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また、猫になれたなら  作者: 秋長 豊
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53、自分の道

 朝が過ぎ、昼が過ぎ、夜がやってきた。猫屋敷の居間にはテーブルいっぱいの豪勢な料理が並び、壁には鈴音と麗羅が作った折り紙やポンポンの飾りが貼り付けられていた。午後7時には、約束通り空雄の母と父がやってきた。小春はわざわざ大学を休んで県外から新幹線で駆け付けてくれた。


「お兄ちゃ~ん!」


 玄関から現れるなり、小春は強烈な勢いで空雄に抱き着いた。


「苦しいっ! 息ができない!」


「やっと元に戻れるんだね! 夢みたい」


 空雄は興奮気味の小春を引き離しつつ笑った。廊下の壁に背をもたれて立つ流太を発見した途端、小春は空雄のことなどそっちのけですっ飛んでいった。


「流太さん!」


 小春はモジモジしながら言葉を探した。


「やっと元に戻れるって聞いたから。うれしくて飛んできたの。自由に、なれるんだね」


「うん」


「よかった!」


 流太はよしよしと小春の頭をなでた。少し顔を赤くして小春はプイとそっぽを向いた。


「おじゃまします」


 そこへ大荷物を持った母が登場。流太は持つのを手伝い奥へ通した。


「こんなにたくさん、どうしたの?」


 流太は興味深そうに袋をのぞいた。


「空雄からきょうは盛大なパーティーを開くと聞いて。気合入れてたくさん持ってきちゃいました。ジュースもミルクもありますから、遠慮しないでくださいね」


「おーい、空雄。荷物運ぶの手伝ってくれ」


「今行く、父さん」


 空雄は父と並んで石段を下りた。なんだか2人で歩くのは記憶にないくらい久々だ。石段を下りる足音と、遠くから聞こえてくる救急車のサイレンだけが2人の沈黙を埋めた。お互い、決して口数が多いほうではないけど、並んで歩くだけでも安心感があった。


「父さん。あのさ――」


 父は足を止めて振り返った。


「前から言いたいこと、あったんだよね。その、えっと……卒業できなくて、ごめん。高校」


 ずっと、心の中で引きずってきたこと。自分と同い年の子たちが卒業し、大学に進学し、働いて行く中、自分だけが変わらない。ずっと引け目に感じてきた。例えお前は悪くないと言われても、この罪悪感を無視することはできなかった。父はなんて言うのだろう。空雄は不安に襲われながら言葉を待った。


 父は鼻からため息を漏らした。嘲笑、あきれとも違う息だった。


「そんなことか」


「そんなことって、俺、高校卒業できなかったんだよ? なんで、そんなふうに言えるんだよ。友達はもう、大学に進んでるのに。同じ時間を生きているのに、俺だけ、時間が止まったままだ。こんな俺、どこに出したって恥ずかしくないって、言えないだろ。みんな――」


「空雄の話が聞きたい」


 真っすぐのびる父の視線に空雄は自信をもって応えることができなかった。自分の話?  予想もしていなかった言葉に口をつぐみ、うろたえた。いつの間にか自分が他人の話ばかりしていたことに気付き、いいようのない奇妙な感覚に襲われた。気持ち悪い。そう、胸の奥がむかむかしたのだ。自分の人生は自分で選ぶ。そう言っておきながら、ふと頭をかすめるのは何歩も先を行く同級生たち。高校を卒業できなかった、大学にも行けなかった、みんなと遊ぶこともできなかった。そんな自分が、父に胸を張って言えることなんて、何もない。


「目を見なさい」


 空雄は父を見た。 


「なんのためにある、その目は」


 父は真剣な口調で言った。


「自分と他人の優劣をつけるためか。過去にとらわれるためか。ちがう。今を、ずっと先を見据えるためだ。他人に憧れ、比べるのは人間ある程度仕方ない。でも、自分を見失うな。他人になるためじゃない、なりたい自分になるために努力するんだ。空雄の言うみんなも頑張ってる。でも、空雄も頑張ってる。自分で自分の首をしめてどうする。自分を蔑むくらいなら、そんな劣等感は捨ててしまいなさい」


 どうしてだろう。急に目の奥が熱くなって鼻がツンとした。猫戦士になってから、ずっと近くで見守り続けてくれた父と母、小春。父はずっと「頑張ってる」なんて言ってくれなかった。こんな自分を、ちゃんと見てくれているのか、分からなかった。でも、ちゃんと――見ていてくれた。 


 空雄はひしゃげた声で泣いた。積み重なった負の思いがあふれる。父の前で大泣きするなんて恥ずかしい。普段ならそう思うのに、今はちっともそんなふうには思えなかった。ただ、心のどこかで膝を曲げ丸くなっていたもう1人の自分が、素直に子どもみたく泣きじゃくっているだけだった。


「親にとってなにより大事なのは、子どもが素直に健やかに育ってくれることだ」


 父は空雄に歩み寄ると肩に手を置いて笑んだ。


「空雄は賢い」


 頭に響く力強い言葉。空雄は涙を拭い、父を見た。


「大丈夫。思う存分自分の道を進みなさい。もし、恥ずかしいと思うことがあれば、その時はちゃんと叱ってやる」


 空雄と父は麓にある車に行ってジュース類が入ったラックを持ち、再び石段を歩いた。みんながいる猫屋敷に戻ると大にぎわいだった。


 条作はいつも以上に愉快で饒舌だった。悟郎は相変わらず無口で無表情に戻っていたが、一応会話には参加しているらしく、時折唐突に意見を述べて周囲を驚かせた。ジュースをくみに回っていた麗羅が空雄の両親にあいさつしている間、小春は空雄の隣でチラチラ彼女のことを見ていた。


「小春、この人は流太さんの――」


 言おうとしてふさわしい言葉を探した。


「えっと、彼女さん、でいいんですか?」


「そうね。紹介ありがとう」


 小春は頭を下げると「初めまして」と言った。


「初めまして、小春ちゃん。初めて見た時空雄くんにそっくりだったから、すぐに分かった。兄妹なんだね。きょうは来てくれて本当にありがとう。ジュース、何飲みたい? いろいろあるみたいだけど」


 麗羅は緊張する小春をお姉さんみたいな目で優しく見守りながら、楽しく会話をしていた。


 母が持ってきたのは猫でも食べられる手作りの料理や、いつもの猫缶やカリカリ。どれも絶品だったが、人間に戻って味覚が変わると思えば少しさびしい気もした。



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