21話
これは心臓に悪い。さっきから、イーリスは自身のトラウマに寄り添いながら会話を続けているのだ。何をきっかけに感情が爆発するかしれたもんじゃない。
だが、今日のイーリスは不思議なくらい落ち着いていた。
「もう、どっちもいない。……アイトリアも、そうなんだよ」
その言葉の意味を空に求めるかのように、ソティルはゆっくりと天に視線を戻す。
「そうでしたの」
ソティルはそれ以上、何も言わなかった。
二人、黙って空を眺める。雲一つない青空が、どこまでも茫洋と広がっている。
「……あめ、ふらないね」
イーリスの言葉に、ソティルが頷く。
「いえ、今晩までですわ。私が雨雲を呼び寄せますから」
空を見つめ続けるソティルの瞳を、今度はイーリスがまじまじとのぞき込む。
「ソティルって、自分の雨を呼ぶ力、信じてる?」
その問いを耳にするや、ソティルは居住まいを正してイーリスに向かい合う。真っ直ぐな視線が、イーリスの視線とぶつかり合う。
「ええ、信じておりますわ。私は優秀な雨乞いの巫女ですもの。皆もそう。私を雨乞いの巫女だと、信じて疑いませんわ」
自信満々な言葉とは裏腹に、表情も声も、いやに硬い。瞳が揺れるようなことがないのはさすがだが、ソティルはソティルなりに、雨乞いの巫女としての自分について考えることもあるのだろう。お高くとまった奴であることは間違いないが、ちゃんと責任感を持って取り組んでいるのだ。この若さで、重い物を背負わされたもんだぜ。一人で背負い込んでないことを願うばかりだね。
イーリスはソティルの視線を十二分に受け止めると、そこから何を読み取ったのか、唇の端を綻ばせた。
「そっか、強いね」
「ちっとも強くなどありませんわ。それが私の天命なだけ」
「強いよ、やっぱり」
ソティルは言葉を重ねるイーリスに肩をすくめてから、思い出したかのように口を開く。
「……そういえば、あなたは――」
ソティルが何か言いかけたところで、広場の入り口から馬車が入って来た。見覚えのある二頭の黒馬が引く、漆黒の馬車だ。
「ああ、迎えが来ましたわ。それでは私、仕事がありますので」
ソティルは立ち上がって、馬車の方にゆっくりと歩いて行く。
「今晩の私の舞い、是非ご覧くださいな。それと、雨が降っても、私に傘は不要ですので!」
ソティルの背中が発する言葉は力強かった。アスカールの時のように、またソティルが雨を浴びることになれば、村人はもちろん、おいらたちも救われる。
「うん、ぜったい見に行くね。またねっ!」
イーリスはベンチから立ち上がって、大きく手を振った。
ソティルは振り返ることのないまま従者に導かれて馬車に乗り込むと、そのまま走り去って行った。きっと、採掘所の特設舞台に向かったのだろう。
「ま、夜までに雨が降ってくれたら、一番なんだけどな」
「どうせ明日の朝まではここに泊まるんだから、どっちでもよくない?」
イーリスが不真面目なことを口走るが、実は一理ある。
「今すぐ雨が降ったとしても、移動する意味は薄いからな。どちらにせよ明日は日曜日なんだ、指令書を確認しにシートスまで戻ることになる。もし明日までに雨が降らないとなると、任務未達成のまま次の指令書を拝むことになるわけだが、一体どうなるんだろうな」
今では雨と共に旅をしていたため訪問即任務達成だったせいで、今回は初のケースとなる。単に報酬を得られないだけで済むのか、何らかの罰則があるのか、今は想像することしかできない。それでも危機意識がどうにも希薄なのは、悩んだってどうしようもないからに他ならない。そこんところの潔さは、おいらとイーリスに共通している。
「いつもは、ずっと降ってるのにね……」
青空を見上げてため息を吐くイーリスに、おいらも甚だ同感だ。この強い日差しに慣れつつある自分が恐ろしいね。
「ま、なるようになるさ。のんびりやろうぜ」
どうせできることは、こうしていることだけなのだから。
半ば自分に言い聞かせつつ、おいらも空を見上げた。
太陽が天頂を目指して昇っている最中だ。それを遮るものは、未だ何もない。
おいらはさっきイーリスがしたソティルへの問いかけを反芻する。
と言っても、ソティルが雨乞いの巫女として、雨を降らす力を持っているかどうかを検証するわけではない。
転じて、イーリスの雨女としての力は本物なのか。
今まで何年も雨と共に旅をしてきた実績が、イーリスを雨女たらしめている。その事実は明らかに異常であり、おいらは今までイーリスが雨女だと信じて疑わなかった。
そしてそれは、昨日今日雨が降らない程度のことでは覆らない。
イーリスは、自身の雨乞いの力を信じると言ったソティルのことを強いと言った。
もしかしたらイーリスは、昨日今日と雨が降らなかったことで、自分自身の雨女としての力を疑い始めているのかも知れない。
だが、それは一時の気の迷いに過ぎない。
はっきり言おう。
イーリスのそれは、ソティルのような迷信が虚飾する偶然の産物とは完全に別格だ。
だからこそ、おいらは問いたい。
ならばなぜ、昨日今日に限って雨が降らないのだ?
何か理由があるはずだ。いや、根拠は何もない。
だが、現状を偶然や例外で片付けられるほどイーリスの力を見くびってはいない。
この時おいらは既に、何らかの対策を打たない限り、サルには雨を降らせられないのかも知れないと思い始めていた。