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片時雨のイーリス  作者: せき
第三章
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35話

 母親に捨てられたのだ。


 アイトリアにそんな言葉をぶつけたイーリスだったが、その言葉が一番突き刺さるのは自分自身だった。イーリスは、誰よりも親の愛に飢えているのだ。

 だからこそ、あまりにも辛いセナの境遇に同情してしまったのだろう。

 というわけで、おいらたちはあの日の旅立ち以来初の同行者を得たわけだが、問題は山ほどある。


「セナちゃんって、傘、持ってないの?」


「うん、この辺はあんまり雨降らないし」


「あのさ、これから北に行くんだけど、たぶん寒いよ? 服、ないの?」


「ごめんなさい、上着とかは持ってない。着替えも、もう取りには帰れない」


 しゅんとするセナを見ればそれ以上何も言えなくなるが、状況は芳しくない。

 そうしているうちにも、歩けば歩くだけ夜の空模様は悪化していく。

 そしてついに、ぽつ、と、セナの肩に雨粒が当たった。


「わ、降ってきた! 雨だよ!」


 喜ぶセナを尻目に、おいらはイーリスの頭上で頭を抱える。イーリスもおいら同様雨の到来は予想済みなので、表情が冴えることはない。


「はい、傘」


 本降りになる前に、短くて軽い戦闘用折り畳み傘改を開いてセナに差し出し、自らは水飴玉傘を差す。協会支給の傘をセナに貸していいものか疑問だが、指令書の指示を反故にしている時点で、細かいことは気するだけ無駄だと開き直ることにする。


「ね、ね! 雨が降ったら、お兄ちゃん助かるよね!」


「とにかく、メテオーラさんを捜しに行こ」


「でも、降ったんだから、別におばちゃん見つけなくても良いんじゃない?」


 そもそもセナは、何のためにメテオーラを捜しに行くと思っているのだろうか。

 ばあさんがうまいこと言ってくれていることを願うばかりだ。

 際どい質問を投げかけるセナに、イーリスが答える。


「サルのほう、見てみ?」


「え?」


 疑問符を顔に浮かべながらも南を振り返ったセナの表情が、驚きに変わる。


「わ、なんか、雨雲がサルを嫌がってるみたいだね!」


 おいらとイーリスの表情が冴えない理由はもちろんそこだ。


「ね。なんか、呪われてるみたいでしょ」


 げんなりしながら嘆息するイーリスに、セナは思いがけず、笑顔を返す。


「お日様に愛されてるってことかもね!」


 言われて、イーリスは目を見開いた。おいらも、ちょっとした衝撃を受けた。

 雨に愛されているのがおいらたちだとしたら、アイトリアのやつは、雨を追い払っているわけではなく、太陽に愛されているのかもしれない。

 そんなアイトリアが殺されるなど、やはりあってはならないことだ。

 イーリスは父なる太陽を指で愛でながら、セナに微笑みかける。


「そっかぁ……セナちゃんは雨ばっかり続くより、毎日お日様サンサンのほうが好き?」


 セナは傘を持たない空いている手で、顎にちょんと人差し指を当てて考える。


「うーん、雨はたまにで良いかなーっ」


 あくまで笑顔のセナに、この先しばらく雨が続くとは言えないな。

 雨脚が強くなり、夜空を分厚い雨雲が満たしたことで、辺りは闇に包まれた。こうなると、足下も覚束ない。夜まで旅を続けるなど、本来避けてしかるべき行為なのだ。

 やむを得ず、イーリスは道を外れて一本の大木の下に入った。そこにリュックから取り出した撥水性の高い布を斜めに張って、簡易のテントとする。その下に入って、毛布をセナに手渡した。


「ここで、明るくなるまで休も」


「野宿だね。はじめて!」


 セナはあくまで笑顔だったが、やはり疲れていたのだろう、すぐにすやすやと寝息を立て始めた。


「で、どうするよ相棒」


「どうするも、北を目指すだけじゃん」


「この子の体力が心配だ。それに、準備不足にもほどがあるぜ」


 これから寒冷地に入ることが予想されるというのに、セナの装備は貧弱すぎる。


「この先に、街ってある?」


「ああ、ある。だがまだ三十マイルはあるぞ。このペースだと、明日夜が更けるまでに着くかどうか。それに、もう協会が準備してくれる都合の良い宿もない」


「協会とかどうでもいいし。あした街に着いたら、そこで準備するよ。なんてったって、わたし、お金持ちだから」


 こんな小娘に言われたら大半の大人は立つ瀬がないが、事実なのだから手に負えない。


「これは本格的に、馬車を使うのも検討すべきかもしれないぞ?」


 あくまでさりげなく切り出したつもりだったが、イーリスはすかさず頭上に手を伸ばしておいらを掴んだ。おいらは手のひらに乗せて、じっと見つめられる。


「……まさかピュイからそんなこと言うなんてね」


 賛成とも反対とも取れないイーリスの言葉に、おいらは努めて軽い口調で返す。


「もう協会の指令を無視しちまってるんだ。今更もう一つくらいルールを破ったところで、雨が大雨になるくらいの違いしかないんじゃないか?」


 イーリスはじっとおいらを見つめ続ける。

 おいらは堪えきれず、先にぷいっと目を逸らした。


「ピュイ、ありがと。わたしのために、言ってくれてるんだよね」


 そんなことをしみじみ言い出すもんだから、おいらは体ごと背中を向ける。


「でも、やけになるのは早いよ。そうじゃない?」


 背中越しに諭すように言われて、おいらは得も言われぬ気分になっていた。

 イーリスは、目に見えて成長している。それがむずがゆく、とても嬉しい。


「お前さんの判断に任せるさ」


 おいらはそれだけ言って、ぴょんと跳ねた。

 簡易テントから外に抜け出して、雨に当たる。

 人間よりかはずっと闇に強い目で、おいらは行く先の道を眺める。

 しばらくは歩きやすい平原が続くが、次の街は山際にある。更に北へ進むには、山を越えねばならない。

 儀式の日まで、残り丸八日。帰り道のことを考えれば、前進できるのはあと四日間のみ。

 土曜日の朝には必ず折り返したいところだ。

 四日間では北の最果てまで辿り着くことは不可能だし、メテオーラが東や西に大きく移動していた場合は、捜索は本当の意味で絶望的になる。

 徒歩では埒が明かない。

 かと言って、馬車での移動は協会の約定に真っ向から抵触する。

 こののっぴきならない状況下における判断を、おいらはイーリスに託すと言った。

 イーリスの成長が嬉しなどというのはただの言い訳で、単なる責任逃れをではないか?

 自己嫌悪に陥りそうになるのを必死で堪えながら、おいらはただ夜の雨を浴び続けた。


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