36話
サルより北へ四十マイルほどに位置する山際都市、カカルに到着したのは夕暮れ時だった。懸念していたセナは雨の中でも健脚を見せ、ほぼペースを落とすことなく街にたどり着けた。
しとしとと雨が降り続けるカカルの街中に人の行き来はまばらだが、目抜き通りの左右に並ぶ石造りの建物からは暖かい明かりが漏れている。どの建物にも大きなガラス窓がはめ込まれており、中の様子が一目で分かる。食料品店に雑貨店、レストランなど様々だが、イーリスはすぐに目的の看板を見つけると、脇目も振らずにその店に向かい、ドアを開けて飛び込んだ。
「わぁ……凄い」
感嘆の声を漏らしたのはセナだ。
イーリスはと言うと、早速所狭しと並べられている商品を舐めるように吟味している。
小ぶりな店内を立体的に埋め尽くしているのは、ありとあらゆるお菓子だった。イーリスが駆け寄ったのは、カウンター前の飴玉コーナーだ。
ひとしきり眺めると、イーリスは予想通りの台詞を口にする。
「あの、これ、全部ください」
カウンターで新聞に目を通していた小太りの女性店員は、小さな眼鏡を直してイーリスに目を向ける。
「全部だって?」
「一つずつ、全部」
「全部って、あんた」
店員が眉をひそめる間に、イーリスは一万カン札を勘定台に出した。そして、空の飴瓶をリュックから取り出して、店員に突き出す。
「これに入れてください」
店員は眼鏡の奥の目をしばたかせながらも、その飴瓶を受け取った。
重そうな腰を上げてカウンターから出くると、飴玉を一つずつ瓶に入れていく。瓶が満たされる前にぎりぎり全種類を収めると、今度はカウンターに戻って計算機を弾き始める。
「えーと、全部で一二〇三五カンだけど、それじゃ足りないよ?」
と言われたところで、イーリスはもう一枚万札を勘定台に出すだけだ。
店員は肩を竦めながら釣り銭を差し出し、飴瓶をイーリスに抱かせる。
「ありがとねー、またどうぞ」
イーリスが飛び跳ねながら店を出るのを、店員は最後まで横目で見ていた。
「お姉ちゃん、お金持ちだね!」
店先で傘を開きながら、セナが目を見開いて言った。
「でしょ。高給取りなの」
「あんまりお仕事してるように見えないけど……何してるの?」
「そ、それは……あっ、ほらあそこ!」
答えに窮して辺りに視線をさまよわせた先に、イーリスは一件の店を見つけて指さした。
「行くよっ」
飴瓶を小脇に抱えたまま、傘を差して通りに飛び出す。セナも慌ててついて行った店は、窓際に小綺麗な洋服を着せたマネキンの立つ、感じの良いブティックだった。
再び傘を閉じてからドアを開けると、中から柑橘系の上品な香りが漂ってきた。
「いらっしゃいませ」
店の奥の方から寄ってきてお辞儀したのは、パリッとした白いシャツに黒のパンツルックという、実に都会的な服装で武装した若い女性だった。またも小ぶりな眼鏡をかけているが、カカルの流行なのかもしれない。
こんな小洒落た店に子供二人で入るのは場違い極まりないが、イーリスは慣れたもので、財布から万札二枚を取り出すと、パンツルックの女性店員に差し出す。
「あの、この子の服を、買いに来ました」
突き出された万札にわずかに目を見開く女性店員だったが、目立った反応はそれだけで、唇の微笑は崩さない。そぶりからして、相当に手練れの店員と見て間違いないだろう。
「かしこまりました。お嬢様用のお召し物は、こちらになります」
建物の隅に案内すると、手練れの店員は息つく暇も与えずに服を取り出してくる。
「こちらのお洋服など、お似合いかと」
「あ、あの、私」
突然の出来事に慌てふためいて助けを求めるセナだが、イーリスはニコニコして答える。
「好きなの、選べばいいよ」
その一言に頷いたのは手練れの店員の方だった。そのままセナをフィッティングルームに連行する。
程なくして出てきたセナは、どうにも衣装に飾られているという風情だった。
「うーん……」
イーリスも首を捻って唸る。しかし、すぐにポンと手のひらを叩いた。
「そっか!」
言って、セナをフィッティングルームに押し戻して元の服に着替えさせる。
「あの、この近くに、宿ありますか? それも、お風呂付きの」
イーリスの質問に、手練れの店員は、手練れらしく眼鏡をくいっと上げて答える。
「それでしたら、ちょうどこちらの斜向かいにホテルがございます。ですがお客様、保護者の方はどちらに?」
当然の質問に、イーリスもまた当然のように対応する。
「いないです。わたしたちだけで旅してるから。でも、はいこれ」
言葉と共に取り出したのは、帝国免状だ。
さすがの手練れもそれには面食らったようで、目を丸くさせたが、それだけだった。
「なるほど、かしこまりました。私が紹介状をお書き致しましょう」
言葉と共に、手練れの店員は便せんを取り出して、書状をしたため始めた。
「お客様、差し出がましいかとは存じますが、そちらの免状はみだりにひけらかさないほうがよろしいかと」
美しい字を連ねる女性は、店員としてだけでなく、人間として極めて手練れと言えた。
イーリスとしても感じるところがあったのか、神妙に頷きを返していた。
元の簡素なワンピースに着替え直したセナが出てくると、イーリスは片手でセナの手を取り、もう片方の手で手練れによる紹介状を受け取った。
「ありがとうございます、また、すぐ来ます!」
言って飛び出すイーリスたちを、手練れは非の打ち所のない一礼で見送っていた。