしくない相手ではあるが、刹那に臆した様子はない。
「まずは任務ごくろうと言っておこう。して、ここに呼ばれた訳は分かっているな」
「いつものお説教でしょう」
「分かっているなら、なぜ是正しない」
「別にここに仲良しごっこをしに来たわけではありません。それに、きちんと成果は出しています」
取り付く島もない態度に、西代長官は頭を抱える。堂々と言ってのけるものだから、余計にたちが悪い。
「前にも言っているが、君たちMSB隊員は魔法少女に対する切り札。人類の希望と言ってもいい。いたずらに戦力を消費するわけにはいかんのだ」
「魔法少女に対抗できうるMS細胞が私たちにしか適合しない、でしたっけ」
MS細胞。突如出現した魔法少女を討伐できる人材を生み出すために急ピッチで開発された特殊細胞である。その効力は身体能力を異常ともいえるレベルで向上させること。常人以上の身体能力や特殊能力を有する魔法少女であるが、彼女らに匹敵する力を得られる。
ただ、誰しも恩恵を得られるわけではなく、なぜか十代の女性にしか効力を発揮しなかった。仕方なく、全国から有志の少女たちを募り、組織されたのがMSBというわけである。
「確かに君の力は圧倒的だ。例えば、君が属するA班の隊長である永藤桜。彼女の身体能力の高さは言うまでも無く、戦闘における状況判断力やリーダーシップは一兵卒を凌駕する。だが、そんな彼女も君の前では稚児に等しいだろう。実際、お上は君の力を高く評価している。近距離戦の方が得意だというから、特製武器の倶利伽羅丸を与えたのが何よりの証拠だ」
西代長官は刹那が帯刀している日本刀に目を向ける。MSB隊員の標準装備は殺傷能力を極限まで高めたライフル銃である。機動隊員でさえ反動でまともに扱えないというとんでもない代物だ。
それを作成する技術を流用してオーダーメイドされたのが倶利伽羅丸である。使おうと思えば刹那以外の者でも扱えるのだが、そもそも魔法少女に近距離戦を挑もうという酔狂者はいない。
「しかし、いくら身体能力が優れているとはいえ、実戦に関しては素人の域を出ない。今までは能力差で勝てていたかもしれんが、これから先通用すると思うな」
「そのくらい肝に銘じています。特に、あいつに対しては一筋縄ではいかないことも」
「君が魔法少女を憎んでいることは重々承知しているつもりだ。だが、他の者たちも同じく仇敵だと思って挑んでいる。自分だけが特別だと、おい、どこにいく」
言い足り無さそうだったが、強引に遮るように刹那は指令室を退室しようとする。
「これ以上無益な話を聞いていても時間の無駄だと判断しただけです。貴重な休息の時間が削られますし。前におっしゃいましたよね。休息も重要な任務だと」
西代長官は反論しようとしたが、言葉が口をつく前に、刹那は影も形もなくなってしまっていた。暴れ馬は今日も手綱を握らせてくれないらしい。そんな長官の心労を察し、他の隊員は黙々と業務にあたるのであった。
MSBの隊員には専用の寮が用意されており、そこで合宿生活を送っている。一人一人に個室が与えられており、最低限の家具も揃っている。おまけに家賃や光熱費がかからないと、破格の待遇といえよう。尤も、魔法少女から人類を守るという任務の対価だと考えれば、当然かもしれないが。
年頃の女子らしく内装を拘る者もいる中、刹那の部屋は入室した直後とほぼ変わりない。上京したてのサラリーマンの部屋と言われても違和感がないぐらいだ。
最低限の家具しかない殺風景な室内で刹那はベッドに寝転がる。ふと指先がフォトフレームに触れた。上半身を起こし、両手でそれを掲げる。
飾られていたのは家族写真だ。両親と思われる男女と姉妹であろう二人の少女が写っている。少女のうちの一人は刹那にそっくりだった。ただ、実年齢よりも幼く見える。さもありなん。これは数年前の刹那の一家の写真である。
本来であればこの四人で今も幸せに暮らしているはずであった。だが、それは叶わぬ望みとなってしまった。なぜなら、刹那以外の三人にとってはこれが遺影のようなものだからだ。
すべてはあの日。一人の魔法少女が起こした国内史上最悪の殺傷事件によって刹那のすべては破壊された。あれから長き時を経ているはずだが、度々惨状を夢に見てしまう。
刹那は奥歯を噛みしめると、フォトフレームをそっと台の上に置いた。
「待ってなさい。貴様だけはこの私の手で葬り去ってやる」
仇敵への復讐を誓い、刹那は毛布にくるまるのであった。




