42話
吹雪に背中を押されて歩いたのは、正午過ぎまでだった。その頃には、むしろ吹雪が懐かしくなるようなさらなる悪天に、イーリスは歯を食いしばっていた。
冷たい雨が顔面を容赦なく叩き、暴風に足を掬われそうになる。イーリスは細めた目でメテオーラの背中を見据えながら、必死に食らいついていた。
これが、雨女二人が道を同じくするということなのかと痛感せざるを得ない。この暴風雨に直面すれば、オンブロス協会が世界に如何程の貢献をし、如何様にして莫大な富を築いているのか、漠然とではあるが想像できるというものだ。底知れない分余計恐ろしい。
現状を鑑みれば、はっきりとおいらも思う。この異能の力は、管理されねばならないと。
そしてそれと同時に思い浮かぶのは、やはり遠い昔の光景だった。
イーリスも、あの日のことを思い起こしているのだろうか。
それを確認する勇気は、おいらにはまだない。
メテオーラの背中に括られているセナの様子は、後ろからではわからない。この雨風が調子の悪い体に良いはずがないが、メテオーラは最大限セナの負担を和らげている。よくわからないが、どうもセナに直接雨風が当たらないように、何らかの魔法をずっと使っているようなのだ。
最善は尽くしている。これ以上は対処のしようがない。
登山口に差し掛かったところで、見覚えのある小屋が目に入った。
先行するメテオーラが木戸に手をかけて、躊躇いなく開いた。
「お邪魔します!」
メテオーラに遅れてイーリスも小屋に入る。暴風に晒されてそこら中がガタガタ音を立てているが、幸いなことに雨漏りはない。暗い室内に明かりを灯そうと、イーリスがリュックの中からランタンを取り出して火を付ける。
「険しい旅になりそうですね」
セナを下ろして具合を見ながら、メテオーラは静かに述べた。口の中からおいらを吐き出したイーリスは、瓶から飴玉を出してメテオーラに分ける。
「セナちゃんも、舐める?」
イーリスがセナの口元にサイダーの飴玉を持っていくと、セナは目を細く開けて飴玉を咥えた。そのまま、ゆっくりと口の中に落とす。
「……美味しい。ありがとう」
か細い声ではあるが、意識はしっかりしている。かと言って状況が好転しているわけではないのだから油断はならない。
「背負われているだけでも体には大きな負担がかかるものです。ですが、我慢してくださいとしか私には言えません。本当にごめんなさい」
「あんたのせいじゃないさ。とにかく休憩だ。そんで、今日中に山を越える。だろ?」
おいらは当然頷きが返ってくるものだとばかり思っていた。
だが、メテオーラは予想に反して難色を示した。
「そうしたいのは山々なのですが、この山を越えた後は沼地が続きます。宿や小屋は一切ありませんし、暴風雨はこの先ずっと続くでしょう。洞穴どころか木々さえない沼地での野宿は不可能です。そもそも前提となる山越えすら夜は危険ですし、この悪天候ともなればなおさらです。期日を考えなければ、朝を待ちたいというのが正直なところですが……」
あまりに絶望的なメテオーラの物言いに、おいらは業を煮やして口出しする。
「もう、町に戻って馬車に乗って行けば良いんじゃないのか? 山を迂回することになるから距離は長くなるだろうが、それでも三日あれば間に合うだろうよ」
「それはなりません。理由は、ご存じかと思っておりますが」
「どうしても、だめなの?」
イーリスの問いに、メテオーラは重々しく頷く。
「ということは、知らされていないのですね、いえ、何がとも言えませんし、どうなるとも口にできません。つまり、そういうことなのです」
ばあさんと似たような言い回しをするな。血は争えないとはこの事か。
ひとつ、馬車等の乗り物の使用を厳禁とする。
要するに、オンブロス協会とのこの約定に違反したら、ただならぬ罰が下ると言っているのだ。指令書の件といい、どうもおいらたちは約定に対する認識が甘かったらしい。
「メテオーラさん、さっき魔法、使ってたよね?」
突然、イーリスがそんなことを口にした。
不意を突かれたメテオーラは、ぽかんとするものの、すぐに気を取り直して答える。
「ええ、よくわかりましたね」
「あれって、どんな魔法なの?」
魔法使いとしては己の魔法については秘密にしておきたいものだし、聞かないのがマナーというものだ。
だがメテオーラは、イーリスの率直すぎる問いに、一瞬の間も置かず答えた。
「風を、操ります。さすがにこの暴風を収めるような真似はできませんが、ある程度なら」
「それでセナちゃんには、雨、当たらなかったんだ。そっか、風を操ってたんだ」
顎に手を当てて、イーリスはふんふんと頷いている。
一体何を企んでるんだと思った矢先、イーリスはリュックの底から寝袋を出し始めた。
「メテオーラさん、今日はもう、ここに泊まろう」
「えっ、でもまだ昼ですよ。もう足を止めるのですか? それでは間に合わなくなります」
「うん、わかってる。でも、間に合わせる。乗り物に乗らなければ、いいんでしょ?」
その言葉に、メテオーラは目をしばたかせた。
そしておいらは、得体の知れない不安が胸に込み上げてくるのを感じざるを得ない。
「ピュイもしっかり休むんだよ! 明日は、頼むからね!」
駄目押しの一言に、おいらの不安は最高潮に高まった。
こいつ、絶対、危険極まりないことを企んでるぞ。
「一体、何を思いつかれたのですか?」
メテオーラも実に不安そうな面持ちだ。セナまで青白い顔をイーリスに向けている。
そんな皆の気持ちなどお構いなしに、イーリスは濡れたコートを脱ぎ捨てて、すちゃっと寝袋に潜り込む。
「ないしょ!」
言って、蓑虫と化したイーリスは、皆の視線を浴びる中、すぐに寝息を立て始めた。