31話
「お姉ちゃん!」
振り返ると、舞台上に取り残されていたセナが、凄い勢いで駆け寄ってきていた。
そのままジャンプで飛びついてくるのを、イーリスは真正面から受け止める。
「セナちゃん!」
抱きしめると、セナも強く抱きしめ返してきた。
しかしイーリスの口から飛び出たのは、セナを気遣う言葉ではなかった。
「セナちゃんどうしよう、アイトリア、連れてかれちゃったよ!」
セナは一瞬肩をびくっとさせて。イーリスの服に顔を埋めたまま、くぐもった声で訥々と答える。
「お兄ちゃんは、お兄ちゃんのお父さんと同じになっちゃうんだ。生贄として殺されちゃうんだ、私のせいで……!」
その台詞は、イーリスが言わせたようなものだった。あまりにも残酷な話じゃないか。
だがイーリスは、そんなセナの絞り出すような言葉に、力強く返す。
「セナちゃんのせいなんかじゃない! それに、あんなのぜったい許さない!」
「お姉ちゃんが許さなくても、もう決まっちゃったんだよ!」
「……この村のこと、一番くわしいのって、だれ?」
「……え?」
セナがイーリスの服に埋めていた顔をやっと上げる。その視線の先には、迷いのない眼差しを真っ直ぐにぶつけるイーリスの目があった。
「なにかあるはず。この村に雨が降らないワケが。生贄なんかでどうにかなるはずがない」
諭すように淡々と言うイーリスの目は、あくまで本気だ。そしてその考えについて、おいらも概ね同感である。だが、この村について一番詳しい人間に直接聞き出そうとは、実に直接的でイーリスらしい無茶な手段だ。そいつが、例えば雨が降らない絡繰りを隠匿しているような、我々と敵対関係に当たる個人や組織だった場合などは全く考慮に入っていない。
だが、おいらには一人アテがあった。その人はたぶん、おいらたちに協力的なはずだ。
「お、お姉ちゃん、本気なんだね?」
腰にしがみついたまま確認するセナに、イーリスは勿論とばかりに無言でこくりと頷きを返すのみだ。セナも一つ頷くと、その口を、改めて開く。
セナが告げたのは、おいらがアテにしていた人物だった。
「……一番長生きしているのは、お兄ちゃんのお婆ちゃんだよ。この村のことなら、なんでも知ってる」
「わかった!」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
言うや走りだそうとするイーリスに、待ったがかかる。
「私も一緒に行くから!」
イーリスの腰から離れたセナは、その手でイーリスの手をぎゅっと握りしめた。
イーリスは一切逡巡しなかった。唇を引き結んで大きく一つ頷くと、セナの手を引っ張って、アイトリアの家目指して駆けだした。
「おじゃましまーす!」
イーリスは返事を待たずにすだれをくぐった。だが、中の様子は何も見えないだろう。なにせ明かりが何もないのだ、日も暮れた今、すだれ越しに射し込む光もないに等しい。
だから、奥の暗闇から突然聞こえた返事に、イーリスはびくりとした。
「おや、可愛らしいお客さんだね」
その声は一昨日会ったばあさんのものに間違いなかった。だがその一言の後に続いた酷い咳き込みようには狼狽えた。
セナがイーリスの手を離して飛んで行ったのに遅れて、イーリスも手探りで部屋の中を進み、奥の間を覗く。奥の間には壁を四角くくり貫いた採光部があり、そこから星明かりが差し込んでいた。おかげでイーリスにもぼんやりとなら中の様子がわかるはずだ。
暗がりの中、ばあさんは薄い毛布にしがみつくようにして寝転がっていた。肌はぱっさぱさで目は虚ろ。見るからに具合が悪そうだ。
そんなばあさんの背中をセナが懸命に撫でる。
「おばあちゃん、ちゃんとご飯食べてる?」
「ああ、ああ。心配しなさんな」
その言葉を聞くや、イーリスはきびすを返して先の部屋へと戻り、闇が沈殿する鍋の中に、躊躇なく指を突っ込んだ。
「……からっぽ」
更に水瓶を確認しようとすだれから外に出ると。
「瓶がないよ!」
「おばあちゃん!」
イーリスの報告と同時に、セナは悲鳴のような高い声を上げた。イーリスは慌てて戻って、ショルダーバッグから取り出した水筒の蓋を開ける。
「これ、飲んで。楽になるかも」
「すまないねぇ、貴重な水を」
よっぽど長い間渇きに耐えていたのだろう、ばあさんはイーリスが差し出した水筒を受け取ると、喉を鳴らしながら飲み始めた。そしてそのまま、あっという間に飲み干した。
「ふぅ、生き返る」
「ね、次はこれ舐めて」
残りわずかとなった飴瓶からハッカの飴を選び出すと、ばあさんの口元に押し当てる。
ばあさんは与えられた飴玉を素直に受け入れた。飴が舌に乗った瞬間、ばあさんはハッカの刺激に目を見開き、鼻から息を盛大に吐き出しはしたが、飴玉を口の中で転がすことは止めなかった。
やがて口の中の飴玉が溶けてなくなると、ばあさんは一つ息を吐いた。
「本当に、助かったよ。アイトリアが水を汲みに行くと出て行ったまま、帰ってこなくてね」
人心地ついて生き返ったとばかりのばあさんが、悠長にもそんなことを言うもんだから、イーリスとセナは顔を見合わせた。
「そう、お婆ちゃん、お兄ちゃんが大変なの!」
「アイトリア、このままじゃ、殺されちゃう!」
いきなり二人に迫られて、ばあさんは目をしばたかせる。
「どういうことだいそりゃ」
「神様への供養のための、供物にされちゃうの。私が供物になるはずだったのに、お兄ちゃんが、私より自分の方がいいって、私の代わりに……」
両手を強く握りしめて顔を歪めるセナの頭に、ばあさんが手を伸ばす。
ばあさんは、言葉足らずなセナの説明をちゃんと理解していた。
「なんと、供物奉納の儀とな。セナ、おまえさんは何も気にすることはない。供物にはアイトリアが選ばれるのがさだめ、この村のことは、この村に生まれた人間でケリを付けるのが決まりだて」
「なに言ってるのよ、ソティルとか、おもいっきりよそ者でしょ? よそ者が勝手にしてることに、付き合うことないよ!」
いきなり声を荒げるイーリスに、ばあさんは目を見開く。
「お主、雨乞いの一族と知り合いなのか?」
「知ってるだけ! いけにえで雨が降るだなんて、わたし、認めないから!」
ばあさんは見開いたままの目で、イーリスを凝視し続ける。
「……お主、まさか。いや、もしやとは思っておったが……」
今度はイーリスの風体をなめ回すように観察し始めた。暗がりの中でばあさんにどれだけ見えているのか知れないが、頭のてっぺんからつま先までじっくり見るだけでは終わらない。「ちょっと後ろを向いてみなされ」などと言ってくるではないか。そして最後の最後、今更ながらに頭上のおいらに気づくと「瑠璃青蛙とは、また珍妙な……」という感想を呟いた。
訝しげな視線を向けるイーリスを尻目に、ばあさんはセナの肩を叩く。
「セナよ、ちとイーリスさんと話があるでな、席を外してくれんか。長くなるかもしれんから、今日はもう帰るといい」
「でも、お兄ちゃんもいないのに」
「なに、今晩はイーリスさんにお世話になるとするよ。安心してお帰り」
どさくさにまぎれて断りもないまま世話役に任命されちまった気がするが、イーリスは黙ってばあさんを見つめている。ばあさんもセナからイーリスに視線を戻すと、二人の視線が衝突した。こうなるとセナに、この家での居場所はもうなかった。
「う、うん分かった。じゃ、お姉ちゃん、よろしくね」
すごく不安げな言葉と共に辞去するセナには心痛むが、ばあさんがそこまでして二人きりになりたがったということは、よほどの話があるのだろう。俄然興味が沸くってもんだ。