33話
「メテオーラさんは、わたしとおんなじ力、持ってるってことだよね?」
「ばあさんの言うことを信じればの話だけどな。流石に身内までは隠し通せなかったってことか」
アイトリアのことも、また然りだろう。
「わたしのことも、お母さんは知ってたもんね」
「そうだな」
すぐにでも北を目指したい所だったが、イーリスはアイトリアが広場に置き去りにした水瓶を担いで、夜道を川目指して歩いていた。
ばあさんは世話は不要と言ったが、セナとの約束があるからな。
道すがら、おいらたちは月明かりに照らされながら、考えを摺り合わせる。
「おんなじところにずっといたら、気づかれる。おんなじ人とずっといっしょでも、気づかれる。だから、わたしは一人で旅してるわけだけども」
「メテオーラは、結婚して、アイトリアを生んで、母親とも同居ときてる。それで雨女やってるってことか? そう考えるとすげぇな」
「めちゃくちゃ大変だったんじゃないかな……」
川沿いに到着するが、下流は浅くなっていて水の流れは死んでいる。とても飲み水には使えない。おいらたちはもうしばし遡上する。
「わたしには、無理だなぁ」
「若いくせに、あきらめが早すぎるぜ」
とは言え、いつまでこんな根無し草の放浪生活が続くのやらと考えると滅入るのは必定。イーリスのメンタルケアを一手に引き受けているおいらとしても頭が痛い。
そんなおいらの気持ちを知ってか知らずか、イーリスが微笑む。
「わたしは、ピュイがいるからそれでいいや」
「お、おう、任せろ」
嬉しいことを言ってくれるが、十を越えたばかりの少女が口にするにはあまりにも寂しい台詞だ。胸が痛むが、どうしようもない。
だが、もしかしたら。メテオーラに会えば、雨女を続けながら、うまく人と付き合える秘訣みたいなものが分かるかも知れない。
川沿いを歩くうちに採掘所まで辿り着いた。
ようやっとばあさんに飲ませても問題なさそうな清澄な水に巡り会えたので、瓶を満たして持ち上げる。非常に重たいが、重たいものを担ぐための部材や方法は、旅に慣れたイーリスはしっかりと心得ている。
採掘所の底には、一昨日設営されていた舞台がそのまま残っていた。きっと昨日もここで儀式は行われたに違いない。供物奉納の儀も、またここでするつもりなのだろう。
空を仰げば、北西方面には鱗雲が広がり始めていた。一方サルの方角南東は、相変わらず満点の星空だ。アイトリアは、サルの地下祭儀場にて身柄を拘束されているはずだ。
「何にせよ、北だな」
「うん、でも、どこにいるかわかんないから、ほんとに急がないと」
今までおいらたちは、ただ協会の指示通りに行動するだけだったため、別の雨女の領分に近づいたことがない。だから、空を見てどこに雨女がいるかなんて、本当に分かるのか不明だ。
だが、やるしかない。今日は月曜日。来週水曜の穀雨まで、あと十日しかないのだ。
重たい水瓶を器用に運ぶイーリスの頭上で、おいらは一人、腕を組んで覚悟を新たにした。
ゴーストタウンかと錯覚するほど人の気配の乏しい夜のサルに戻ってきた。
あとは水瓶をアイトリア家に届ければ、北を目指す旅に出られると意気込んでいた。
それが、一瞬にして頓挫した。
アイトリア家に戻ってきてみれば、水瓶が置いてあった場所に、セナが三角座りで陣取っていたのだ。イーリスと目が合うと、ただ無言で見つめ返してくる。
イーリスは背負っていた水瓶をセナの足下に下ろして、両手を腰に当てる。
明らかにイーリスを待ち伏せしていたにもかかわらず、セナからは何も言ってこない。イーリスとしては困惑するしかない。
「そこにセナちゃんがいたら、これを戻せない」
口をへの字に、硬い口調で言うイーリスに、セナは微動だにしない。
「約束、したよね」
まっすぐにイーリスを見上げるセナの顔は、どこまでも無表情だった。ひどく大人びて見えるのが、いやに胸に痛い。
「なんのこと?」
「お婆ちゃんのお世話、するって。約束したよね」
何故セナがここにいるのか理解できていなかったイーリスは、なんだそんなことかと気の抜けた表情になる。
だが、おいらとしてはどうも雲行きが怪しいと懸念せずにはいられない。
「だから、こうして水を汲んできたの」
「それで?」
「それでって?」
「今夜一晩、お婆ちゃんのそばにいるって、約束したよね」
「うん、そうだね」
「旅に出るって、どういうこと?」
その一言にイーリスは狼狽え、仰け反った。おいらの嫌な予感は本当によく当たる。
「お婆ちゃんに聞いたよ。お姉ちゃんはおばちゃんを探しに行くんだって。すぐに旅立つから、お婆ちゃんの世話は、今晩はもうしないって」
ばあさんよ、嘘をつけとは言わないが、そこはオブラートに包んでだな、おいらたちが気持ちよく旅立てるようにサポートするのが年長者の甲斐性ってもんじゃないのか? などと、他人のせいにするのは紳士たるおいらのすることじゃないな、さてどうしたもんか。
おいらもイーリスも返事ができないでいると、セナはすくっと立ち上がった。そして、ついに石膏のような硬い無表情を崩した。
「私も、連れてって……!」
「え、なんで?」
おいらもその申し出には驚いた。ちゃんとばあさんの世話をしろと叱られるとばかり思っていたのに、まさか、何故。
「だって、お姉ちゃん、おばちゃんの顔も知らないでしょ? 私がいなきゃ、どうやっておばちゃんを見つける気なの?」
「それは、ほら、なんとかなるし、きっと」
「なんともならないよ! 知らない人を探すのが、そんな簡単なはずないよ!」
「そうかもしれないけど、でも、セナちゃんには父さんと母さんがいるでしょ? 勝手に家から出て行ったりしちゃ、だめだよ」
「お母さんも、お父さんも、もういない」
イーリスの顔に、しまったという表情があからさまに現れた。しかしおいらは、夕刻の出来事でセナがこの村の出身じゃないと知った時から、そうかもしれないと思っていた。
だが、事実は、おいらが想像していた以上に残酷だった。
「……おじさんだったんだよ」
何が、とは聞けなかった。捻り出すように吐露するセナの両目から、筋を作りながら涙が流れる。
「生贄にふさわしいのは私だってオクシュ様に言ったのは。おじさんだったんだよ! さっき家に帰ったら、なんで帰ってきたんだ、なんで人様のために供物にならなかったんだ、俺が後押ししてやったのに、なんで喜んで供物になろうとしなかった、何の役にも立たない穀潰しがって、だから!」
セナの吐露を、イーリスが遮った。
半ば反射的に体が動いたのだろう、イーリスはセナのことを抱きしめていた。そしてその相貌は、怒りに燃えていた。
「わかった」
イーリスは唇をセナの耳元に近づけて、力強く耳打ちした。
「いっしょに、行こ」