第三章 青年期事件編 ③
改めてみる沖田さんの初めての笑顔。
こんな状況であるにもかかわらず、その笑顔に見蕩れてしまうほど五年間で大きく成長した。
それでも、この状況でこの笑顔は狂気そのものだ。
僕が監禁しているときは笑っていたのだろうか。
沖田さんはこんな気持ちでずっと過ごしてきたのか。
恐怖のあとに罪悪感が追いかけてきた。恐怖と罪悪感がせめぎ合って、わけが分からなくなる。気持ち悪い。感覚神経が麻痺してくる。
扉を閉めたあと、沖田さんが近づいてきた。
顔が引きつった。
笑顔のままで話しかけてくる。
「ずいぶん汗をかいているけれど、大丈夫。」
とろんとした表情で、僕の首筋を流れる汗をぬぐった。
五年間一切の日差しを知らない手は驚くほどに白い。
冷たい手がとても不快だ。
冷えた身体に冷たい感触がさらに身体を冷やしていく。
聞くまでもないが、僕を縛ったのは間違いなく沖田さんだ。
言いたいことも聞きたいこともあった気がしたけど、言葉になる前に忘れてしまった。
今度はその手を頬にあてた。
「先生、元気ないね」
恐怖と唇が張り付いていたせいで、なかなか声にならなかった。
「_大丈夫」
やっとのことで出た返事は強がりにもなれない、苦し紛れの一言。
「そう。良かったわ。朝ご飯作ったの。持ってくるわね。」
「ありがと」
はしゃいでいるわけではないが、嬉々とした表情で部屋を出て行った。
いったい何をしたいのかわからない。
すぐに朝ご飯を持って部屋に戻ってきた。本当に作っていたようだ。
トーストとスクランブルエッグだか卵焼きだかかよく分からないが、卵の何か。あとは野菜ジュース。お盆に二つずつ載せられている。
「オムレツを作ろうとしたの。でも、失敗しちゃった。難しいのね。フライパンにひっついてうまく形にできなかった。私小学校のころの調理実習くらいでしか料理ってやったことないから。」
そう言いながら、スプーンで掬った卵の塊を僕の口へ放り込んだ。
「美味しい?」
次はトーストを。
「口にあるから、しゃべれないか。お行儀悪いものね。」
決してそういう理由ではないが、しゃべれないし、味もわからない。最初は毒か下剤でも入っているのかと思った。遅延性の可能性もあるが、そのような感じはしない。
沖田さんも普通に食べ始めた。
「なんだか質素な朝ご飯ね。先生の家って、冷蔵庫に何もないじゃない。まぁ初めは卵料理くらいが練習にはそれでいいと思うけど。」
「練習?毎日作るつもりなのか。」
「そらそうじゃない。食べなきゃ生きていけないし。自炊したほうが安上がりじゃない。」
日本の首都は東京かと聞かれたらこんな顔で返事をするのだろうか。さも当たり前のことのように返事をした。
「これからは収入もなくなるし節約しないといけないものね。」
「どういう意味だ」
「さっきね、先生のスマートフォンから学校にメールをいれといたわ。一身上の都合でしばらく休職させてくださいって。本当は電話か先生に直接伝えてほしかったけれど、さすがにそれは難しいものね。不審に思われないかしら。」
もうそんなことまで手を打っているのか。たったの一日で。
「ずいぶんと手が早いな。」
「誘拐とか監禁は体験済みだからお手の物。ある意味プロみたいなものだから。これは先生には皮肉になっちゃうかな。」
シニカルなどころか舌をぺろりと出しておどけてみせた。少々古い所作な気もしたが、不思議とそれすらも様になっていた。
「やっぱり、僕を監禁して復讐する。そういうことか?」
「YESでもありNoね。」
「どういうことだ。」
「先生は勘違いをしているわ。」
「何をだ。」
「秘密。買い物に行ってくる。」
五年間溜め込んだ笑顔が枯渇する様子はない。最後まで楽しそうにしながら、部屋を出て行った。




