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片時雨のイーリス  作者: せき
第二章
24/46

23話

 続きの間の日除けを外すと、部屋の中は充分な明るさに満たされた。

 食卓は、ばあさんとセナの間に敷かれていた茣蓙だった。そして昼食のメニューは、部屋の隅に設えられた釜の鍋からよそわれた一杯の汁物のみだ。粘性の高い真っ赤な液体の中に、何かの実やら茎やらが見え隠れしている。


「あっつ……」


 茣蓙の上に女の子座りしたイーリスは、受け取ったお椀の熱さが我慢できず、すぐに茣蓙の上に置いた。しかし空腹がイーリスを奮い立たせているのか、置いたままのお椀にふーふー息を吹きかけて冷まそうとしている。おいらの目にはかなり危険な感じの色に見えるのだが、イーリスは気にならないらしく、冷めさえすればすぐにでも掻き込む気満々といった風情だ。対してセナは、正座で受け取ったお椀を両手で大事そうに抱えたまま、なにやら難しい顔をしている。


「やっぱり悪いよ、お婆ちゃん」


「何も気にすることなんてないさね。さ、召し上がれ」


「それじゃ、いただきまーす!」


 ばあさんの促しを耳にするや、イーリスは威勢良くスープにスプーンを突っ込んだ。掬った液体の温度を唇で触れて確認してから、そのまま口の中に導いた。


「ん!」


 目を見開いたまま口の中からスプーンを引っこ抜くと、そのままもう一掬い。今度は具も一緒に口に運ぶ。


「おいしーい!」


 マジでか。具材そのまんまな真っ赤スープがどう美味しいのか興味がそそられる。

 ほっぺたを綻ばせて歓声を上げるイーリスに、ばあさんの表情が緩む。


「ほら、セナもお食べ」


「……おばあちゃん、これ、あとどれだけ残ってるの?」


 深刻な表情で、セナが問うた。ちょうどお椀を口に付けて一気に煽りはじめたイーリスだったが、ぴたりとお椀の角度を止める。


「何を遠慮してるのかと思ったら、そんなことかい。心配いらないよ、たんとある」


「そんなはずない。昨日鍋の中、見たもん」


 お椀をそっと置いて立ち上がったセナは、鍋の所まで行って鍋蓋を持ち上げる。


「ほら! これで終わりじゃない」


 おいらはぴょーんと跳ねてセナの頭に飛び乗って、鍋の中をのぞき見る。なるほど、確かにからっぽだ。多少こびりつきが残ってはいるものの、もはや食べられる分はない。


「そりゃ食べればなくなるもんさ。また作れば良いだけのこと。さ、お食べ」


「そんなこと言っても、クプクプは乾燥でやられちゃったし、モサモサだって水場を探して遠くに行っちゃってるんだよ。もうこんな上等のスープ、作れないんだよ」


 セナは鍋の蓋を振り回して熱弁するが、ばあさんは動じない。


「料理は工夫次第さ、心配しなさんな」


 セナは畳み掛ける言葉を探しているようだったが、何を言っても結局いなされるだけだと諦めたのか、ついに鍋の蓋を元に戻して茣蓙に戻って来た。安置していたお椀を改めて両手で抱えて、ばあさんの方へにじり寄る。


「じゃ、せめてもう少し食べてよ、お婆ちゃん」


 言いながら、自らのお椀をばあさんのお椀に向けて傾ける。


「おうおう、優しい子だねぇ……」


 ばあさんはされるがままにセナのスープを受け取った。どうやら自分の分をろくによそっていなかったらしく、セナのお椀に満たされていたスープが半分になったところでばあさんは椀を引いた。セナもそれで譲歩することに決めたらしい。

 一掬い一掬い、かみしめるようにスープを味わう二人を目の当たりにしながら、イーリスは空になったお椀をゆっくりと下ろす。


「あの、ごちそうさま」


「ああ、お粗末様」


 ばあさんの表情はあくまでも柔らかい。貴重な食料にもかかわらず、本当の善意だけで分けてくれたのだろう。それはイーリスにも伝わったようで、リュックをごそごそ漁り始める。


「おばあちゃん、これあげる」


 リュックから出したのは飴瓶だった。その中から三つを厳選して、手のひらに乗せてばあさんに見せる。茶色に深緑、群青という、どれも濃い色をした飴玉だった。どんな味なのかは飴博士イーリスにしかわからないが、見た感じでは高齢者向けの渋い味がしそうではある。


「おやイーリスさん、良い物を持っているんだね」


「うん! どうぞっ!」


 イーリスは飴玉を突き出すが、ばあさんは受け取ろうとしない。


「貴重な物なんだ、大切に食べなさいな」


「おばあちゃんだって、大切なスープくれたじゃない。お返しだよ!」


 しわだらけの目尻を余計しわくちゃにして、ばあさんは目を細める。


「セナといいあんたといい、本当に良い子だね。アイトリアはこんな良い子たちに仲良くして貰って、幸せ者だよ」


 言いながら、ばあさんは皺だらけの手を受け皿にしてイーリスの手の下に構え、三つの飴玉を恭しく受け取った。それを顔の前で掲げてから、茣蓙の隅に置いてあった小さな壺に、一つずつそっと仕舞った。


「大切に食べるよ、ありがとね」


「どういたしまして!」


 イーリスは笑顔で応えた後も、物問いたげな顔でばあさんをじっと見つめ続ける。


「なんだい?」


 よくぞ聞いてくれましたとばかりにイーリスが目を輝かせて問うたのは、またもや歯に衣着せぬ、強烈な一発だった。


「アイトリアのお母さんは、なんで出て行ったの?」


 不意を突かれたばあさんは目をパチクリさせるが、年の功のなせる技か、すぐに落ち着きを取り戻した。そして、遠くを見つめるような目つきをイーリスの遙か後方に投げかけながら、ゆっくりと口を開く。


「アイトリアの母親、メテオーラは私の娘だが。もうここを出て一年にもなるね。だが、べつにどうということはない。メテオーラは仕事に出かけただけだ」


「そう、なんだ……」


 ばあさんの答えに、イーリスはあからさまにシュンとなった。何故かは本人に聞かなくてもわかる。イーリスはアイトリアに言い放った「捨てられたんだよ」の一言が、全くの的外れだったとわかって凹んでいるのだ。自分の不用意な発言がアイトリアを傷つけたことを、深く後悔しているに違いない。

 そんなイーリスの様子に眉をぴくりと動かすと、ばあさんは声音を優しくして続ける。


「もっとも、アイトリアは不安だろうね。こうも長いこと、連絡のないまま消息を絶たれちゃあね」


 そこで言葉を切ると、ばあさんは腰を曲げてイーリスの瞳を覗き込んだ。

 イーリスと目と目で繋がったことを確認すると、頷きと共に、力強く続ける。


「でも、メテオーラは必ず帰ってくるよ」


 確信に満ちた言葉を真っ直ぐに受け止めて、イーリスはつられるように頷きを返していた。

 セナはと言えば、そんな二人の様子をニコニコしながら見届けると、お碗の底に残していた最後の一掬いを口に運んで噛みしめる。


「はぁ、美味しかった! おばあちゃん、本当にありがとう!」


 セナは手のひらを合わせて、心からのお礼を述べた。手を合わせるのがこの地域の感謝の表し方なのか、セナ独自の仕草なのかは不明だったが、イーリスもそれに倣う。


「ありがとう!」


「良いよ大層だね。子供はたくさん食べて、大きくならないといけないんだから」


「うん。でも、おばあちゃんも、暑さに負けないように、しっかり食べてね」


 セナは茣蓙から立ち上がり、すだれの手前でばあさんに向き直って言った。ばあさんは微笑みと共に片手を上げて応える。


「ああ。雨さえ降れば、すべて良くなるさ。アイトリアとも、夜の儀式の時に会えば良い」


「うん、お兄ちゃんと一緒に、雨が降るところを見れたら良いな」


「そうだねぇ、そうなると良いね」


 ばあさんは口ではそう言ったものの、すだれ越しに見える太陽を、手を庇にして眺める表情は曇っていた。こんなカンカン照りを見れば、誰だって雨が降るとは信じられないだろう。

 だが、一人、そうでない者がここにいた。


「きっと、降るよ」


 ぼそりと呟いたイーリスの真剣そのものの横顔を、ばあさんはじっと見つめる。


「どうしてそう言えるんだい?」


「そうなるように、がんばってるから」


 イーリスの一言に、ばあさんは唇を半開きにして固まった。しかしそれも一瞬のことで、すぐに取り繕うかのように口を開く。


「そうだね、雨乞いの儀、頑張ってもらわないとね」


 そう、雨が降るように頑張っているのは、雨乞いの儀に関係する者たち以外にはいない。だから、イーリスの発言はそう解釈するのが普通だ。それなのにばあさんは一瞬、驚きを覗かせた。それは、がんばっている者の主語を、雨乞いの儀関係者とは別の何かと解釈をしたからではないか。

 これはおいらが深読みしすぎているだけかもしれない。


 だが、もしそうだとしたら――


 そこまで考えが及んだところで桶の水面が揺れたので、おいらの沈思黙考は中断を余儀なくされた。イーリスがばあさんの言葉に返事をしないまま背を向けて、すたすたとすだれをくぐるところだった。


「おじゃましました」


 セナとイーリスは二人声をそろえてばあさんに別れを告げた。

 家から出てすぐに太陽を見上げたセナは、先ほどまでの笑顔を急に曇らせてイーリスに向き直った。


「お姉ちゃんごめん、ちょっと家に帰るね」


 いっそ沈鬱にすら見える表情がとても気になるが、人の気持ちを表情から読み取る能力皆無のイーリスは、そんなセナの異変に気づけない。むしろ工房までアイトリアに会いに行こうと提案されなかったことに安堵している様子だ。


「うん、わかった」


 軽く返事をすると、セナは眉をハの字にしながらも、なんとか笑顔をイーリスに向ける。


「会えたら、夜にね!」


「うん、それじゃね!」


「お姉ちゃん、またね!」


 言って、セナは駆け出した。急いで戻らないといけないという雰囲気全開の様子に、おいらとしては心配になるが、どうせ余所者、しかもカエル。結局は傍観者を気取ることしかできないのだ。


「なにはともあれ、また二人になったな」


「っていうか、一人と一匹だけどね」


「失礼な! おいらも確固たる人格を持った一個人だい!」


 イーリスの言葉にばあさんが反応したこと。セナの様子がどこかおかしいこと。話し合うすべきかとも考えたけれども、おいらは結局口にしないことを選んだ。イーリスに余計な情報を与えて、また予想だにしないような問題をこさえられたらカエルのおいらの手に余る。

 ここはおいらが熟考して対処すべき局面だ。イーリスに頼ることは今のところ何もない。

 さて、太陽は南中したばかりで空高くに君臨している。

 雨乞いの儀まではまだまだ時間がある。有り余っている。

 これだけの時間があれば、雨雲が集まって雨を降らすことも充分可能、お釣りが出るくらいだ。だが、そうはならない。現実には雨雲どころか巻雲すら見当たらないのだから。

 一向に好転しない空模様に、おいらは長期戦を覚悟し始めていた。

 やはり、きっとなにか理由がある。

 その理由を突き止めて解決しなければならないという思いが膨らんできた。

 だが、カエルの身では情報収集も覚束ない。やるならイーリスに協力を仰ぐしかないのだが、それは見合わせるとさっき決めたばかりだ。

 となれば、待つしかない。

 おいらはせいぜい干涸らびないように桶にべったり張り付いて、辺りに目を配る。

 そう、この時点ではまだ、おいらは焦ってはいなかったのだ。



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