2日目:森を抜ける
俺とミナは、旅に出た。
旅程は2日。そんなに長くはないが、油断しているとえらい目に遭う距離ではある。慎重に行くのが吉だ。
だが。
「おーいヒロ!川だよ川!久しぶりだよね!」
こいつはこんなにもはしゃいでいる。
「あんまりはしゃぐなよ。疲れても知らんぞ」
そう言うと、ミナは「まあまあ」と言って宥めてきた。
「別に急ぎな訳じゃないんだしさ。折角だし、遊んでいこうよ!」
「はぁ?何歳だと思ってんだお前」
「20。てか、年齢関係ないでしょ!ほら、硬いこと言わずにさー」
「濡れたくねえし」
「思い出作りの旅だぜ?そんなこと言ってないでさ、こういうとこで寄り道するのが醍醐味でしょーよ!」
ミナは川で遊ぶ気まんまんらしい。
確かに、言われてみれば急いで行く必要もないしな...しゃーない、少しだけ付き合ってやるか。
「しょうがねえな」
「おっ、やっと折れたかぁ。頑固者なんだからぁ」
「置いていくぞ」
「ノーン!」
こいつはやかましいな。
ただ、俺も実際心が焦っている気がある。何に焦っているのかわからない。ただ、これは1年程前から、そう、先の街で暮らす少し前から感じていたものだ。『動かないといけない』『このままじゃダメだ』そんな感覚がずっと、俺の心を蝕んでいる。
この焦燥感の正体は、一体何なんだろうか。わからないまま、今まで過ごしている。
「ほらほら!川の水気持ちーよ!」
「はぁ、お前は気楽で良いな」
そう言うと俺はズボンの裾をたくし上げ、水に足を入れた。
冷たい。少し深い。
その時、記憶が脳裏をよぎった。
「そういえば、お父さんと一緒に川で遊んだの覚えてる?」
「ああ、今思い出した。確か、お前が溺れかけたよな」
「そうそう、苔で滑って流された」
「親父が助けてくれなきゃ、お前今頃死んでんだよな」
「本当に死にかけたからね!一時期トラウマになったね!でも今は克服してる!偉いでしょ!」
「はいはい、偉い偉い」
「おっと!手が滑った!」
適当に流したのがいけなかったか、ミナは俺に向かってわざとらしく水をかけた。
「お前な...!」
俺も仕返しに水をかける。
「やったな!」
それからというもの、俺たちは川で遊び、飯を食い、また遊んだ。その時間は完全に童心に帰っており、このまま続けばとまで思ってしまった。
が、しばらく遊んだ後、忘れていた焦燥感がまたやってきた。
「そろそろ行くぞ」
「えー、ゆっくりしてこーよ!」
「もう十分遊んだろ。これ以上体力を無駄に消耗するわけにはいかないしな」
「ちぇー、わかりましたよー」
ミナは口を尖らせながら、渋々ついてきた。
遊びはしたが、まだ昼だ。昼の間は歩きたい。
「あの川さ、結構深かったよね。多分、子供の私だったら溺れてたと思う」
「良く言うわ。さっき溺れかけてたじゃねえか」
「いやいやそれは、事故だから」
「溺れる時は大体事故だろ」
「とにかく!あれぐらいの水深だったら、もう平気になっちゃったねって」
「まあそうだな、俺たちもデカくなってるんだし」
人間は進化する生き物だ。こいつも変わっていっている。でも、俺は...。
「そうだね。成長してるからね!私もヒロも、そうやって歳を重ねて、怖いものを克服していくんだね」
「俺は...全然だ」
「そんなことない!ヒロだって成長してるって!」
微笑みながら言うミナを、黙って見つめることしかできない。
本当に進歩してるのか?親父が死んだあの日から、俺は何一つ変わってないんじゃないか?
「ヒロ!もっと楽しもうよ!」
「あ、ああ」
そうだ。今そんな辛気臭いことを考えてもどうにもならない。折角外に出たんだし、もっと楽しまないと。
って、毒されたな。いかん、もっとシャキッとせねば。
「そういえば、ペンダントは着けてる?」
「は?ペンダント?」
「え、もしかして持ってない?」
「持ってないし、何だそれ」
「お父さんの形見だよ」
「形見...ペンダント...」
その時、頭を裂くような痛みが走った。その痛みに思わずしゃがみ込んでしまう。
「あー、ごめんごめん!でもそっか、持ってきてなかったか...」
「何なんだよ、そのペンダントってのは...!」
「いや、今は聞かない方が良いよ。きっと、思い出すと思うから」
そんな意味深なことを言われると気になる。ただ、ミナのどこか切なげな表情を見て聞く気にはなれなかった。
「ミナ、お前何を知ってる?」
「私は別に特別なことを知ってるわけじゃないよ。ただヒロが忘れてるだけ」
瞬間、唐突に頭の中にペンダントを持つ親父の光景が思い浮かんだ。
「思い出した。お前と俺と親父で写真撮って、それをペンダントに入れてたな」
「そうそう、それだよ!なんだ、思い出せるじゃん」
「でも、最終的に何処にあるかは知らないな」
「だろうね」
そう言うと、ミナは笑みを浮かべながら振り返った。
「そろそろ晩御飯にしません?お腹ぺこぺこだよ」
「あ、ああ、そうだな。暗くなる前に拠点を作ろう」
そうして俺はテントを建て、夕飯を作った。全ての作業を終えた頃には、既に夜が舞い降りていた。
「お前、ちょっとは働けよ」
「私は応援係なので!あ、お肉貰い」
「お前肉しか食ってねえだろ。野菜も食え」
「野菜じゃなくて野草だし、美味しくないもん!」
「てか、なんか量減らねえな。作りすぎたか?」
「私が全部食べるよ!」
「お前肉しか食わねえじゃん」
そんなやりとりを続けていると、ミナが突然笑い始めた。
「お父さんもさ、お肉しか食べなかったよね」
「確かにそうだな。好き嫌いばっかだった」
「色々ガサツだったしね」
「ああ、尊敬できる父ではなかったな」
「でも、良いお父さんだったよ。いっつも笑ってて、ただの旅を楽しい旅に変えてくれた」
記憶がどんどんと溢れていく。そうだった。親父はいつも笑っていた。母さんを早くに亡くし、俺とミナという子供を抱えながらの旅。大変だろうし、苦しい時だってあったはずだ。だが、親父はそれを俺たちに悟らせず、病気で倒れるその日まで、ずっと笑ってた。
「そろそろ寝よっか」
「そうだな」
寝袋に入り、消灯する。
星空の下、俺たちは心地良い眠りについた。
翌朝。
俺たちは朝の支度を早々に終わらせて、森の中に繰り出していた。
そして。
「あ、森が抜けるよ!」
ミナが走って外に出ていく。俺も無言でついていった。
「...」
風の音が聞こえる。
そこにあったのは、一面緑に染まった平原。ここまで来れば、後半分だ。
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