第三章 青年期事件編 ⑪
ううん。
顔の上に何かがある。どかそうとしてもまた、乗せられる。
あー。眠っていたのか。午前中からずっと。
「やっと起きたのね。」
起こしてもらってなんだけど、足かよ。
「その足、どかしてはもらえないでしょうか。」
「分かったわ。なら左の頬を差し出しなさい。」
「僕はキリスト教徒だったのか。」
起きた。完全に。
もう夕方か。
ずいぶんと熟睡できた。そういや最近、夜中も寝つきは良くなかった。寝る体勢ということもあるが、やはり、沖田さんがいないというのは精神的にリラックスできた。
鬼の居ぬ間に。
気持ちを改めて。
「今日は何を買ってきたの」
聞かなくても一つはわかっている。
「昨日先生が言っていたじゃない。リビングまで通路の拡張工事をできたらって。それとあとは晩ご飯。じゃ、さっそく工事するわね。」
沖田さんの辞書に躊躇という言葉はない。何のためらいもなく僕の家に穴を増やしていく。
昨日よりも慣れた手つきで工事が進んでいく。完成まで時間はそんなにかからなかった。机の脚まで無理矢理通路を繋げた。
これで部屋(今いて、寝たりする部屋)とトイレとリビングの机とを手錠に繋がれた状態で行き来できるようになった。
自由になったり快適になったりということはないが、行動範囲が広くなった。
せっかくだから、リビングの椅子に座ってみる。部屋にあるのと同じ椅子だし、おとといまでこの椅子に座っていた。にもかかわらず、正月に実家に帰った時のように、懐かしく感じた。
沖田さんは晩ご飯を作り始めた。
最近一日二食になっているが、もともと少食だし、そんなに空腹感はない。むしろ栄養面は改善されている。
ぎこちない手つきで調理をしていく。ともすると、包丁で手を切ってしまいそうな危うさがある。
でも、それを心配するというようなことはなかった。僕が監禁していた時にこういうシチュエーションがあったら、心配していたと思う。僕が薄情になったというわけではなく、単に立場が変わっただけ。心配してやる義理はない。
二度目の晩ご飯はちゃんと椅子に座って食べることができた。
もう食べ終わりそうという頃。
「私、あと一年で死ぬの」
何を言っているのか全然意味が分からなかった。冗談にしてもたちが悪い。
「正確には一年と三ヶ月」
しかつめらしい顔で続けた。本当なのか。正確な日数ということは自殺とかではないだろう。そんな物騒な計画ならやめてほしい。普通に考えて、余命か。
「病気なのか」
でも、だとしたら、この短期間で病院に行ったのか。いつ。保険証は。
「そうじゃない。実際に死ぬわけではないの。そういう風にみなされるの。失踪宣告といって。」
「失踪宣告?」
スマートフォンの画面を見せてくれた。
生死が不明な者は生存が証明された日から七年後、利害関係人が宣告を家庭裁判所に請求することで死んだものとみなされる。
スマートフォンを返した。ちなみに、暗証番号はすでに変えられていた。指紋も反応しなかった。沖田さんらしくぬかりない。それはさておき。
「でも、利害関係人って多分沖田さんの親だよね。昨日の話からだと、請求しないんじゃない。生還を願っている体の方がよっぽど世間体はいいから。」
首を振った。
「お父さんはそういう真似はしない。そもそもいつまでも拘泥し続けるのが嫌いな人だから、終わったことはすぐに見切りをつけるの。冷酷なくらいに。多分だけど、心配して日に日に衰弱する妻を見ているのがつらい、これで新しいスタートを切れる、これからはより一層皆様のためにとか、そんなことを言うと思う。邪魔なものを切り捨てられるし、逆境を乗り越えたヒーローにもなれる。お父さんにとっては一石二鳥。」
沖田さんと話しているとお父さんのイメージがどんどん冷徹な人に聞こえてくる。実際に冷徹なのか。
冷徹なお父さんと、冷静なその娘。
それも血筋か。
「それでどうす_」
そこまで聞きかけて言葉を飲み込んだが遅かった。
それを防ぐには生存を知らせなければならない。それはすなわち、事件が再び日の目を見るということ。今度こそ、ばれないわけがない。監禁からは解放されるが、今度は刑務所で拘束される。どっちがましかとかそういう問題ではない。
「心配しなくていいわ。別にまだ言う気はないから。」
「でも、言わないと死んだことにされるのじゃ。」
「大丈夫。本人である以上、いつでも取り消すことができるから。でも、死んでいることになっていては働けないし、病院で診察も受けられないし、不便になったらその時は失踪宣告の取り消しを請求するかも。でも、安心して。その時は先生の迷惑にならないようにするから。」
やはり長期戦は確定だ。
そして、気遣われている。僕をかばう気でいる。本当にその理由が分からない。ひょっとして、父親のDVから救いだしたヒーローとでも思っているのだろうか。勘違いも甚だしい。ダークヒーローですらなく、ただのヴィランなのに。
窓の外では、満月が朧に差し入れていた。
カーテンを閉めて部屋を暗くするも、昼間の惰眠も相まって、今日も全然眠れそうにない。
明日もどうせすることはない。早起きする必要もない。意識が薄れていくのをただじっと待った。




