最期の愛してるを。
「……おかあ……さん?」
電話越しにお母さんの声を聞いた瞬間だった。ぼろぼろと涙が溢れてきた。
家を出てまだ一時間も経っていない。走り回っていてそれどころではなかったが、その短い時間の間に、今までにない恐怖と不安を受け、精神はもういっぱいいっぱいになっていたと思う。
そんな時にお母さんの声を聞いて……私のこころの張りつめていた緊張や不安の糸が一気に緩んだのだろう。涙が溢れて止まらなくなった。
「おかぁさあぁんっ!ゾッ、ゾンビがいっぱいいて怖いよ!マンションに帰りたいけど、隣のおじさんもゾンビになってるみたいだし、どうしようっ!」
こんなに泣いたのは小学低学年頃くらいだと思う。私は顔を涙と鼻水で濡らし、ひっくひっくと泣きながらお母さんに話した。
『ちょ、あんた、外に出てるの!?停学中は外出禁止って言ったのに……』
電話向こうから、お母さんの呆れまじりのため息が聞こえてきた。
「……ごめん、ずっと部屋に籠ってたら頭おかしくなりそうだったから……外の空気が吸いたくなってそれで……」
私はお母さんと話しながら小さな公園に入ると、草の影にしゃがんで身を潜めた。すると。
『そうね……2ヶ月も外出禁止なんて長すぎよね。私が悪かったわ、ごめんね』
ぼそぼそとした小さな声で話すお母さん。声が小さいのもあるけど……なんだか、いつもと雰囲気が違う。
「お母さん、何だかすごく声が小さいけど、どうかし──」
『いい?友加里、今から私が言うことをしっかり聞いてね』
お母さんは私の質問に言葉を被せてきた。なんか、焦ってるようだ。
『これから友加里、あなたは頑丈な建物とか、ゾンビたちが入ってこれなさそうな場所に隠れるのよ。戻れそうならお家に戻って、入り口をバリケードするのもいいわ。兎に角安全なところに隠れて、助けを待ちなさい!いいわね?!』
「お……お母さんは?てか、今どこにいるの?」
『私は会社にいるわ。でも……ゾンビが結構いて、今ロッカーに隠れてるところなの』
だから小声なのかと、私は納得して。
「じゃあ、私と話してるとまずいんじゃない?電話一旦切ろうか……」
私がそう言った時だった。
『ドンドンドンドン!!!』
電話の向こうから、ロッカーの扉を激しく叩くような音が聞こえてきた。
「お、お母さん!?」
『友加里、兎に角あなたは安全なところに避難して、助けを待ちなさい!いいわね?!』
『バタンッ!!』
お母さんの声の向こうから、ロッカーが開いたような音がして。
『キャアアアアアア!!!』
お母さんのけたたましい叫び声が響いてきた。
「お母さん、どうしたの?!お母さん!!」
ガタン!バタン!と、大きなものが倒れる音やお母さんの悲鳴が電話の向こうから聞こえ。
そして。
『……友加里、あの時信じてあげられなくて、ごめんね。テキトーな子だけど……でも、あんたは誰かをいじめるなんてこと……しないのにね。可愛い娘の言葉も信じられなんて、私はお母さん失格だね……』
「おかあ……さん?急にどうしたの……ねぇ?」
お母さんの声が、だんだんと小さく……弱っていっている気がした。
『……こんなお母さんからの言葉なんて要らないかもしれないけど……私のところに生まれてきてくれて、ありがとう。どうか生きて……生き延びて幸せに、なって。友加里…愛…して…………… ……』
プツ。
プー……プー……プー…………
「……おか、あ……さん?おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん!!!!」
それから何度かけ直しても、お母さんが電話に出ることは──無かった。




