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片時雨のイーリス  作者: せき
第一章
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16話

 その提案には、おいらも度肝を抜かれた。

 遊ぶ。考えてもみれば、おいらはイーリスと出会ってからずっと、彼女が誰かと遊んでいる姿を見たことがない。もちろん、イーリスが誰かを遊びに誘う姿もだ。

 これも、この雲一つない快晴がさせる業なのか?

 だが、そんなことはソティルには関係ない。どう考えても迷惑だ。それにアイトリアだって仕事中なんだ。イーリスの提案は、自分勝手この上ない。

 そう思いつつアイトリアを見上げてみれば、どういうわけか目を輝かせてソティルの返事を待っているではないか。おいお前さん、仕事のこと、忘れてないよな?


「私があなたたちと遊ばねばいけない道理がありません!」


「だって、暇なんでしょ?」


「た、たとえ暇でも、あなたたちと遊ぶくらいなら休憩してますわ!」


「じゃ、休みがてら、遊ぼ!」


「あ、あなたって方は……」


 なおもゴリ押しするイーリスの後ろには目を輝かせて賛同の頷きを続けるアイトリアが控えている。百歩譲って休憩の必要がないくらい体力が有り余っていたとしても、ソティルがイーリスに付き合う義理はない。

おいらはソティルに同情する。言い出したら聞かないイーリスは、本当に始末に負えないからな。誓って風呂場の後ろめたさから言っているわけじゃないぞ。

 と、ソティルが言葉を探して沈黙している最中、背後から小刻みな足音が聞こえてきた。

 何気なしに振り返ってみると、思わぬ人物がこちらに駆け寄ってきているではないか。


「お兄ちゃーん!」


 叫び声の主は、足に血の滲んだ布を巻いた少女だった。その布は、ついさっきまでイーリスの鞄の中に入っていたもので――。


「セナ!」


 アイトリアは、駆け寄ってきた少女、セナを、しゃがんで両腕で抱きしめた。そしてそのまま抱き上げて、ぐるぐる旋回させる。絵に描いたような仲睦まじさが微笑ましい。


「あはは、お兄ちゃん、目が回るよぅ」


「そーれセナ、楽しいだろ!」


 アイトリアは何周も何周もセナを回す。

 ……なんか、だんだんセナの笑顔が引きつってきているように見えるんですけど。


「あははは、お兄ちゃん、なんだか気持ち悪くなってきたよーう」


 やはりか。青白い顔で声を揺らすセナに、ようやくアイトリアがセナを下ろす。

 アイトリアによるぶん回し地獄から解放されたセナだったが、よろめいて尻餅をついた。お尻をさすりながら見上げた先に、イーリスの顔を見つけたようで、


「あ、お姉ちゃん! こんなところに寄り道? さっきはありがとーっ!」


 元気な顔を見せるセナに、イーリスも小さく手を振って笑顔を返す。イーリスとセナのつながりが分からないアイトリアは目をしばたかせている。


「あれ、どっかで会ったのか?」


「うん、さっき、サルに向かってるときにね」


 言いながら、リュックの中から飴瓶を取り出す。


「なめる?」


「さっき貰ったの、まだ残ってるよ、ほら」


 セナはポケットから飴玉を取りだして見せるが、イーリスは気にせず、栓を抜いた瓶の口をセナに向ける。


「いいよいいよ。新しいの、もう一個!」


「ほんと? お姉ちゃん、ありがとうーっ!」


 セナはすぐに半透明な水色の飴玉に手を伸ばすと、それをそのまま口に放り込んだ。いつも笑顔のセナだが、飴の甘さも手伝って、余計に表情をとろけさせる。


「ソティルも、なめる?」


「そ、そんなお子様のお菓子なんて、私が欲しがると?」


 ツンケンした言葉の割に、横目で瓶をチラチラ見ているのはおいらの気のせいというわけではないだろう。庶民の駄菓子が気になって仕方がないといった風情だ。そんな露骨なソティルのやせ我慢には全く気づかず、イーリスはすぐに注意をよそに移す。


「そか。じゃ、アイトリアもお一つどうぞっ」


「おっ、サンキュ!」


「ちょっ……」


 ソティルのやつ、滅茶苦茶物欲しそうに飴玉を見つめてるぞ。普段高級菓子を飽きるほど食べてそうなお嬢様なのに、そんなに飴玉が珍しいのだろうか。よだれを垂らしかねない勢いだ。

 ともあれ、ここは貴族様に恩を売る絶好のチャンスだ、セナにそうしたように、もう一度勧めて一個食わせとけ。などと、おいらが思っているとはつゆ知らず。

 イーリスは、ふと思い出したように話題を変える。


「そういえば、さっき、そこの馬車にひかれかけた」


「さっきって、サルに来る途中でか?」


「うん。それで、セナちゃんが怪我したの」


「もう大丈夫だよ、お姉ちゃんが手当てしてくれたから!」


 言ってから元気に跳ねてみせるセナだが、おいらの目は見逃さなかった。着地の瞬間、奥歯を噛みしめて痛みを堪えていたのだ。となると、サルに一人で帰った時も全力疾走だったが、無理をしたに違いない。なんと意地らしい子なのだろう。

 おいらが健気なセナに胸を打たれている間に、イーリスはソティルに向ける表情を険しくしていた。


「ソティル、その馬車に乗ってたんでしょ? どうして避けなかったの」


 話しかけられている間もずっと瓶を目で追っていたソティルは、鼻で息を抜いて答える。


「避けるも避けないも、馭者の仕事ですわ。私は存じ上げません。――ただ、そう。一度馭者が、道に子供がいますが止めますか、と、聞いてきました。それには、公道は馬車優先なのだから、気にすることはありませんわ、と、答えましたが」


 ありのままを悪びれもせずに言うソティルの注意の先はは相変わらず飴玉にあり、その体は誘われるように徐々に瓶ににじり寄っていた。

 だから、横からいきなり肩を掴まれたソティルが小さく悲鳴を上げたのも無理はないだろう。アイトリアの大きな手が、ソティルの体と意識を飴玉から引き剥がした。


「おい、それはあんまりなんじゃないのか?」


「はぁ、いきなり何を言い出しますの?」


 肩を掴む手を払ってアイトリアに向き直ったソティルは眉をひそめる。アイトリアの怒りの理由が心底わからないという顔つきだ。


「小さな子供が自分の馬車の暴走で怪我してるんだぞ、ちっとも悪いとは思わないのか?」


「いいよお兄ちゃん――」


 自分のことで雰囲気が悪くなるのが嫌だったのだろう、セナがアイトリアをなだめようとした、その時だった。


「思わないですわ、全く。法律上、何も問題ありませんし、暴走でもなんでもありません。公道でぶらぶらしていたそちらの不注意。同情の余地はありませんわ」


 ソティルの冷め切った表情から放たれた一言に、アイトリアの顔から表情が消えた。


「本気で言ってるのか?」


「事実を申し上げただけです。不服でしたら、もう一つ付け加えて差し上げましょうか。仮に馬車に轢かれたのが公道でなくても、階級法が私を守るでしょう。下々の者は、我々の邪魔にならないように生きていくのがさだめ。そう法律で決められていることをご存じなくて?」


 その一言が火に油を注ぐ余計な追い打ちだったことは間違いない。ソティルは頭一つ高いアイトリアを見上げてはいたが、その目は完全においらたちを見下していた。


「お前は、それでも人の子なのか!」


 アイトリアの右手が上がったと思った次の瞬間。

 パン、という、何かが破裂するような音が響いていた。しかし、なんのことはない。

 アイトリアの右手が、ソティルの滑らかな頬を打った音に違いなかった。

 突然の出来事に、ソティルは何が起こったのか理解できず、ぶたれた頬に手を当てて呆然としている。


「やっぱりお前も、俺たちのことを同じ人間として見ていないのか。貴族の連中は、自分たちが豊かに生活できればそれでいいのか」


 淡々と問われて、ソティルは喉をふるわせ、唇をわななかせながら、細い声を絞り出す。


「……その通りですわ。あなたのような不敬な下民は、馬車馬のように働いて、人知れず野垂れ死ねば良いのです」


 ソティルとアイトリアの視線が激しくぶつかり合う。

 赤みを帯び始めた頬を押さえるソティルは、目尻に溜めた涙を零さないように、キッと睨んでいる。一方のアイトリアは、肩を怒らせ拳を握りしめ、今にも殴りかかりそうな勢いだった。だが、先に視線を外したのはアイトリアだった。


「そうかよ」


 その一言だけを吐き捨てて、アイトリアは背中を向けて、手押し車の方に戻る。


「じゃ、鉱石、受け取ってくるから」


「う、うん」


 イーリスもどうして良いかわからず、頷くことしかできない。

 そのまま坂道を下って行くアイトリアの背中に、掛ける言葉は見つからなかった。

 ふぅ、沈黙が重いぜ。と、事態の改善を時の流れに委ねようとしていたおいらとは違って、この最悪な雰囲気をどうにかしようと試みる猛者がいた。


「あの、ソティルさん!」


 セナである。ソティルの前に進み出て、笑顔を向ける。


「馬車の前にいて、すみませんでした!」


 深々と、お辞儀をする。その様を、ソティルは口を半開きにして見つめている。目元に溜まっていた涙が流れ落ちるのにも気づかない。


「足なら、大丈夫です! これからは、邪魔にならないように気をつけます!」


 もう一度ぺこり、と笑顔でお辞儀するセナに、ソティルの唇が動く。


「……るかったですわ」


「……え?」


 かすれた声が聞き取れず、きょとんとするセナに、ソティルは手のひらで涙を拭いながらそっぽを向く。


「悪かったですわ。でも、そう、あなたの仰る通り、公道は馬車優先なのですから、今後気をつけてくださいまし。……なのになんですあの一方的な言い方は。あー腹が立つ!」


 ソティルは涙を拭った手をぶたれた頬に当てている。


「本当に、悔しい。私こと、何もしらないくせに」


 それだけぽつりと呟くと、馬車の方に戻って行ってしまう。


「ソティル!」


 今まで黙っていたイーリスの叫び声に、ソティルは馬車の前で立ち止まった。

 この状況で、イーリスにいったい何が言えるのだろうと思ってみれば。


「またお風呂、いっしょに入ろうねー!」


 実に気楽な誘いだった。

 ソティルは振り向きもせず、馬車の中に入っていった。

 所在なく馬車の戸を眺めていると、イーリスの服をセナが引っ張った。


「お兄ちゃん、怒ってたね……悪いことしちゃったな」


「なんで? セナはなんにもしてないじゃん」


 イーリスの顔を仰ぎ見るセナの表情は沈鬱だ。


「あのね、お兄ちゃんのお父さん、貴族の人に殺されたんだって」



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