27話
窓から差し込む光が目元に命中し、イーリスは呻き声と共にベッドの上で寝返りを打った。しかし改めて微睡みの中に戻るようなことはせず、すぐにその目をぱちりと開いた。
「ん……朝?」
「ああ、おはよう」
「おはよう~……雨は?」
跳ね起きて窓に駆け寄るが、外を見るまでもない。
強い日差しがベッドに降り注いでいた。
「残念ながら、快晴だ」
「そっか……」
落胆しつつも、イーリスは手早く着替えを済ませた。同じ服を洗濯しないまま三日連続で着るわけだが、非常に乾燥しているので臭いや汚れは気にならない。髪の毛がパッサパサなのが気になるらしく手櫛で繰り返し梳いているが、頭が洗えないのは仕事がうまくいっていないせいなのだから、文句が言える立場ではない。
身だしなみを整えたところで、リュックを背負い、ショルダーバッグとポシェットを肩に掛けて、忘れ物がないかベッドの下まで確認すると、イーリスは木戸を押し開けた。
「げふっ!」
バン、という鈍い音と共に、カエルが潰されたかのような声が耳に入る。木戸を開いた時に、タイミング悪く誰かが通りかかったのだろう。イーリスは半開きの木戸の隙間から、恐る恐る外を覗う。
「お、おはよう」
「おはようじゃございませんわっ!」
木戸の向こうで尻餅をついて鼻を押さえていたのはソティルだった。今日も紺のガウンにヴェールという肌シャットアウト衣装だが、唯一覗く目元は涙に滲んでいる。
「ご、ごめん」
「あなたを責めても仕方ないことくらい、私にだってわかります。用心しなかった私が悪いと言われればそれまでですし。でも、痛いものは痛いのですわっ!」
甲高い声を張り上げるソティルはどう見ても機嫌が悪い。イーリスは怖じ気づきながらも話題を変えようとする。
「そ、そだソティル、昨日見たよ。とってもよかった」
しかしその言葉を聞いた途端、涙目だったソティルの目つきがキッと鋭くなった。
「良かったって、どう良かったというのですか?」
「うん、あのね、きれいだった。踊り、すっごいうまいよね」
「あなた、何を仰っておいでですの?」
一転して低い声で凄むソティルに、イーリスは思わず部屋の中に逃げ込んだ。ソティルは木戸の隙間から乗り込むと、イーリスにつかつかと歩み寄りながら捲し立てる。
「私が綺麗だろうが、踊りが上手かろうが、そんなことは当たり前。儀式の善し悪しには関係ありませんわ! 雨が降らないと、私の力は証明されない! わかります? 雨が降らなかった! それが全てですわ! 雨乞いの巫女が雨を降らせられないで、良いはずがないでしょう!」
人差し指を突き立てながらずいずい向かってくるソティルに押されるように後退し、ついにベッドにぶつかって座り込んだ。ソティルは肩で息を切らして、イーリスを睥睨している。
「……ごめん」
イーリスの謝罪の一言を耳にした途端、ソティルは我に返ったように目を見開いた。そして、イーリスから視線を逸らす。きっとイーリスに理不尽な怒りをぶつけてしまったと悔いているに違いない。
だが、それは見当違いだ。イーリスは自分の発言の軽率さに詫びたわけではない。雨を降らせられなくてごめんと、自分の力なさを詫びたのだ。
「……今夜ですわ。今夜こそ雨を降らせてみせます、必ず」
自分に言い聞かせるように呟くと、ソティルはきびすを返してすたすたと歩き出した。
木戸の前で立ち止まると、背中を向けたまま独白を続ける。
「……もしもし万が一、今夜降らなかったら。その時は――」
その後には、沈黙しか続かなかった。
どうにも不吉な気配を残したまま、ソティルは木戸を押して去って行った。
「あいつ、そうとう追い詰められてるな。気が立ってた」
「うん。でも、雨が降らないんだもん、しかたないよ」
仰る通り。おいらたちだって相当焦っている。
全く、こちとらお天道様を相手にしてるんだ、楽な仕事のはずがなかったんだ。今まで上手く行き過ぎてたから気づかなかっただなんて、あまりにも間の抜けた話じゃないか。
「それにしても、昨日のアイトリアといいさっきのソティルといい、思わせぶりなこと言いやがる。早いとこ雨が降らないと、なにかまずいことが起きそうだな」
おいらには察しがついてはいるが、イーリスは彼や彼女が言う不穏な発言をどう捉えているのか。ふと確かめてみたくなって、それとなく振ってみた。
しかし、イーリスの返答は至って単純明快だった。
「降ればいいんだよ」
それは、何よりも力強い言葉だった。イーリスの顔を見れば、その眉がキッと上向きになっていた。こんなにキリッとしているイーリスは実に珍しい。
「そうだな。だがその前に、一度シートスまで戻らないと」
「うん、早く行って、早く帰ってこよ。そんでもって、ここに雨を降らせるよ」
「ああ、そうだな」
まずは昼までにアスカールに入り、そこで休憩を取る。それから可能な限りの早さでシートス到着を目指す。とんぼ返りなら、夜道を厭わなければ今日中にサルまで戻ってくることも可能だが、かなりの強行軍になっちまう。
たとえ戻って来られても、アイトリアたちとソティルの儀式を見ることはできそうにない。
そう、結局、今夜の儀式までに雨を降らすことは、おいらたちにはできなかった。
任務を達成できないまま、次の指令を受けることになるのか。初めてのことだから、一体どうなるのか見当も付かない。
しかし、あれこれ考えても仕方がない。とにかく今求められているのは、可能な限り早くシートスに戻ることだ。
イーリスは部屋を貸してくれた村長に礼を告げて、家を出た。
アイトリアやセナと出くわすこともなく、イーリスは人知れず村を後にした。