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『猫の手、貸します』

作者: morko

 私は猫。名前はたくさんある。前の名前はハナ。ウメばあさんがつけてくれた。その前は船乗り猫で名前はツナ。そのまた前は古風にタマ。いまの名前は……えっと、なんだっけ?


 ともかく私は鼻が利く。たった一つの匂いに関してだけ。それは疲れた人間が放つ匂い。独特の匂い。いい匂いだとは思わない。

 こちらまで膝をつきたくなるような、うっ、と胸の詰まるような匂い。なにもかも忘れて海にでも出かけてしまいたくなるような、解放を待ち望んでいる、暗い匂い。


 今日はクンクン鼻が利いたので開店します。店の名前は『猫の手、貸します』。そのまんま。こんなへんてこな名前の店に来るなんて、相当疲れているんだね。お客様にはいつも同情してしまう。

 猫の手なんて借りて、あなたいったいどうしたいっていうの。それで事態が好転するとでも思っているの?

 思っていても口にはしない。二本足でてくてく歩いて、表の札を『開店中』の表示に裏返す。



 カランコロン。ほんの数分後のことだ。いい加減に錆びついたドアベルが来客を告げる。診察室から待合室へ、走ってお出迎え。

 今日のお客様はスーツを着た髪の長い女の人。香水の香りがプン、と香るけれど、それでは誤魔化しきれないくたびれた匂いがする。とくに頭がくたびれている。ああ、クンクン。なかなか匂いが強い。


「いらっしゃいませ〜」

「あの……その……」

「外の看板を見て、来てくだすったんですよね?」

「はい、ええ、そうなんですけど……」

「どうかなさいました?」

「具体的に、なにをしてくださるのかと、気になって……」


 たとえばあなた、パソコンは使える? なんて。まさかそんなことを猫に訊くとは。

 相当だ。相当疲れているぞ、この人。はやく手を貸してあげないと、そのうち、ふいに倒れてしまうかもしれない。

 しかし私は、嘘はつけない性分なので、きっぱりと答えた。


「パソコンは使えません」

「ああ……」


 女の人は、ふわふわの長い髪に手をつっこみ、その場にしゃがみこんでしまった。


「そんな……頼みの綱が……」


 頼みの綱? 笑わせてくれる。このまろい手で、キーボードを打ち分けられるわけがなかろう。可哀想に。少し頭がおかしくなってしまっておられる。クンクン。やっぱり頭が問題だ。

 目の前でおよよとうなだれられても、私はとっくに慣れっこなので、気にしない。気にしないことはなによりもよく効く薬だ。


「ごほん、ともかく」


 もっともらしく咳払いをして、冷えた床に膝をついたまま動かない女の人、もといお客様に声をかける。


「こちらへどうぞ、お越しください。お約束どおり、猫の手、貸します」


 そう言ってにっこり笑いかけてさしあげると、お客様は、濡れた頬に髪の束をくちゃくちゃ貼りつけながら、はい、と蚊の鳴くような声で返事をした。





「あの、えっと」

「なんですか?」

「ここに寝転ぶんですか?」

「ええ、ええ」

「……ほんとうに、ここに?」

「ええ。ブランケットのご用意もあります」

「ああ…そう……」


 初見のお客様は、うちの立派な診察台を見て、たいていこういう反応をする。常連のお客様曰く“無骨で不気味な実験台”らしい。


「なんだか……実験台みたいですね」


 ほらやっぱり。いくらポジティブな私とて、これが褒め言葉でないことは、じゅうじゅう承知している。

 あとは、電気ショックでもされるのかと思った、などと感想を述べる客様も多い。まったくもって失礼極まりない。私はいつも憤慨する。あくまでも心の中で。

 たしかに年季は入っている。どこもかしこも錆びついて、それから硬くて冷たいし、力がかかるとギシギシうるさい、嘘みたいな寝台だけれど。まったく、うちのやり方に、文句を言わないでほしいものだ。

 ……ところで、これ。どこの病院から拝借してきたものだったかな。


「あ、こちらが頭で、こちらに足を。お靴は脱いでください。お鞄、お預かりします」

「あ、はあ……はい……」


 天井からは、たった一つの裸電球が一本ぷらりと垂れ下がり、ちらちらかちかち光っている。そのほかに明かりになるのは、正面の窓から漏れる月明かりだけ。この暗がりが、仕事上、じつに都合がよい。


「なんだか、おっかないわ」


 ふむ。どっしりと重たいお客様の鞄を診察台の横のかごにつっこんで、私は考える。こちらがどれだけてきぱき準備を済ませようと、お客様の心が伴わなければ意味がない。

 とりあえず、床に座って毛づくろいをはじめることにする。私は待てができる猫。辛抱強く、場が整うのを待てる猫。


「あの、はじめてなので、少し緊張していて」

「みなさんはじめはそう言われます。ぺろぺろ」

「だって考えてもみてください。猫が立って、話しているんだもの」

「ぺろぺろ。それもよく、言われます」

「ああ、私、この猫の人の言うとおりにしていいのかしら……」

「なに、ぺろぺろ大丈夫です。すぐ済みます」

「その……なにが、とお伺いしても?」


 会話しながら観念したらしく、診察台に乗り上げて、からだを横たえるお客様。あざやかに縁どられた茶色い瞳が、床で丸くなる私をじっと見下ろしている。ふんわり豊かな髪を、からだの下からすくい上げながら。


「それはもちろん、看板にあるとおりですよ」


 お客様が脱ぎ転がした黒いハイヒールを二つ揃えて並べながら、私はすっぱり答える。


「猫の手、借りに来たんでしょう?」


 お客様は、なるほどたしかに、といった様子で一つ静かにうなずいた。

 私は出窓の部分にひょいと飛び乗り、清潔で柔らかいブランケットを両手で抱えて、つぎに診察台へと飛び移る。そしてそれを優しく、うやうやしくお客様の腹の上にかけた。ありがとう、と小さく声がかかったので、私もにっこり微笑み返す。

 それからお客様の頭の上まで移動して、いざ、『猫の手、貸します』開店、開店。


「はいでは目を閉じてください」

「は、はい」


 私の声に、お客様の肩がこわばったのが目に見えてわかった。猫一匹に、そこまで緊張することなんてないでしょう。あなた立派な人間でしょう? 口には出さないけれど。

 はー、っと息を吹きかけた両手を、お客様の顔の前につきだす。そして、瞼めがけて振り下ろす。


 ぽむ。


「まあ!」


 たいていここで歓声が上がる。私はひそやかにほくそ笑む。


「なんて柔らかいのかしら」

「そうでしょう、そうでしょう」

「瞼が、ふくふくの肉球を感じます」

「でしょうね。乗っけていますのでね」

「とってもポカポカするわ」

「このままじっとしていますから、お客様も、ゆっくりくつろいでくださいね」

「…………は、い……」


 そう言うころには、お客様はもう夢の中。

 私は自慢の肉球を駆使して、ぐにぐに、ぷにぷに、優しくお客様の目のコリをほぐす。私の手は、まさしくゴッドハンドなのだ。ふふふ。



 それではしばらく、おやすみなさい。





 くるり。肉球の下、瞼の奥で、お客様の目玉が動いたのがわかった。私はそっと手を離す。


「お疲れさまでした」

「わっ」


 お客様が飛び起きたので、私はころりと床に落っこちた。まあ猫なので問題はない。


「何時間寝てました?!」


 ふふふ。私は床をてこてこ歩きながら笑ってみせる。


「たったの五分少々ですよ」

「うそ! ぐっすり眠った気分なのに!」

「お靴はこちらです。お鞄はこちら。ブランケット、ちょうだいします」


 お客様はいざなわれるままにいそいそと帰りの支度をして、診察台からひょいと飛び降りた。


「どうでした?」

「猫の手、お借りしてよかったです」

「それはどうも」


 私は得意になって、むん、と胸毛を膨らませてみせた。


「えっと、お代は……」

「結構ですよ、初回無料キャンペーン中ですからね。次回からは、猫に人気の、あのぺろぺろを持ってきてください。あの、ぺろぺろですよ。サービスします」

「ああ、ああ、はい。わかりますわかります。そうね、いつも鞄に入れておくようにします」


 お客様、もとい女の人はそう言って笑ったけれど、おいおい。そんなの冗談じゃない。

 私は全身の毛を逆立たせた。


「こんなところに、二度、三度と来てはいけません。くたびれたら、自分でわかるでしょ? そうしたら、休憩するんです。アンダースタン?」


 女の人はぽかんと口を開けて、それからふふ、と笑った。


「ええ、そうですね。そうします。それがきっといいわ。猫の人、ありがとう。それじゃあ」



 月明かりを背に、女の人はあの鈍器のような鞄を軽々背負って帰っていった。頭の匂いはだいぶ薄まっていて、少なくとも、もう突拍子もなく電車に揺られて海まで行ってしまう恐れはないだろう。服に染みついた匂いなんかは、洗濯すればキレイに落ちるし。

 リピーターにならなければいい。そう願いながら私はじっと背中を見送る。いまのところ、リピーター率は半々くらい。まったく人間というのは、困った生き物だ。


「ふう。とはいえ今日も、いい仕事をした」


 クンクン、クンクン。

 よしよし。今日はもう、お客様は来ないだろう。

 私は二本足でてこてこ歩き、表札を『閉店中』に戻して、それから四本足でぴょんこぴょんこ、路地裏の寝床へ帰った。





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