情報屋純子
マシュとお茶会をしたその夜。刹那は隊員寮の一室を訪れていた。三階建ての比較的新しい建物の一階の最奥にあるそこは、幾分歴史を感じさせる雰囲気を醸し出している。
扉の前に立つと埃の臭いが鼻をつく。コンビニの商品が入っているビニール袋を持ち上げつつ、扉をノックした。
「合言葉は?」
「サレイシ、キモッタテ」
「入れ」
ガチャリと鍵が開く音がする。引き戸を開くと、更に埃の臭いが強まった。
日暮れ時ではあるが、それとは関係なさそうに室内は薄暗い。刹那の自室と間取りは同じはずだが、大量に積み重ねられた本や、フィギュアを中心としたアニメグッズのせいでやたらと狭苦しい。
片隅で一心不乱にキーボードを叩いていた少女は刹那の存在を認めるや、丸縁眼鏡を直した。栗色の髪を無造作に伸ばしており、柳のように華奢な体格だ。そういう趣味なのかは不明だが白衣を着用しており、腰から下はブランケットで覆われていた。
「久しぶりだね、刹那。例の物はきちんと持ってきているかい」
「久しぶりというか、三日ぐらい前に会ってなかったっけ、純子。はい、いつもの」
刹那がしぶしぶビニール袋を手渡すと、純子は喜々として中身を漁る。カップヌードルにポテトチップス、コーラとジャンクフードのオンパレードだ。
「フフフ、転生したらマタンゴでしたとのコラボのしめじ味のポテチ。分かってるじゃないの」
「それ、おいしいの? っていうか、そんなのばかり食べてよく太らないわね」
「昔から代謝の良さには自信があってね」
言うが早いか、純子はコーラをラッパ飲みする。飲みっぷりはもはやおっさんの域に達していた。今日はやたらと大食漢に会う日だと、刹那はあきれ顔を浮かべる。尤も、漢ではなく女ではあるが。
美水純子。かつて、刹那と同じくMSBのA班に所属していた隊員だ。だが、とある事件をきっかけに一線を退いており、今は日夜パソコンとにらめっこしている。
普通なら、明らかなお荷物である彼女をそのまま置いておくことはしない。だが、そうしないのにはそれなりの理由がある。刹那が訪ねた目的もまさしくその理由が関係している。
「既に噂になってるよ。謎の魔法少女とドンパチを繰り広げたんだって。マシュとか言ったか。君に匹敵するとは、また厄介な奴が出てきたじゃないか」
「他人事だと思って嬉しそうにして。それで、マシュについて分かったことはある?」
「ボクを誰だと思ってるんだい。既に調査済みさ」
純子は意味もなく眼鏡を上下させる。出会ってすぐのころは反応していた刹那だが、最近になって無駄だと学習した。
キーボードが壊れるかと心配になる速度で純子はキータッチしていく。画面には、触手の魔法少女ことマシュの画像がいくつも表示されている。多くはテレビの報道で見飽きたものだが、いくつかは初めてお目にかかる物も含まれていた。
「とはいえ、こいつに関しては『分からないことが分かった』というべきかな。過去に目撃例はあれど、交戦したデータは君のものが初めてだ。基本的な能力についても、現段階で公表されているもの以上は望めそうもない」
「そう、残念ね」
露骨に声音を落とす刹那に、純子はむきになって反論する。
「もちろん、お偉方に渡していない情報もあるんだぞ。冗談抜きでマシュとやらに関しては情報が少なすぎるんだ」
そう言って、とある家族写真を表示させた。
SNSで「心霊写真を撮ってしまった」と話題になっていたものだ。ハイキングに来ていた三人家族がピースサインでほほ笑んでいる。変哲のない一枚のように思える。だが、右上を凝視すると、人影のようなものが写っているのだ。
すぐ隣には雲があり、人であるならば空中浮遊していることになる。もちろん、人間が空を飛べるはずはないので、「いたずらだ」だの「未確認生物だ」だの好き勝手に議論されていた。
「こんな三流加工写真がどうかしたの」
「加工だと決めつけるのは早いぜ。よく見てみて」
サムズアップしたのち、純子は問題の箇所を拡大する。画質が荒すぎてすぐには判別できない。だが、専用ソフトを併用することで、次第にその姿が鮮明になっていく。
やがて、一人の少女が顕わになった時、刹那は思わず声をあげた。肩から伸びる触手。マシュを魔法少女たらしめている特徴がはっきりと写っていたのだ。
「実は、君と戦う前から、触手を持つ魔法少女と思しき存在の目撃例はあったんだ。ちなみに、この写真が撮られたのは一年前だ」
心霊写真を解析しようというマニアのサイトから発掘したらしい。こんな代物、よほど丹念にリサーチしなくては拾うことはできない。
これこそ、彼女が一線を退いてもなお、MSBに留まっていられる所以だ。上層部からの指示で必要な情報を集め、提供する。そもそもが戦闘要員としてより、そちらの適性で採用されたとの噂もある。
「こんなの、お偉方が喉から手が出るほど欲しがる情報じゃない。よく隠し通せたわね」
「情報は恣意性の塊だからね。お偉方を欺くことぐらいわけもない。それに、いの一番に君に見てほしかったからね。食うかい?」
珍妙な味のポテチを差し出されたので固辞する。鼻歌交じりにかじっているが、本当においしいのだろうか。
刹那が供物を携えてまで訪問する理由。それは上層部でさえ掴んでいない魔法少女の情報を得るためだ。純子も条件を付けつつも気前よく機密を開示してくれている。
「魔法少女マシュは新参ではなく、少なくとも一年前から存在していた。なのに、今日の今日まで存在を知られていなかったのは、それまでうまいこと人目を避けていたからだろう。まともに会話できることから知性はあるというのが公式見解だけど、実際、かなり知能は高いだろうね」
その説については肯定せざるを得ない。きちんと買い物ができるという幼稚園レベルなどお話にならず、そんじょそこらの成人よりも頭が切れるかもしれない。
「加えて、先の戦闘でのデータ。炎の魔法少女バーニングレッドを一撃で昏倒させた攻撃力。全身大やけどを負っても瞬時に回復した再生能力。おまけに、飛行可能な機動力ときた。正直、弱点らしきものが無いというのが現段階での判断だね」
「聞けば聞くほどインチキね」
「だから言ったろ。分からないことが分かったって」
純子が指で机を叩いている間、刹那は顎を引き、腕組みをしていた。マシュについてはこらから弱点を探っていくしかないだろう。その意味では、あちらから接触を図ってきてくれたのは幸いだった。
「それで、あいつについて新しいことは分かった?」
組んでいた腕をほどくや、おもむろに訊ねた。すると、純子はお手上げのポーズをとる。
「あいつについては進展なしだ。マシュとは逆に、ここのところ目撃例が出ていない。一体どこで何をしているのやら」
「そう」
短く答えると、刹那はうつむいた。純子はポテチの残りを口に流し込むと、ゆっくりと咀嚼した。
「やはり気になるのかい。デッドリーパーについて」
「もちろんよ。あいつだけは、私がこの手で殺す」
刹那は拳を握りしめる。パソコンのデスクトップにはとあるファイルがあった。それは、一人の魔法少女についての情報がまとめられたものだった。
執念のような気配を察知したのか、純子はそのファイルを開いた。そうして表示されたのは、一人の魔法少女の画像だった。黒い外套で全身を覆い、死神を想起させる鎌を肩掛けしている。鋭い犬歯を覗かせ、そのツリ目は画面越しでも怯ませる威力を秘めていた。
死神の魔法少女デッドリーパー。刹那の人生のすべてを狂わせた張本人であり、討つべき仇敵である。




