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片時雨のイーリス  作者: せき
第二章
33/46

32話

 セナの足音が遠ざかるのを確認してから、ばあさんはゆっくりと口を開く。


「お主、その若さで一人旅をしていると言ったな。しかもこの干魃地帯に傘二本。極めつけはその桶の蛙。東方の雨林帯にしか棲息しないと言われる瑠璃青蛙ときたもんだ」


 じっとイーリスの瞳をのぞき込んで、重々しい声を喉から絞り出す。


「そういうことで、良いな?」


「そういうこと、って?」


 おいらはすぐにピンときた。と同時に戦慄する。

 ばあさんはイーリスが雨女なのかと問うているのだ。いや、ばあさんが雨女について何か知っているという予感はあった。だが、それを指摘してくるとは考えていなかったのだ。なんせおいらたちは、自らの素性を明らかにできないのだから。

 そしてばあさんは、その事情すら知っている。だからこそ、濁して確認してきたのだ。問われたイーリスはただ頷けばよかった。イーリスが問い返したところで、補足の言葉が返ってくるはずがないのだから。だが、そんな確認すらも蛇足だったと言わんばかりに、ばあさんは言葉を続ける。


「いや、良い。ここからは独り言だて」


 と言って、イーリスから目を逸らして語り始める。


「アイトリアの母、私の娘じゃが、メテオーラは不思議な女でな。あやつがいると妙によく雨が降る。そう言えば、ここに雨が降らなくなったのは、あやつが旅に出てからかのぅ……」


 おもむろに茣蓙に横になる背中を、おいらとイーリスは食い入るように見つめていた。

 イーリスも自分が雨女だと気づかれたと悟ったのだろう。

 そして、アイトリアの母、メテオーラも雨女なのだということも。

 おいらもイーリスも、雨女について他人から聞かされるのは初めてのことだった。それだけじゃない、イーリス以外の雨女の存在を知ることすら初めてだ。

 つばを飲み込むイーリスに構うことなく、ばあさんはこの上なく重要な独り言を続ける。


「確か北へ向かうと言っていたな。もう一年にもなるから、今はどこにいるやも知れんが、それ以外手掛かりはないからなぁ。あやつのことだ、雨雲と共にあることは間違いなかろうがなぁ」


 そこまで言うと、ばあさんは一つため息を吐いて、片目だけおいらたちのほうに向けた。


「なんだ、まだ居たのか。セナにはああ言ったが、私の世話など要らんから、自分たちのすべきことを、きっちりすることだ」


「……北へ行って、ここにメテオーラさんを連れてこればいいの?」


「すべきことをすればいい。私は、おまえさんが何をすべきかまでは、面倒見切れんよ」


「うん、そうだよね。じゃ、行くよ」


「ああ、達者でな」


 イーリスは一つ頷くと、さっと立ち上がった。決断の早さは折り紙付きだ。

 だが、まだだ。まだ足りない。

 おいらはイーリスに待ったを掛ける。


「まだ大切なことを聞いてないぜ」


 おいらの鳴き声を耳にして、ばあさんの視線がこちらに向く。


「何故、雨が降らないのか。知ってるんだろ?」


 それを聞かない限り、根本的な解決は望めない。

 イーリスもそれに気づいて、おいらの言葉を通訳する。


「……どうしてわたしじゃ、雨が降らないの?」


 おいおい、ちょっと聞き方がまずいんじゃないのか、と思う暇もなく、イーリスは言葉を重ねる。


「何がわたしを、邪魔してるの?」


 うーむ、絶対に外に漏れたらいけないことを言ってくれる。

 だがばあさんの視線は爆弾発言を投じたイーリスにではなく、なおもおいらに注がれる。


「やはり、そうやって同行している限り、ただのペットではないと思っておったが。いや、皆まで言うまい。瑠璃青蛙よ、私に免じてそれは聞かんでくれ。メテオーラを連れてこれば雨は降る。それでアイトリアは助かるじゃろて」


 その返答は予想できたものだった。だからおいらは、最後に一言投げかける。

 おいらの言葉にイーリスは息を飲んだが、今度はそのままばあさんに問いかける。


「アイトリアが死んだら、雨は降るの?」


 ばあさんの呼吸が、止まった。

 そして、喉の奥でくっくっと笑う。


「アイトリアを助けておくれ。それが私の願いじゃ。それでセナも、救われる」


 やはり、そういうことか。

 ばあさん、どれだけの秘密を握ってるんだよ。

 おいらは内心で舌を巻きながら、別れの言葉を告げる。


「ああ、それだけ聞ければ充分だ。ばあさんも、体には気をつけなよ」


 おいらの鳴き声に、ばあさんは頷きながら手を上げて応えた。

 イーリスは一つ頷いてから、きびすを返してすだれに向かう。

 去り際、ばあさんが微かな声で囁いたのをおいらは聞き逃さなかった。


「頼んだよ」


 返事をするまでもない。おいらたちにはもう、迷いはなかった。


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