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また、猫になれたなら  作者: 秋長 豊
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36、勝つために

 目が覚めたとき、そこはもう外ではなかった。薄暗い室内で見慣れた和の天井が目に入る。


「いっ!」


 起き上がろうとして変な声が出た。あまりの激痛に身もだえ、徐々に直前の記憶がよみがえる。そうだ――確か流太と戦って、左肩と顔の半分は骨折、左目は開けられないほどひどい状態になった。こんなにひどい痛みは人生初めてだった。


 空雄は痛みを我慢し重たい体をひきずりながら流太の部屋をのぞいた。中は明かりの一つもついていなかった。布団に寝かされた流太は目を閉じたままで、にゃんこ様が隣に座っていた。障子から差し込む月明かりだけが、かぼそく彼女の横顔を照らしている。


「死ぬ寸前まで戦うとは、後にも先にもおぬしら2人しかいないだろうな。切磋琢磨するのはいいが、度が過ぎている。猛省し、二度と起こさぬようにしろ」


 空雄はいいわけをしようとして口をつぐんだ。この戦いは自ら望んで起こしたことだ。責任は全て自分にある。


「空雄。力を右拳に移したのは……自分の意思か。それとも、流太に教えてもらったことか」


 空雄は驚いてにゃんこ様を見返した。どうやら戦いを見ていたらしい。あの時は目の前のことに手いっぱいで、周囲のことなんて気にしていなかった。


「自分の、意思です」


「どういう意図で?」


 返答に困った。


「深く考えるよりも、感覚で動いていたというか。できるかどうか、確証はありませんでした」


「感覚も突き詰めれば経験。おぬしが最後に発動したのは、白猫拳――片極拳へんきょくけん。拳にためた力を片方の拳に移行し力を増幅させる技。あと3年は先になると思っていたが、ここまで早く習得できるようになるとは」


 偶然できた事象に名前があることもそうだが、後半の言葉にも驚かされた。


「五大猫神使の二大頭である白丸と黒丸。この二つの存在は引と斥の力で成り立っている。おぬしは引力、流太は斥力という具合にな。片極拳は引力を用い、自らの力を集積化できる。だから引を持たない流太や他の猫戦士には使えない。逆に流太は自分の力を斥力によって押し出すことしかできない。引と斥。二つの力が一つになった時、莫大な力が生まれる。磁石のN極とS極があるだろう。NとN、SとSを近づければ反発し合う。しかし、NとSを近づければ吸引される。力に置き換えてみればいい。引と斥は石井道夫を滅ぼす上でも重要な鍵となる」


「理屈は分かりますけど、力を一つになんて、どうすれば」


「今言ったのは力の法則。使い道を探すのはおぬしらの仕事じゃ。とにかく、片極拳は誰にでも使えるわけじゃない。おぬしの前に白丸の憑依体だった沢田麗羅は、どんなに時間をかけても習得することはできなかった。だから、おぬしには才がある」


 空雄は複雑な心境になった。前任の白猫戦士、沢田麗羅。彼女の話は流太から少し聞いていたが、今となっては気掛かりな点が多い。石井道夫は言った。ただ、あの女はちがった。自ら石になることを願ったんだ、と。


「麗羅さんは、本当に戦いに負けて石にされたんですか」


 にゃんこ様なら本当のことを知っているはずだ。結界を通して見ていたのなら。空雄は確信していたが、にゃんこ様はうんともすんとも言わなかった。


「石井道夫は言っていたんです。自ら石になることを望んだって。あなたは見ていたはずです」


 にゃんこ様の温和な目が鋭くなった。空雄は全身をくいで刺されたみたいに動けなくなり、彼女の背後からむくむく立ち上る不穏な空気に気圧された。


「話すことはない」


 ばっさり言い捨てられた。にゃんこ様は部屋を出て行き、空雄は流太と部屋に残された。午前0時になるころ、月明かりが一層強く部屋の中を照らした。


 意識のない流太の隣に座り、空雄は本気で拳をぶつけ合った時のことを思い出していた。笑顔も余裕もない、殺伐とした表情。譲歩など一つもない戦い。


 やっと届いた拳。しかし、全然うれしくなかった。心の中がもやもやして晴れない。


 急に頭の上が温かくなった。顔を上げると、流太が大きな手をのせて笑っていた。ヘラヘラした笑いではない、穏やかな心を映した本当の笑みだった。


「強くなったな」


 流太の言葉が信じられなかった。


 今まで、褒められたことはない。どれだけ頑張ったら認めてもらえるのか――ずっとそう思っていた。それが今、流太は認めてくれた。


 すっと手を下ろして流太はうつむいた。長いこと無言で、遠い昔を思い出すような目で、やがてこう言った。


「一つ聞いてもいいか。あんたはどうして救いたい。俺たちを」


 空雄は言葉に詰まった。


 どうして? そんなの決まっているじゃないか。知ってしまったから。何回も死んできたことを。普通なら、一度しか経験しなくていい死を、決して楽ではない死に方で繰り返してきた。人はいつか必ず死ぬ。心の準備もなくいきなり死ぬ人や、来るべくして死ぬ人。でも、猫戦士はそこで終わることができない。この世で、生き続けなければいけない。


「死なせたくない」


 空雄は言った。


「確かに今の俺は、実力に伴わない言葉ばかり並べ立てています。だけど、あなたたちを救いたい。それは、勘違いなんかじゃありません」


 空雄は偽りのない目で流太を見た。


「流太さん。俺はあなたより、ずっとずっと強くなる。そしたらどんな鋭い爪さえ貫けない盾になれる。俺はあなたの苦しみの全てを理解することはできません。けど、一人の人として、一緒に戦うことはできます。不可能を可能にする。そのために今、俺はここにいます」


 流太は最初、あっけにとられていた。しかし、徐々に受け入れていったのか、静かに目を伏せると穏やかな諦観とともにほほ笑んだ。 


「なら救ってくれ。あんたの望み通り」


 適当にあしらうでもなく、否定するでもなく、ただ真っすぐな言葉だった。空雄はやっと、彼の隣に立てた気がした。


 午前0時。2人の傷は再生していった。空雄はここまでひどいけがをしたことがなかったので、傷の治り具合も目に見えて分かった。折れた骨は再形成され、青あざは元の肌色に、つぶれた左目は開くようになった。痛みが完全に引いたころには、2人とも完全にいつも通りの姿に戻っていた。


 流太の死をきっかけに、空雄の心は変わった。彼を、彼らを救い出すと。単に人間に戻りたいと願っていたころとは異なる感情だった。終わりのない死と生と決別し、人間として生きていける未来を迎えるために。負けてはいけない戦いに、勝つために。



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