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片時雨のイーリス  作者: せき
第二章
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28話

 おいらたちの悩みは、一体なんだったのだろう。

 空模様は、瞬く間に変化していた。

 サルを出て二マイルも歩かないうちに雨雲が太陽を覆い隠し、アスカールを目前にしたところで、イーリスは久しぶりに飴玉傘を開くに至った。


「降るじゃねぇか」


「うん、いい感じだね!」


 おいらは確信を強める。

 やはり雨が降らないのには、なにか特定の理由がある、と。

 早くも路面にできた水溜まりを蹴散らしながら、イーリスはアスカールへと入った。

 中央広場には三日前の舞台は無く、強まる雨脚に大半の露店はテントを畳んだ後だった。


「今まで気づかなかったけどさ、」


 イーリスは捨て去られた店飾りを、しゃがんで手に取りながら呟く。


「晴れてたほうが、楽しいよね」


 おいおい、雨女が口にしていい台詞じゃないだろ。


「おいらは雨の方が断然好きだね」


「そだね、カエルだもんね」


 苦笑いと共に立ち上がったイーリスは、人々の声が漏れる飲食店へと真っ直ぐに足を運んだ。

 軽食を摂って、一息吐く間もなく、すぐに店を出る。

 道すがら東門付近の屋台を覗いて回ったが、先日の飴屋の姿はなく、イーリスは肩を落としてアスカールを出た。


「……このままサルに戻って、雨、連れて行きたいくらいだけどね」


「気持ちはわかるが、なんだか最近、雨雲の奴がひねくれてるからな」


「おかしいくらい来ないよね、サルには。なんかあるのかな?」


 さすがにイーリスも違和感を覚え始めていたか。雨が降らないのは、今のところアスカール・サル・採掘所間に限定されているのだ。当事者なら気づいて当然だ。


「昨日の夜、採掘所には結構良い感じに雨雲がやって来たよな。だが、途中で急に晴れちまった。おいらとしては、あれが気にかかるんだが」


「うーん、わっかんないね。前の儀式の時は、雨降ったしね」


 まじめな表情で意見を口にするイーリスのほっぺたは飴玉で膨れている。瓶の中のストックは残りわずかだが、それで舐めるペースを落とすような倹約家なら、あんな大量買いはしないだろう。


「ああ、たぶん儀式は関係ない。だが、理由がわからないうちは下手な行動は差し控えた方が良い。予定通り、このままシートスに行くぜ」


「うん、わかってる。ちょっと言ってみただけだよ」


 既にイーリスの足はシートスに向かって動いている。確認するまでもないことだった。

 頭上は鈍い色をした雨雲が埋め尽くしている。雨脚は優しいが、止む気配は全くない。しかし遠くを見渡せば、ある一定の距離を境に雲が途切れ、青空に切り替わる。イーリスが引き連れる雨雲の範囲は、彼女を中心に直径三マイル程度といったところだ。今まさに、その力が存分に発揮されている。

 イーリスの歩みのペースは雨天であっても落ちることはない。むしろ乾燥した地面を歩くよりも歩き慣れている上に、実は彼女は泥の精霊リームスの加護を受けている。ぬかるんだ地面に足を取られることはあり得ない。

 とにかく、イーリスの頭上に展開する直径三マイルの雨雲を目の当たりにして、彼女の力は本物だと再認識する。これで、イーリスの力が衰えているというセンは薄くなった。

 やはり、サル近辺に雨が降らないのは、外的な要因である可能性が高い。

 原因究明と今後の対策は、シートスでの指令書を見てから併せて考えよう。

 おいらはそう結論づけて、傘の雨音に耳を傾けながらシートスに到着する時を待った。


 土の道が綺麗に舗装された石畳に変わると、シートスの西門まですぐだった。

 パストゥス王国王都シートスは、都市全体を高い壁で囲っており、東西の門からしか中に入ることは叶わない。そして当然ながら、門では市内に入るための手続きが必要となる。

 というわけで、西門に足を踏み入れたイーリスの元に、早速武装した髭の男が寄って来た。しかしイーリスはそいつが口を開く前に、目の前に一枚の紙を突きつけた。


「はい。本物だから。いいよね?」


 ショルダーバッグの中から無造作に引っ張り出された書状を、男は最初、胡散臭そうに眺めていた。だが、末尾に押された刻印を見るや、その表情はすぐに驚愕へと一変する。


「こ、この七色の刻印は、まさしくアーカン帝国のもの! お嬢ちゃん、帝国免状を持っているなんて、一体何者なんだい?」


 男の手からひったくるように書状を取り返し、イーリスは後ずさって離れる。


「なんでもいいじゃない。おじさんは自分の仕事してなよ」


 下手な態度を取って無用な疑いをかけられるのは避けるべきだが、幸い大都市の夕暮れ時とあって人の出入りが慌ただしく、男はうやむやのまま業務に戻っていった。

 帝国免状。それは、帝国領内及び属国・同盟国内での検問を素通りできたり、国営機関の全面的な協力を得られたり、果ては、軽犯罪を不問に処してくれたりという、大陸覇者アーカン帝国帝王発行のこの上なくパワフルな免状なのだ。

 もちろんこんなもんただの小娘のために発行されるわけがない。何を隠そうオンブロス協会より支給された備品の一つである。雨女が裏社会においてどれだけ重要視されているかを雄弁に物語っているだろ。何せ帝王のお墨付きを得て活動できるのだ。こんなに頼もしいことはない。

 イーリスは髭の男の視線を振り切って、四日ぶりの市内へと門を潜って足を踏み入れた。

 真っ先に目に入るのは、天をも貫かんとする時計塔だ。傘を傾けて上の方を眺める。

 間もなく五時を指し示そうとしている石造りの時計塔は、雨を浴びてその輪郭を蕩けさせていた。しかしそれは時計塔に限った話ではない。どの建造物も石畳の道路も等しくずぶ濡れだ。

 雨雲は市内全体を覆い尽くしており、雨が止む気配は全くない。


「とにかく、行こっか」


「ああ、早いところ確認しようぜ」


 道行く人々が広げる傘は色とりどりで、実に都会らしい。夕暮れ時の忙しい時間帯とあって人々の足取りは早いが、スカートやズボンを濡らさないよう気を配って歩いているのがわかる。アスカールやサルとは明らかに違う、上流階級の匂いが漂っている。

 シートスにおけるおいらたちの拠点も、そんじょそこらではお目にかかれないような高級宿、いや、もはや高級ホテルと言って差し支えない場所だった。

 三階建て石造りの建物は、回転ドアの向こう側に足を踏み入れた途端、総大理石の厳かな空間がおいらたちを出迎える。

 磨き上げられたカウンター近づくと、ボーイはこちらが用件を言うより先に、宿泊者に対する挨拶と共に、鍵と一通の封書をトレイに乗せて、恭しく差し出してきた。

 イーリスは短く礼を言って鍵と封書を掴み取ると、一目散に部屋を目指す。真っ赤な絨毯が敷かれた階段を一足飛びに三階まで駆け上る。

 鍵に刻印された番号と一致する部屋の前で、イーリスは扉に付いたライオンの口の中に鍵を突っ込んだ。ロックが外れたのを確かめてから、植物の蔓をモチーフにした金属製のドアノブに指を掛けてドアを開ける。

 室内に入ってドアノブから手を離すと、重厚な扉はゆっくりとひとりでに閉まった。

 すると、階下や外の騒音は一切遮断され、部屋の中は静寂で満たされる。

 豪奢なシャンデリアに毛の長い絨毯。浴室含めて三室というこの広さ。

 イーリスのような小娘にはとてもとても場違いな、要人用特別待遇室である。

 そんなことに頓着するはずのないイーリスは、汚らしい旅装束のままベッドメイクされたベッドに飛び乗り、早速封書の口を破り捨てた。

 中に入っている紙は、いつも通り、二枚だった。

 おいらの役目は、字の読めないイーリスにその内容を読み聞かせてやることだ。

 早速イーリスの頭上から書状をのぞき見る。


「ふむふむ、シートスとアスカールに雨を降らせた分の報酬だな。額は二〇万カン、受け取りはシートス中央銀行。ま、いつも通りだな」


 おいらの言葉に一つ頷いて、イーリスは一枚目をベッドに投げ捨てる。

 問題は、この二枚目だ。


「なになに、拠点をシートスからラディアに移す。任務はラディアでの次回指令書にて連絡する、だと……?」


「ラディアって、どこ?」


「おいらも地図でしか見たことねぇが、海沿いにあったはずだぞ。ここから南へ百マイル以上は離れているな」


 そう言うと、イーリスはおいらをふん捕まえて、顔を強引に突き合わせる。


「そんな! すぐに行かないと、間に合わないじゃない!」


「ああそうだ。だが待て、まだ続きが書いてある」


 おいらはその文面をすぐに読み終えたが、あまりの内容に目を疑った。だが、何度瞬きしても書かれている内容は変わらない。


「いいか、落ち着いて聞けよ。続きにはこう書かれてる。なお、サルでの任務が未遂行であっても不問とする。至急ラディアに向かうように、だとよ。なんだよこれ!」


 おいらは指令書をぐちゃぐちゃにしてやりたい衝動をやり過ごすべく、窓辺の透明な花瓶に大ジャンプした。大きな水音と共に飛沫が飛び散るが関係ない。とにかく冷たい水で頭を冷やしたかった。


「どういうことよ、まだ雨降ってないのに、次に行くなんて」


 おいらは自分の体が冷えたことを確認すると、今度は水中からジャンプしてベッドに舞い戻った。真っ白なシーツがびしょ濡れになるが、知ったこっちゃない。


「ああ、こんなこと許されるはずがねぇ! 天下の雨女コンビ、イーリスアンドピュイが、雨を降らせられないまま次に行くだと? 舐められたもんだぜ!」


「メンツの問題じゃないし、コンビでもないけど!」


「ああ、すまねぇちょっと熱くなり過ぎた。だがこんなことあっちゃいけねぇ、見捨てられたサルはどうなるんだ?」


「ソティルがなんとかしてくれる、とか? わたしのかわりに」


 その返答に、おいらは咄嗟に言葉を返せなかった。

 まさか、オンブロス協会が、雨乞いに頼るだと?


「そんなはずねぇ、そんなこと、あるはずねぇだろ!」


 サルについては、誰が雨を降らせるとか、そんな問題ではないのだ。とにかく、いつもならイーリスが行けば簡単に雨が降るのに、サルでだけ全く雨が降らないというこの現状の異常さは重く受け止めないといけない。イーリスで無理なら、誰が雨を降らそうと躍起になったところで結果はきっと変わらない。

 だからといって、サルを諦めるわけにはいかない。イーリスとおいらが今後雨女一行として活動していく上で、雨を降らせられない場所なんて残しておいて良いはずがない。干魃地に雨を降らせることを任務とするおいらたちが、簡単に例外を許していては話にならない。

 これはイーリスとおいらだけの問題じゃない、オンブロス協会だって、そんな例外地域を認めていいはずがない。もしオンブロス協会が雨を降らせられない地域の存在を認識しているのだとしたら今回の指令も理解はできるが、ならなぜ先週の指令書でサルを任務の対象に指定したのか。そう考えると、今回の指令書の内容はどうにも納得できないのだ。


「イーリス、お前、どうする?」


 おいらは改めてイーリスに問うた。イーリスは、眉を曲げて腕を組む。


「どうするって、ラディアに行かないと。仕事なんだから」


 その反応に、おいらは唖然とした。

 まさかイーリスが、こんなに聞き分けの良い判断をするなんて。


「お前、それ、本心か?」


「しかたないじゃない、だって、仕事なんだよ? 破ったら、わたしどうなるのよ?」


「そうだけどよ!」


 叫んでから、おいらは自分の金切り声にびっくりした。さっき花瓶に飛び込んだばかりだってのに、全然冷静になれてないじゃないか。

 そうだ、正しいのはイーリスだ。身寄りのないイーリスにとって、オンブロス協会の指令は絶対。雨女としての仕事を続ける以外、イーリスは生きていく術を持たないのだから。

 だが、今脅かされているのは、その飯の種であるイーリスの雨女としての力そのものなのだ。本当に、サルに雨を降らせられなかったという原因不明の例外事例を残して、今まで通りに仕事を続けていけるのか。

 おいらはじっとイーリスを見つめる。イーリスは下唇を噛みしめて、組んだ腕で体をぎゅっと抱きしめている。イーリスだって、納得しているわけがない。


「ちょっと、考えさせて」


 そう言って、イーリスはリュックとバッグとポシェットを床にほっぽり出してから、ベッドに倒れ伏した。

 枕を抱きしめて体を丸めると、そのまま動かなくなる。

 雨粒が音もなく窓ガラスを叩いている。

 迫り来る闇が、この部屋を遭難船にしようとしている。

 今までオンブロス協会の指示は絶対であり、疑う余地すらなかった。

 今、初めて疑惑が生じ、おいらたちは協会の方針に反感を抱いた。

 イーリスが戸惑うのも無理はない。

 おいらにだって、どうすればいいかなんてわからない。

 だが、決めねばならない。

 おいらは再び、窓辺の花瓶の中に沈んだ。

 イーリスが決断するまで、永遠の相方たるおいらはいつまででも待つだけだ。


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