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また、猫になれたなら  作者: 秋長 豊
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19、約束

 こうして数日ぶりの再会を果たした空雄は流太と居間に通された。


「その親指、本当に戻ったんですね」


 母は真っ先に流太の手を見て言うと、そばに座って大事そうに彼の手を包んだ。流太は何か言おうとした口を閉じ、パッと手を引いた。


 空雄がスマホを流太に返した時、彼はこう言った。「誘拐犯みたいに言ってなかった?」と。なんだかんだ言って、罪悪感を抱いていたのかもしれない。しかし、目の前で実際に言われた言葉は、自分を案じさえする言葉。流太の瞳には、なぜ? という戸惑いすら浮かんでいた。


 母は最後にほほ笑むと立ち上がり、パンと手をたたいた。


「さっ、夕ご飯にしましょう」


 流太自身、良くは思われていないはずの家に上がって、いきなりご飯を食べましょう、なんて言われるとは思っていなかったはずだ。でも、空雄はいつもと変わらずに接してくれる方がありがたかった。


 ガスコンロの上にだしの入った鍋が置かれる。小春は火をつけると野菜や魚、肉など豊富な具材を2人の前に並べてくれた。


「さぁ、お兄ちゃん。流太さん。今晩はしゃぶしゃぶだから、好きな具を入れてね! お肉とお魚もあるからたくさん食べて」


 空雄は皿や箸をみんなに配った。それぞれ席に着き、流太を加えた奥山家の食卓が始まった。ここへ来るまでの間、正直気難しく考えていた。にゃんこ様と会ったことや、石井道夫と遭遇したこと、猫拳のこと。当然追及されると思っていた。でも、実際は違った。こうして鍋を囲っていると張り詰めていた気はほぐれ、母が言うようにあまり肩肘張らなくていいのかもしれないと思った。


 空雄はさっそくサーモンをしゃぶしゃぶした。なんでだろう、サーモンの味なんて変わるものでもないのに、きょうのは特別おいしく感じた。父と母は目の前で何げない会話をして、小春はおいしそうに野菜をもりもり食べている。いつもの風景。大好きな人たちと、こうやってご飯を食べる。だからおいしいのか。


 箸も持たず黙っている流太の前に、具の入った皿が置かれた。「召し上がって」母が柔らかい口調で言う。流太は驚いた目を母に向けたが、どこか遠くを見ているみたいだった。すっと視線をそらし、流太は箸を持ち黙々と食べ始めた。いろんなことを教えてくれる饒舌な時と違って、今の流太は借りてきた猫みたいだった。


 夕食を食べ終えた後は、みんなでテレビ番組を見たり、順にお風呂に入ったり、何一つ変わらない奥山家の夜が続いた。ここへ来た明確な理由は、家族を安心させるため。しかし、あまりにリラックスし過ぎてそれすら忘れそうだった。流太はお風呂を遠慮したが、空雄は遠慮なく湯舟に漬かって至福のひとときを過ごした。やっぱりわが家はいい。これぞ実家の安心感。すっきりして風呂から上がると、居間で流太と母たちが何やら話していた。


「お風呂上がったよ」


 声を掛けると母が笑顔で応えてくれた。それほど深刻な話ではなさそうなので安心した。それもそうだろう、小春なんて流太に懐いてしっぽや耳を触って大興奮していたのだから。


「空雄、話すんだろ?」


 流太は言った。わざわざ風呂から上がるのを待っていてくれたらしい。


 父が温かい緑茶をいれ、全員がソファや座布団に座ったところで空雄は話し始めた。まずは猫神社の神様、にゃんこ様こと猫善義王に会ったこと、鳥居の前で石井道夫と遭遇したこと。細かいことではにゃんこ様からもらった着物や首輪、猫戦士の戦い方、体の仕組みについても。多少前回と重複した部分はあったが、何度聞いたって常識離れした話の数々。理解を深める上では無駄ではないはずだ。話の全てを聞き終えた時、何とも言えない空気が居間に漂っていた。


「いつでも帰って来て」


 小春は開口一番そう言うと、突然空雄と流太の手を取って笑った。どこか無理をしている笑顔ではあったが、目の

奥には純粋な慮る気持ちが透けていた。空雄はしっかり小春の目を見てうなずいた。


 そろそろ帰ろうという時、父が車の鍵を持って立ち上がった。本当は家にいてほしいのだろう、その目はどこか悲しげに見えた。


「神社まで送ろう」


「大丈夫だよ、父さん。ありがとう」


 空雄と流太は家族に連れ添われ外に出た。空雄は耳をフードに、しっぽをズボンの中に隠した。月が高く昇り、夜道を歩く人の姿はまばらだった。


「お兄ちゃん」


 不安そうな小春の声が後ろからした。振り返ると、視線を下げながらもじもじする小春が空雄の袖をつかんでいた。


「大丈夫だよ、小春。いつか必ず元に戻る」


 空雄は小春の肩に手を置いて言った。


「約束だよ」


 小春は言った。目にはうっすら涙の膜が張っていた。大丈夫、なんて言われたって、そりゃ不安だよな。自分だって不安なのだから。


「約束する」


 小動物みたいにおびえていた弱々しい小春の顔は、目を合わせると穏やかになり、笑顔になっていった。

 空雄と流太が坂道の角を曲がるまで、小春たちは手を振り続けてくれた。やがて完全に見えなくなり、夜の静寂が2人を包み込んだ。やっぱり二足歩行はいい。人間と猫の狭間で生きる今の自分が、人間に戻る道しるべを見ているようだ。


「ふっきれた?」


 流太は顔をのぞき込むなり言った。


「ふっきれたと言うより、みんなの顔を見たら安心しちゃって」


「あんたの家族は本当に優しいな。餞別の品をこんなにたくさん」


 流太は大きな袋にたんまり入った猫のご飯を見て言った。母が家を出る直前に家中にある食べ物を詰めてくれた。それに、この先困らないようにと数万のお金ももらった。


「餞別なんて。俺たちは遠くに離れるわけじゃありません。同じこの町にいる」


「それにしては、今生の別れみたいだった」


 確かに別れる時はさみしかった。でも、心なしか今は安心感の方が勝る。


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