第四章 青年期解決編 ⑤
「何か考え事。それとも他の女性のことを考えていたのかしら。デート中に感心しないわね。」
「いや、そんなことは」
「あの女とか」
確かに、きれいな女性だが。
「でも、控えめに言って、万歩下がっても私の方が美人ね。」
自分でいうのか。
「そう思うでしょ。」
そんなこと強要されても。でも、
「はい」
もうそう言うしかなかった。
「それより、どこに向かっているの。」
「まずは昼ごはんね。おすすめのイタリアンがあるの。もっとも行ったことはないのだけれど。やっぱり、デートといえばイタリアンよね。」
「そうなのか。」
「そうよ。まぁ先生はデートなんてしたことないでしょうから、分からないのも無理ないわね。」
「デートくらい_」
「見栄を張らなくてもいいのよ。先生は硬派なのよね。硬派なだけ。それも美徳だと思うわ。」
頑なに僕がデートをしたことがないという前提で話が展開していくが、まぁ気にするほどのことでもない。
「それで、あとどれくらい歩くんだ。」
「もうちょっとよ。駅に着いたら、そこから四駅で降りてすぐらしいから。」
「電車はせめて普通で行かせてくれ。座りたいから。」
「わかったわ。もともとそのつもりだったし。予約した時間まで余裕はあるから。なんなら、もっとゆっくり歩いてあげてもいいわよ。」
「いやそれくらいは大丈夫だ。」
平日の昼間とあって、駅は空いていた。四カ月という月日は僕にとっては長くとも、街にとっては誤差の範疇。以前と何の変化もない、よく知った風景だ。先に来た快速列車もがらがらだ。
「どうせ、座れるのだから、わざわざ次の普通を待つ必要もないわね。」
快速なら一駅。
十分もたたないうちに目的の駅に着いた。
電車のドアが開いた瞬間、外からの熱風にあてられ、不快感を思い出させた。
さすがに、少し大きい駅まで来ると、それなりに人が多い。もともと人ごみが得意ではない僕にとって、人酔いするのは時間の問題だった。
なにはともあれ無事到着。
本当に駅からは近かった。歩いて五分くらいのところ。駅の前の通りを挟んでその向かい側。
「アマトリチャナ?」
「そう。雨鶏茶菜。アマトリーチェ地方のパスタ料理、アマトリチャーナが名前の由来でしょうね。」
「博識だね。」
「常識よ。」
澄ました顔で即答。本当に常識なのかもしれない。
「ご飯に合うイタリアンってコンセプトで普段使いから、デート使いまでされているそうよ。ちなみにこれは「メシログ」情報、三点七よ。ギリ及第点。」
そう言い残して店に入っていった。
「二名で予約していた佐藤です。」
「お待ちしておりました。」
沖田ではなく佐藤で予約していたのか、こういうあたり学校にもほとんど言っていない十七歳とはとても思えないくらいしっかりしている。
堂々とした足取りでウエィターの後をついていく。ともすると、僕が出遅れてしまうくらいに。別に高級という感じは一切しない。カジュアルな感じだが、それでも、今までこのような店に行ったことはない。男一人でイタリアンという場違い感に挑む気にならなかったから。
半分以上の席がすでに埋まっていた。それなりに繁盛しているようだ。客層は年配女性がほとんど。まぁ平日の昼間ならどの店もこういう客層だろう。
奥の二名掛けの席に通された。手前の椅子に沖田さんが座った。必然的に僕が奥のソファー席。座り心地のいいソファーを譲ってくれたのか、上座を譲られたのか。上座などという概念まで知っているのかは定かではないが。
運ばれてきた水を一気に呷った。
冷たいおしぼりが心地いい。
「はい」
タオルを差し出された。
「をどうしたら?」
「おしぼりで顔を拭くとか、おじさんみたいだからやめてよね。」
今からやろうとしていたのに。この冷たいタオルで拭いた方が絶対に気持ちいい。けど、首の高さまで上げていた手を下した。
「分かった。」
そして、素直に受け取ったそのタオルで汗をぬぐった。
「今、手を下げたじゃない。」
「あぁ、それがどうしたんだ。突然。」
「以前、「手を上げる」って二重の意味があっておもしろいっていう話をしたのを覚えているかしら」
「あぁ、なんとなく。」
「降伏のサインは手を上げる、それを解いたら、手を下げる。でも、殴る側の手を上げるは手を下げたとき、それは手を下すという「殺す」という別の意味に変わるの。なんか、おもしろくないかしら。」
無邪気に破顔した。
沖田さんの口からの「殺す」という言葉はあまりも強すぎる。僕にしてみれば、まったく笑えない。だから、その笑顔が本当に怖い。これだけは決して伏線になってほしくない。
「ところでメニューは」
「予約の時に注文しておいたわ。ランチは定食にする人が多いみたいだったから、それにしといたわ。何か食べたいものとかあったかしら。」
「いや。僕はイタリアンとかよく分からないし、任せるよ。」
外食なんて本当に久しぶりだ。僕が監禁している間もほとんどせずに、買って帰っていた。
向かいには沖田さん。周りからはどんなふうに思われているのだろう。デートか兄妹か、いずれにしろ被監禁者と監禁者という特殊な関係とはだれも思うまい。
やがて、お盆を二つ持って、ウエィターが近づいてきた。僕なんかはイタリアンと聞くと、やっぱりピザやスパゲティーなんかを想像してしまう。だから、お盆の上に定食形式で左端には白ご飯があるという光景には驚かされた。確かに、沖田さんはさっき、ご飯に合うイタリアンがコンセプトということを言っていたけど、本当にまんまご飯が出てくるとは思わなかった。
「それでは内容の方、説明させていただきます。メインはサルティン・ボッカになります。仔牛に生ハムとセージを巻く料理ですが、当店では、セージの代わりに大葉を巻いて焼きあげ、味つけに醤油を利かせています。こちらのペコロスはブロードで煮て、ヴィネーグル・バルサミックと梅肉のソースで仕上げております。魚介と季節の野菜のタルタルはヴィネグレットにわさび醤油で調味しております。是非、ご飯と一緒にお召し上がりください。」
サーブと同時に一通りしゃべり終えた後、去って行った。結構な量話していたうえ、カタカナは基本何を言っているのかよく分からなかった。こだわりを持っているのは見て取れるが、伝わらないというのはいかがなものだろう。
「何の料理か理解できた?」
「もちろんよ。先生は理解できなかったみたいね。」
「はい」
「どうせ、食べてしまえば同じよ。別に理解したからといって、味が変わるわけでもないのだし。」
そうかもしれないけど。そんな食べ甲斐のないことを言わなくても。
「とりあえず、いただきます。」
「いただきます。」
それなりに美味しかった。値段は分からないが、ランチで定食なら千円前後だろう。それでこの味ならそこそこお値打ちだ。はやるのもうなずける。
「けっこういけるね。」
「そうかしら」
箸は進んでいるが、どうやら納得していないらしい。
「まず、このサルティン・ボッカだけど」
すでに何がサルティン・ボッカで、それが料理名なのか何なのかわからなかったけど、とりあえず聞いた。
「生ハムに対して大葉だけではセージと違い弱いわね。レモンをかけるか塩レモンやピールを巻くなり、トマトソースをかけるかした方がまとまりそうね。」
サルなんとかはメインの肉のことのようだ。名前すら覚えられない。
「ペコロスはまぁ_美味しかったわ。でも、このタルタルは微妙ね、わさび醤油でご飯に合うようにしたのだろうけど、ご飯に合わせるなら、せっかく魚介を使っているのだから、塩辛や塩蔵を使った方がいいおかずになると思うわ。」
かなりの辛口だった。
それが的確なのか個人の意見かは全く判断できないけど、お店の人には聞こえていないようでよかった。
辛辣な罵倒や毒舌の類は僕にだけではないみたい。「コメントにスパイスが利いているね」というセリフが脳裏をよぎったが、言うのはやめた。やめて本当に良かった。頭の中で唱えるとものすごく面白くなかった。沖田さんににらまれるか苦言を言われるかは必至だ。
「「ごちそうさまでした。」」
なんだかんだ言いながらきちんと完食はしている。
「そろそろ行こうか。」
沖田さんは千円札を三枚僕に渡して、トイレへ行った。こういうのをどこで覚えたのだろうか。社会人でもできる人はそうはいないだろう。いや、違うな。年齢差を考慮するとこのほうがよっぽど自然だ。沖田さんが会計をすれば店員の印象に残りかねない。きっと、対策の一つなのだろう。常にいろいろ考えながら、目を、気を配りながらやり過ごしているのか。
とりあえず、その三枚と伝票を持って会計へ向かった。
「お会計は一緒でよろしいですか。」
「はい」
「三千二十四円になります。」
たったの二十四円。
嵌められた。
さっきまで、沖田さんのことをほんの少し尊敬しつつあったのに。そうまでして僕をからかいたいのか。
「すみません。計算違いをしていたみたいで、連れを呼びますのでもう少し待ってください。」
もちろん店員はそんなに心狭くはない。笑顔で了承してくれた。それでも、赤っ恥は赤っ恥だ。
「会計は終わったの。」
「いや、足りなかったから、残り、お願いします。」
「ごめんなさい。計算違いしていたみたいね。」
二十四円、きっちり三枚の上に置いた。不足額を聞く前に。やっぱり分かっていた。確信犯だった。
「それじゃあ、行きましょうか。」
さっそうと店を後にした。




