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片時雨のイーリス  作者: せき
第二章
30/46

29話

 レースのカーテン越しに、ぼんやりとした光が注ぎ込んでくる。

 しかし、それ以上はっきりとした明るさにはならず、部屋の中はいつまで経っても薄闇のままだ。雨は昨夜から止むことを知らない。慣れ親しんだ、片時雨である。

 だが、イーリスの起床に部屋の明度は関係ない。目覚めるべき時にきっちり目を覚ますのがイーリスだ。丸まっていた体を突然跳ね起きさせて、颯爽と立ち上がった。そのままリュックを手に取って、奥の部屋に消えていく。

 何のことはない、奥の部屋は浴室だ。上層階の風呂付き部屋というだけで、途方もなくお高い部屋であることは疑いようもないところだ。

 おいらは浴室に入ったイーリスをひたすら待つ。防音が完璧なので、イーリスが浴室でどうしているのかは全くわからないが、だからといって確かめに行く必要はない。イーリスは風呂から上がってきた時に答えを告げるつもりなのだと、おいらにはわかっていた。

 そう長い時間でもない、待ったのは普段の風呂の時間と同じだけだった。

 上がってきたイーリスは、いつものキュートな服装に身を包み、アクセサリーまで付け直していた。その肩には父なる太陽が七色に輝いていた。旅の準備万端の出で立ちだ。


「で、どっちに向かう?」


 おいらが努めてさり気ない口調で問うと、イーリスはテーブルの上にあった桶を顎紐で固定しながら、決まり悪そうに唇を歪めて呟いた。


「サル」


 おいらが人間だったら、満面の笑みを浮かべていたことだろう。


「よっし、じゃあ、急ぐか!」


「ピュイ」


「なんだい?」


「もし雨女クビになっても、見捨てないでね」


「当たり前だろ、おいらたちは永遠のコンビなんだから!」


「だよね」


 ようやっと、イーリスの頬が綻んだ。

 全く、急にいじらしくなりやがって、可愛いじゃねぇか。

 おいらはぴょんと跳ねて、桶に飛び込んだ。

 花瓶の水はもう飽き飽きだ。新鮮な水が粘膜に心地よい。

 イーリスは蔓みたいなドアノブを掴んでドアを開け放った。もうライオンの口に鍵を突っ込む必要はない。開け放ったまま、階段を駆け下りる。

 とにかく急がねばならない。

 一番良いのは、既にサルに雨が降っている場合だ。雨を確認して、そのまま回れ右してラディアへ向かえば、日曜までにぎりぎり間に合うだろう。

 次に良いのは、おいらたちが行って、サルに雨が降る場合だ。この場合、雨を降らすのにどれだけかかるかによって、指令を守れるかどうかの結果が別れる。

 最悪なのは、サルに行って、いつまで経っても原因不明のまま雨を降らせられないこと。

 もしかしたら、その最悪のケースをイーリスに味わわせないために、オンブロス協会はサルを諦める旨の指示を出したのかも知れない。だとしたら、おいらたちが今サルに向かうことは、あらゆる面で愚かしい行為なのかも知れない。

 ならばこそ、向かうからには雨を降らせなければならない。

 そのためには、雨を阻害している原因を必ず突き止め、排除せねばならない。

 それがおいらの、全うせねばならない役目だ。

 他でもない、イーリスがサルに向かうと決めたのだから。

 だからもう何も言うことはない。憂慮することさえない。

 指令のことなんか忘れちまえ。

 おいらたちは真っ黒な雨雲を引き連れて、一路サルへと急いだ。


 空模様の急激な変化が訪れたのは、アスカールでの遅めの昼休憩を経て、サルへ向かう途中でのことだった。


「おい、雨雲の様子がおかしいぞ」


 言わずもがなのことを口にするおいらに、イーリスは頷きを返す。


「サルのほう、雨雲がいやがって避けてるよね」


 そう、おいらたちの頭上には未だ分厚い雨雲があり、雨を絶え間なく降らせ続けている。その雨雲の大きさは直径三マイルほどで、南北と東にはちゃんと円状に雨雲が広がっている。それなのに、サルの方角にあたる西の空だけ、かじられたパンみたいに雲が削られているのだ。


「やっぱり、サルには何かあるな」


「そういえば、来たときもこんな感じじゃなかったっけ。昨日も、振り返ってたらこんな雲だったかもしれない。でも、急いでたしね」


「まぁ、サル付近であからさまに雨が止むのはわかってたことだけどな。重要なのは、何故こんなことになるのかだ」


「うん。どうすればいいのかは、わからないままだよね」


「そうだな、まるで見当もつかない。採掘所には雨雲が集まりかけたんだから、あの辺が呪われてるとかそんなんではないと思うんだが」


「もしかしたら、相手も動いてるのかもね」


 イーリスの発言に、おいらは虚を突かれて目をパチクリさせた。

 雨女の力を阻害する何かが、動いてる、だって?


「そりゃ、お前さん……」


 言いかけて、おいらは言葉を飲み込んだ。

 何故なら、雨女について語ることが許されないのと同じ理屈で、それについて語ることを、おいらには憚られたからだ。

 それはつまり、雨を降らせない存在、人か、動物かはわからないが、雨女と対を成すような、日照りを招く生き物がいるのではないか、という想像だった。

 もちろん、そんな存在は伝承にすら存在しない。考えたことすらなかった。

 だがそれは雨女とて同じだ。世間から秘匿されているだけで、密かに存在している可能性は充分にある。

 今までおいらが想像していたのは、イーリスの雨雲を阻害する異常気象のようなものだったのだが、イーリスは自分と対極の生物を仮定したのか。

 その発想に、おいらは素直に感服した。

 そんなおいらの一瞬の思考を追い抜くように、イーリスはため息交じりに零す。


「でも、もし動いてたら、探し出すのはたいへんだろうね」


「いるとしたら、中心が怪しいな」


「うーん、今までみたいに雲がなくなっちゃったから、わっかんないね」


 イーリスの切れ味鋭い返答に舌を巻きながら、おいらは嘆息する。


「こりゃまたサルに着く頃には雨が止んじまいそうだな」


「でも、行くしかないしね」


「だな」


 その後は、黙ってひたすらサルを目指した。予想通り、雨雲は目に見えない壁に堰き止められるかのように、西の空から文字通り雲散していく。

 サルに着く頃には、西の空に沈み始めた太陽が、うっすらと残る東の空の巻雲を照らして情緒豊かな夕焼け空を作っていた。

 やはり、晴れの中心なんぞ見つけようはない。

 それについて、おいらとイーリスが意見を交わすことはなかった。


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