2 政務の混乱
家庭不和を起こしてまで国王陛下に仕えていたナルディーニョは、帰国して翌日退職届けを出した。誰の引き止めにも耳を貸さず、その引き止めさえもうるさく感じていた。なので、その日のうちに妻とともに領地へ戻ってしまった。これ以上宰相の決断を止められる者などいなかった。
その際、ナルディーニョの片腕であり宰相補佐官でありナルディーニョの息子でありランレーリオの父親のコッラディーノも退職して、王都の屋敷で隠居することにした。コッラディーノも妻に申し訳なく思いながらも、国を憂いて働いていたのだ。父親ナルディーニョとともに即決だった。
王太子と王妃はそれを知って慌てたが、すでに宰相室はもぬけの殻で、文官たちがパニックを予想して泣いていた。
当の国王は文官たちにもできるだろうと、タカをくくりふんぞり返っていた。
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厳しいことで有名であった宰相と宰相補佐官が消えたのだから、それはそれは王城政務はパニックを起こした。それも『超スピード!』たったの1週間だった。
国王陛下が山積みにされた書類に癇癪を起こしたのだ。
「政務で精査した上で持ってまいれっ! 今までこのような書類の山は見たことがないわぁ!」
国王陛下は書類の山を撒き散らした。数名の文官が必死で集める。ホッチキスもクリアーファイルもないのだ。書類が混同してしまうのは自明の理だ。混同した書類をまた並べるのは至難の技だ。
「「はぁ……」」
文官たちの小さなため息が聞こえた。
「今までは、コッラディーノ殿が精査した上で、ナルディーニョ殿がさらに精査しておいででしたので少なかっただけでございます。わたくしどもにはその精査は無理でございます。どうか国王陛下がご判断くださいませ」
紙を拾わない高官が恭しく頭を下げながらも強気で発言するのを、国王陛下は渋顔で睨んだ。
この高官もナルディーニョたちほどではないにせよ、時間をかければ精査ができないことはない。だが、ナルディーニョたちを間接的に首にした国王陛下に意趣返しをしているのだ。
どうせ遅かれ早かれ、彼らがいなくなった時点でパニックは必至だ。なら、早くそうなることが、早く彼らを戻すことになる。この高官やそのまわりの者たちは、そう考えて覚悟を決めていた。
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国王陛下は、精査などせずすべての案件をチェックせずに通してしまうという暴挙に出た。とにかくサインをしている時間しかないのだ。これを精査するなど、無理な話だ。
『どうせ、みなそれぞれ工夫と考察のうえ提出しているに決まっているのだ。問題ないっ!』
『迷王』はここで迷ってくれればまだよかったのだ。なぜかここでは迷いもせず『サインだけをする!』と即決した。
高官たちの中には、自分たちの領土の発展や、自分たちの便利さや、自分たちの賄賂の金額を上げるために件案を出している者が少なからずいる。
真面目な高官であっても、夢ばかりが大きすぎて、今は必要ないものを希望し、悪気なく件案を出している者もいる。
もちろん必要ではあるが、今やらなくてはならないわけではない件案だってある。
それらを、ぜーーんぶ通した。
すると当然ながら途端に国庫が激減した。
それまで、国王陛下へ渡される書類はナルディーニョのチェックをパスしたものであったので、迷王はサインすれば済んでいたのだが、その精査にもきちんと理由があったのだ。
ナルディーニョは『国民に優しく、子供は国の宝』という前国王陛下の考えの元、政務を行ってきたので、税はさほど厳しいものではなかった。そのかわり、無駄を省き事業も精査した上で、破棄・戻し・保留・採用を決めていた。
さらには、国王陛下から下りた案件も滞る。
ナルディーニョとコッラディーノは、採用案件を下ろす前に、何処に指示を出すか、どこに在庫を確認するか、どこへ発注するか、人数確保をどこでするか、細かく指示を書いていた。
なんの指示もない案件書を前に、無能な高官は唖然とする。
有能な高官は、以前ナルディーニョたちが下ろした似たような案件を探し出し、それにそってやっていく。それでも、その場で指示をするナルディーニョたちの数十倍の時間がかかる。それもそのはず、以前の案件が項目通りになど並んでいるわけはないのだ。文官総出で似たような案件を探し出す。
案件が下りた時点で予算は発生する。待たされている者たちにも、給与は発生するのだから。予算は予定より大幅に増えて、さらに国庫を圧迫した。
さらに慌てた財務大臣が増税を決め、国王陛下はそれも採用してしまったので、子爵家男爵家からの不平不満も溜まっていった。
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『迷王』は『ナルディーニョがいないから』とだけは言われたくなかったのだ。
いや、自分がそう思いたくなかったのだ。
ナルディーニョが呆然としていたあの瞬間、胸がスキッとした。
『ヤツにもどうしようもないことがあると教えてやれた』
それだけだった。それだけでよかった。
まさか、ここからいなくなるなんて……。ナルディーニョが仕事を手放すなんて思わなかったのだ。
国王陛下はいろいろと見誤っていた。
普通の者なら家庭不和になった時点で辞めていた。ナルディーニョだから、我慢して、責任感を優先させ、国を優先させ、辞めなかったのだ。
これぞ『迷王』だ。国を見事に迷子にさせた。
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政務のそんなパニックに頭をかかえたのは、1年後に婚姻の儀を予定していたまだ学生の王太子であった。このままでは、婚姻の儀を執り行う予算はないし、この国庫を見たら東方の国の王女様である婚約者から婚約破棄されかねない。
王太子は母親である王妃殿下と話し合い、父王を隠居させ、ナルディーニョに戻ってもらうことにした。ナルディーニョ宛に何度も何度も手紙を書いた。さすがに領地には簡単には行けないので、ナルディーニョが一番かわいがっていた例の国王陛下に意趣返ししていた高官を勅使にして向かわせた。
しかし、ナルディーニョは簡単には頷かなかった。
「国王陛下の暴挙を許し実の孫を不幸にしたのは、わたくしです。今更戻るつもりはありません」
ナルディーニョは断固拒否して戻ることはない様子であった。
それでも、どうにかしたい王太子と王妃は、お忍びで王都のデラセーガ公爵邸を訪れた。王都内であれば直接お願いに行けるのだ。
対応したのはランレーリオの父コッラディーノだった。
「お二人がわざわざ足まで運んでくださったことを無下にはできませんね。王太子殿下が国王になられるときに、わたくしも宰相となりましょう」
コッラディーノは、きっちりと条件をつけて引き受けることにした。
そして、ランレーリオが10歳の時、急遽、現国王陛下並びに現宰相となった。新国王はまだ18歳であった。そして、それとともに新国王の婚姻の儀も執り行われた。
コッラディーノは止められる案件はすべて止めて、再検討の末ほぼ中止とした。残ったものも全て行うのではなく、順番を決めて行うことにした。
増税はすぐに減税するのはまたトラブルの元になるので、数年かけて戻すことにした。結果的にその増税によって国庫の破綻は免れたし、婚姻の儀も執り行うことができた。
と、政務としては、数年はかかるが元に戻る手立てはできた。
そうそう、『迷王』の功績としては『過去の案件書類はわかるように整理しよう』と書庫整理係が生まれたことだろうか。それはそうであろう。過去の案件がすべて頭に入っており、新しい案件にも何も見ずに指示ができる者など、デラセーガ公爵一家以外いるわけがないのだ。
これなら、もしものときでも時間はかかるが、過去の案件を元に動きを指示できるようになるだろう。
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その頃から1番頭を悩ませていたのは、アイマーロ公爵家であった。大醜聞を一人で背負うことになったロゼリンダのことである。
ゼルジオ・アイマーロ公爵は王城においては外交を担っているが、最近、政務が滞りなかなか外交に行く予算も下りず、日程もはっきりしないため仕事として暇な分、娘を溺愛する時間が増えていた。溺愛する分悩みも増えた。
『9歳で婚約破棄となり、さらには隣国の王太子に公の場で振られた令嬢』
「あの外交に私が行くべきだった。まさか私の長期外交のうちに向かわれてしまうとは……」
ゼルジオにとっては外交から戻ってみれば、娘の婚約破棄と隣国への輿入れが決まっており、その輿入れの外交にもすでに出発されていた。ロゼリンダの祖父は女達の話を素直に聞く人ではなかった。
「私がいても止められなかっただろうけどな」
ゼルジオは何度も小さなため息をついた。
ロゼリンダにはいつでも醜聞がついてまわった。国王陛下が勝手に決めたことであるのに、醜聞では、そちらのことは問題にならないらしい。
「ロゼには何の落ち度もないのに、噂とはなんと恐ろしいものだ。ロゼがどこに嫁ごうとも公爵家として全力で後押ししよう」
ゼルジオは一人でそう誓っていた。
しかし、その心配の上を行く事態になっていた。「どこに嫁ごうとも」の「どこ」がないのだ。
ロゼリンダが12歳になった時、ふと周りを見てみれば、婚約者がいない同年代の高位貴族はいなかった。
スピラリニ王国は、とても珍しい州制である。王家管轄領地以外の20州をまとめるのは、公爵家2家、侯爵家5家、伯爵家13家であり、それぞれの州の中に子爵家男爵家の領地がある。なので、公爵令嬢といえど、自分の州の子爵家になら嫁ぐことも十分にある。しかし、同州の子爵家でも、上位の者たちは年齢が合わない者ばかりであった。かといって、下位子爵家は、恐れおおいと遠慮ばかりしていた。男爵家ならもっとそうだろう。
「ロゼはこんなに可愛らしいというのに、まさか公爵の名が邪魔をするとは……」
ゼルジオは一人で頭を抱えていた。
それでも、コッラディーノが宰相になると、政務がいきなり動き出し、外交大臣のゼルジオも忙しくなってしまい、なかなか国内でロゼリンダの心配をする時間がなくなってしまった。
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