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片時雨のイーリス  作者: せき
第一章
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5話

 雨乞いの儀の会場はすぐにわかった。昼間は露店が密集していて見通しがきかなかった目抜き通り中心部こそ、中央広場だったのだ。

 露店は既に撤去され、代わりに円形の舞台が組まれている。儀式を見るために、あちこちから人々が集まって来る。

 空模様は頭上を見上げるまでもなく、どんよりとした雨雲が埋め尽くしているのが湿った空気から分かる。実際に見上げれば、星どころか月だって拝むことはできなかった。昼間の心配が嘘のようだ。雨乞いの儀をするまでもなく、雨はじきに降ってくることだろう。

 おいらたちは職業柄、行く先々で雨乞いの儀に遭遇するが、実際にそれを目の当たりにすることはない。なぜなら、おいらたちがそこに到着する頃には雨が本降りになっていて、儀式もめでたく雨天中止になっているからだ。おいらたちが目にするのは、雨の中行われる祭壇の解体作業ばかりで、たまに儀式に出くわしたと思えば、既に恵みの雨に感謝の気持ちを捧げる祝祭に変わっていることばかりだ。

 だからおいらたちは、雨乞いの儀そのものには全く縁がなかった。

 そういうわけで、イーリスは初めての雨乞いの儀を特等席で見るために、儀式の始まりを待つ人混みに突っ込んだ。その小さな体を最大限利用して、見事最前列に分け入る。

 イーリスが舞台上に向ける眼差しは期待に輝いていて、先ほどの店での硬直した表情は既にない。トラウマの根本的な解決の見通しは一向に立たないが、切り替えが早くなっただけマシか。旅に出た当初は、本当に酷かったんだぜ。

 昔のことを思い出してため息を漏らしそうになった時、イーリスが動いた。


「あっ、はじまる!」


 誰よりも早く変化に気づいたイーリスが指さす先。

 いつからそこに居たのか、闇に紛れてうずくまっていたシルエットがすっと起立した。

 周りの灯火に照らし出されたのは、柄杓を携えた小柄な女性、雨乞いの巫女だった。

 褐色の肌を惜しげもなく晒す黒い服装は紐といってもいいほど細く、大切な部分を必要最小限に隠せれば充分だと考える怠け者のようだ。艶やかな漆黒の髪は背中に届くほど長く滑らかに波打ち、大きな黒目がちの瞳は、闇の中にあって爛々と輝いている。きりっと上を向いた細い眉は凜々しく、口元を黒い布で覆っているせいで表情が読み取れず、一層神秘的な雰囲気を醸し出している。

 雨乞いの儀を見るのは初めてだが、おいらにだって一目見ただけでわかる。

 この巫女は、相当の実力者だ。彼女はただゆったりと立っているだけなのに、観衆は皆、瞬きするのも忘れて見入っているのが何よりの証拠だ。

 そんな魅惑の巫女が、ふいにするりと動いた。手に持っていた柄杓をさっと振ったのだ。

 中に入っていた液体が前列の観衆に浴びせられ、否応なくちょっとしたざわめきが起こる。

 最前列に陣取っていたおいらの頭にも一粒かかった。


「お、これは、水じゃねぇな」


「そうなの? お酒?」


「ん、どうかな……」


 ここですぐに神酒を連想するのは伊達に旅はしてないなと褒めたいところであり、おいらとしても真っ先にその可能性を疑った。だが、どうも発酵飲料の肌触りとは違う。この液体がもし酒だったら、おいらの粘膜は焼けるように痛むはずなのだ。だから、少なくとも酒ではない。


「わからん。ま、おいらは効き水のプロってわけでもねぇし」


 言い訳をしつつも、舞台の少女からは目を離さない。

 何らかの儀礼に則っているのだろう、空になった柄杓を幾度か払ってから、巫女はそれを高らかに掲げ、ゆっくりとした動作で舞い始めた。


「へぇ、柄杓を使った舞踊か」


「きれい……」


 指先まで繊細さが宿った見事な舞いに、イーリスはため息を吐く。柄杓を自在に操りながら踊るその様は実に洗練されている。

 だが、緩やかな振り付けの優雅な舞いは、唐突に終わりを告げる。

 巫女が両手を大きく開いて跳ねたのと同時に、雷が落ちた。

 誰もがそう錯覚するほど度肝を抜かれたのは、突然始まった太鼓の音だった。

 その太鼓を号砲とばかりに、笛や弦楽器の音が加わって、たいそう賑やかな音楽が踊りを盛り立てる。舞台裏に楽隊が編成されているのに今更ながら気づいく。

 心地よいリズムと雅びな旋律。なかなかの演奏だ。

 だが、圧巻はやはり巫女の演舞だ。

 その舞いは太鼓に合わせてテンポを速め、ステップも複雑を極めていく。

 音楽と舞いの完全なる融合がそこにあった。

 だからといって、その激しいくも美しい音楽と舞踊の競演につられて、歌えや踊れを始めるような輩は一人としていない。

 誰もが祭壇上の巫女に魅せられていた。

 そう、おいらにだってわかる。

 この舞いは、人々に雨乞の力を信じさせるに充分な神秘性を孕んでいた。

 しかもそれは、ただの虚仮威しに終わらない。


 ――ぽつん。


 おいらの頭に液体がかかった。今度は柄杓から飛んできたわけじゃない。

 つまり。


「雨だ」


 頭上を埋め尽くしていた真っ黒な雨雲から、満を持して雨粒が垂れてきた。

 ぽつ、ぽつ、と雨粒が増えるに従って、巫女に魅せられていた観衆も徐々に気づきはじめる。

 最初は小さかったざわめきが、すぐに大歓声に変わった。

 雨脚も一気に強まり、本降りへと如才なく移行する。

 人々は手と手を取り合って、恵みの雨の喜びを分かち合っている。

 いつの間にか、音楽の演奏も止まっていた。楽隊は雨から楽器を守りながら、一息ついているところだろう。

 ほっと安堵の一息をつきかけたその時、おいらは気づいた。

 喜びが中央広場を満たす中、一人だけ様子がおかしい人物が居た。

 先ほどまで見事な舞いを演じていた、雨乞いの儀の主役たる巫女その人だ。

 巫女は自らの体を抱くようにして、内股で体を震わせている。


「あっ……あんっ」


 雨粒が肌を打つたびに、巫女の唇から声が漏れる。その声が、妙に艶っぽい。


「あっ……ひゃん、やぁんっ……」


 雨脚が強まれば、当然巫女に当たる雨粒も増える。それに従って、巫女の口から漏れる鼻にかかった声が熱を増す。


「ああっ……あん……あ、あ、あっ……あぁぁ……はっ……はっ……はぁんっ」


 膝頭がかくんかくんなっており、いつ倒れてもおかしくないな、と危惧した矢先だった。


「……あめやらぁ……あめらめぇっ!」


 巫女は嬌声を上げて、ついに舞台上にくずおれた。間の悪いことに、ちょうどその時、雨が松明の炎を消した。舞台に注意を向けた一部の観衆が巫女の異変に気づいて、いくつもの瞳が何事かと巫女を凝視する。その間も雨粒は容赦なく巫女の全身を嬲る。


「あぅっ……あんっ! あんっ! あんっ! ああぁんっ! はぁん! らめっ!やぁっ!」


 見れば目元から涙まで流しているではないか。先ほどの完璧な演舞とのギャップに、おいらは巫女のことを見誤っていたことに気づく。彼女は女性と言うにはまだ早い、年若い少女だ。

 だが、わかるのはせいぜいその程度だ。これが儀式の一環なのか、何らかのハプニングなのか、おいらに判断する材料はなかった。観衆も、どうして良いのかわからずに突っ立っていることしかできない。楽隊や関係者らしき装束の人々が動かないところを見ると、こういうものなのか、と、見守る以外はない。

 それにしたって、どうも少女を辱めているような気がして、おいらの良心が咎められるんだがなぁ。

 と、心を痛めながら喘ぐ巫女を見守っていたところ、ふいに桶の水が波打った。

 そうだ。イーリスはこの様を見て何を考える?

 おいらとしたことが、儀式にのめり込んでしまって、失念していた。



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