chapter:1 「出会い?」
数年前からちょっとずつ書いてますが未だに完成せず(笑)
ストーリーは決めてあるんですが、なかなか・・・(^_^;)
部分的に少し「重い」ところもありますのでご了承ください。
私は、驚愕した。
つまるところ、えらくビックリしたのである。
この世に生を受けて十六年。かつてない経験、そして困惑……。
私は、眼鏡の奥の小さな目を大きく見開き、呆然と立ち尽くしていた。
「越前マリアさん、だよね?」
そう問いかけてきた「彼」は、かけらほどの緊張感もなく,ニコニコと愛想良い笑みを浮かべて私の前に立っていた。
制服はだらしなく着崩し、ズボンのポケットに手を突っ込み、ガムをクチャクチャと噛みながら、まるで人を品定めでもしているかのようにこちらを見ている。
なんなのコイツ……⁉
私は、この男の事を知っていた。
三橋ユウト。隣のクラスなので、直接の面識はなかったが、この目立つ風貌からちょっとした学校の有名人だった。医者の一人息子であることをいいことに、毎晩遊びまわっているそうだ。その他にも、気が短くて暴れだしたら手が付けられないとか、女癖が悪いとか、悪いうわさばかり耳にする。正直関わり合いになりたくない人間ランキング第一位だ。
にも拘らず、私は今、その三橋ユウトと面と向かって話していた。
人生、思う通りにはいかないものだ。
「アンタなの? 私を呼び出したのは?」
私は、我を取り戻すと眉間にしわを寄せ、ぶっきらぼうにユウトを問い詰めた。
「そうだよ」
悪びれる様子もなく、あっけらかんと答えるユウト。
その態度が、さらに私の怒りを倍増させた。
「話は何? 私、忙しいんだけど」
本当に忙しかった。今日は駅前のスーパーでお米を買って帰るよう母に言われていたからだ。この時期は、『新生活応援セール』とかで、新社会人に優しい料金設定になっている。このチャンスを見逃す手はない。今、こうしている間にも、在庫が一つ、また一つと近所の主婦たちによってレジに運ばれているかと思うと、いてもたってもいられなくなる。
では、なぜそんなリスクを冒してまで私はこの場所にいるのか?
こんなチャラ男と会話しているのか?
話は、八時間前まで遡る……。
× × ×
春の陽気が心地よい四月の良く晴れた朝。私はいつものように通学路を歩いていた。
今日はお米を買って帰らなくてはいけない。任務は重大だ。お米は日本の食卓になくてはならない大事な主食だ。例えオカズが貧相であっても、米さえあれば満腹感を得ることができる。まさに生活の要といっても過言ではない。基本的に、お米の購入は私の担当になっている。父は数年前にヘルニアの手術をしたため、腰の負担になるようなものは持たせられない。母も体格が良い方ではないので無理だろう。そうなると、若い私が必然的にお米係ということになる。でも、私はこの「お米係」という役割が気に入っている。何というか、家族の命の源を支えているようで妙に心地いい。私がいなくなったら越前家は餓死してしまうのではないかと考えると、この重責を任されていることに意義を感じる。
いや、お米の話はどうでもいい!
学校についた私は、いつものように下駄箱を開ける。
すると……
「……ん?」
私の上履きの上に、一通のピンク色の封筒が乗せられていた。
これって、まさか……⁉
「ラブレターって、やつだねぇ……」
いつの間にやら友人二人が後ろから覗き込んでいて私ビックリ! と言う定番の展開。
柏木マキと大島アカネだ。
マキとは、幼稚園からの幼馴染で、ボーイッシュな外見通り性格もかなり大雑把である。ビジュアル系バンドが好きらしく、私服は主に黒い。歩くたびにジャラジャラと音を立てるほど身につけられたアクセサリーの数々は周囲を軽く引かせていた。そちら計に興味がない私的には、いつも同じ服を着ているようにしか見えないが、さほど大きな問題ではないので気にはしていない。
アカネは、高校に入ってから知り合った友人で、いつの間にやら横にいた。大きなリボンがチャームポイントだけど、なぜか私には「ピグ○ン」に見えて仕方ない時がある。いや、悪口じゃないよ! かわいいじゃん「ピ○モン」!
「差出人は……無いな?」
マキが、私の手からその封筒を奪い取り、勝手に封を開けようとする。
「ちょっとちょっと! なにしてんのよ⁉」
私は、慌ててマキの手から封筒を奪い返す!
「開けないの?」
「開けるよ! 私が開けるよ!」
こういうデリカシーのないところがマキの欠点だ。この間も、スカートにお茶をこぼされた時、
「シミになるぞ!」
と言うが早いか、教室で脱がされそうになった。
とりあえず、私は封筒を開けた。表に私のあて名が書いてあるから下駄箱の入れ間違いなんてオチでは無さそうだけど、ラブレターだという確証もない。不安と期待が入り混じる中、封筒からファンシーな模様に彩られた便箋を取り出す。
「越前マリア 様
お話したいことがあります。
放課後、校舎裏まで来てください。」
以上。
「それだけ⁉」
マキがビックリして私に尋ねる。
うん、私もビックリした。
他には何も……書いてなかった。
「くぁーっ! 何だろうね、コイツ! ロマンティックの欠片もないじゃない。こんなんじゃ愛が伝わらないよ!」
「だよねー、だよねー!」
アカネがマキに同調する。ちなみにこれが彼女の口癖だ。
「いや、って言うか……これって、ラブレターなの?」
私の言葉にマキとアカネが目を合わせる。
「じゃぁ、何だって言うの?」
「例えば……果たし状?」
私の冗談に、途端に二人が納得したかのように頷いた。
「って、おいっ!」
「アンタ、結構怨み買ってそうだもんね……」
「だよねー、絶対そうだよ!」
「ちょっと! アンタ達、私にどんなイメージ持ってる訳⁉」
「どんなって……なぁ?」
その瞬間、マキとアカネの顔から生気が消えた。いや、だからマジで私ってどんなイメージなのよ⁉
「ったく! 何なのよ、この手紙⁉」
マキがイライラしながら私の手から便箋を奪い取り、裏返したり明かりに透かしたりする。
謎の古文書じゃないんだから、そんな事で文章が出てくるはずも無い。
「心当たりとか、無い訳?」
「ある訳無いじゃん。 大体、差出人不明の上、この文面じゃ何もわからないよ……」
しばらく目を閉じ何やら考え込んでいたマキが、ハッと笑顔でこちらを見た。
「よし、んじゃこうしよう!」
「どうするの?」
「放課後、校舎裏に行けよ」
「ヤダよ! なんで私が⁉」
「だってその手紙、マリア宛てなんだろ? 待ち合わせ場所に行って、真相を突き止めようぜ!」
「マキ……あんた、この状況を楽しんでるでしょ?」
「め、滅相もない! 私はただ、親友にようやく訪れた『春』を応援したい、そう思っただけだよ」
一瞬狼狽した後、まるで少女漫画の登場人物のようなキラキラした瞳で私を見つめるマキを、
「嘘っぽいんだよ」
と、一蹴する。
途端に、本来の顔つきに戻り舌打ちするマキ。
「信用ねーな……」
アンタ、私と何年の付き合いだと思ってんだ。
「マリアちゃん、本当に行かないの?」
アカネが心配そうに聞いてくる。この娘の場合、本心からの言葉だろう。私は小柄なピグ……いや、アカネの頭をそっと撫でると、
「行かないよ。こんな怪しい手紙、シカトよシカト。それに、今の私には恋愛なんかよりも、もっと大切なことがあるんだから……」
マキとアカネは知らない。その「大切なこと」が、まさかお米を買いに行く事だということを……。
そして放課後。私は校舎裏にいた。
来るつもりはなかった。実際、マキとアカネとは一緒に校門を出た。徒歩圏内で通える私は、バスを利用することがないので、二人と一緒に帰るときは決まってバス停で別れる。今日も、二人と別れのあいさつを交わし、私は一人家路に就いた。そして……その横を、マキとアカネを乗せたバスが通り過ぎた時、私はふと立ち止まる。
「………………校舎裏、行ってみようかな?」
いや、別にあの手紙を信じてるわけじゃないし、恋とか今は別に興味ないし、何よりお米を買いに行かなきゃいけないし……!
でも、もしも……本当に私の事を想っていてくれる人がいて、私が来るのを校舎裏でずっと待っているとしたら……やっぱり行かなきゃ悪いよね。
いや、どんな人か興味ある訳じゃないんだけど、断るにしてもきちんと言わなきゃ失礼かなって思った訳で、決して乙女心に揺れ動いているってんじゃなくて……何て言うのか、その……
何か、納得いかないのよ! そう、それ! だから、行っちゃおう! 行かずに後悔するより行って後悔したほうがいいじゃない?
決定! 私、校舎裏行きまーす♡
そして現在に至る
思えば浅はかな選択だった。普段なら、こんな過ちは絶対冒さない。
冷静さを欠いていたのだろう。すべては自分の弱さが招いた結果だ。もし、タイムマシンが開発されたら、何をおいてもあの瞬間の私のもとへ出向いてグーで思い切り殴ってやりたい。いや、タコ殴りにしてやりたい!
「あ、あのさ……?」
ユウトの呼びかけに私はふと我に返る。
「大丈夫? 何か、さっきから一人でブツブツ言ってるけど……?」
本気で心配された。なんか悔しい。
「ほ、ほっといてよ!」
「何か、忙しいとか言ってたから、手短に済ますな」
「手短って……そういうものなの?」
「何か言った?」
私のリアルツイートは、聞き取れなかったらしい。
「何でもないよ! 要件は何?」
「ん? うん、あのさ……」
ここにきて、さっきまでの軽さが影を潜め、急にユウトは落ち着きを失った。
これって、まさか……⁉
「越前……あのさ、俺……お前に……」
この流れって……来る? 来ちゃうの?
鼓動が激しくなるのが分かった。私……緊張してる!
「お前に、付き合って欲しい奴がいるんだ!」
…………………ん? 何か今、理解しがたい日本語が聞こえてきたような???
「おい、ユタカ!」
ユウトが声をかけた物陰から、一人の小柄な男子が姿を現わした。
春山ユタカ。見るからに華奢で、まるで女の子のような顔つきのその男子は、まるで獣に怯える小動物のようにオドオドと私に近寄ってきた。
「えっと……どちら様?」
いまだ状況が呑み込めない私は、とりあえず春山君に正体を訊ねた。
その瞬間、春山君はこの世の終わりのような表情を浮かべ、大粒の涙を流してその場に倒れこんでしまった。
「えーーーーっ⁉」
「オイ、ユタカ⁉ ユタカしっかりしろ! お前、何てことを!」
ユウトが私を睨みつける!
「私⁉ 私のせい⁉ 何で⁉」
「目ン玉かっぽじって、コイツの顔を良く見てみろ!」
目ン玉かっぽじったら大変なことになるんじゃないかと思ったけど、突っ込むと色々と厄介な感じがしたのでとりあえず春山君の顔を見る。
…………え、誰?
私が小首をかしげた瞬間、再び滝のような涙を流して彼はその場に泣き崩れた。
いい加減、めんどくさくなってきた。何だよ、こいつら……?
ユウトが、ため息混じりに私に問いかける。
「お前、こいつの事覚えてないのか?」
「え……?」
…………ダメだ、どうしても思い出せない。
私は相手を傷つけないよう細心の注意を払いながら渾身の作り笑顔で春山君に問いかけた。
「ごめん、どこかで会ったっけ?」
「馬鹿野郎! お前、コイツと同じクラスだろうが!」
「えーーーーっ⁉」
ビックリした。色々な意味でビックリした。
確かに同じクラスの人の顔を覚えてないのは申し訳なかったかもしれないけど、今のクラスになって二週間くらいしか経って無い訳で、しかもこう言っちゃ何だけど、この子見るからに影が薄そうで、正直他人にあまり興味を示さない私にとってはモブキャラ以外の何者でも無い訳で……いやいや、話の本筋はそこじゃないよ。はっきりさせなきゃ!
「ちょっと待って!」
私は、冷静さを取り戻すため深呼吸をする。
「つまり……つまりよ。私の下駄箱にあの手紙を入れたのは、えっと……春山君?」
「ちげーよ、俺だよ」
ユウトが答える。
「わかった! わかったよ。入れたのはアンタで、手紙を書いたのは、春山君?」
「だから、それも俺だって」
「…………え、アンタ、私の事好きなの?」
私はさらに混乱する。
「んな訳ねーだろ。お前、話聞いてたのか? 俺は、ユタカと付き合ってくれって頼んでんだよ」
「だって、手紙書いたのはアンタなんでしょ⁉」
「俺は放課後校舎裏に来てくれって書いただけだろ⁉ お前の事好きだとか一言でも書いてあったか⁉」
……なるほど正論だ。
いやいや違くて!
「何で、その彼が自分で書かない訳⁉」
「勘違いするなよ。これは、俺が勝手にやったことだ。だから、ユタカは何も悪くねえ」
「何それ? 友情のつもり? キモいんだけど」
「んだと⁉」
私は一頻りユウトと言い争ったあとで、会話に全く参加してこない春山君を睨みつけた。
「あんたさ、さっきから何黙ってるの。あんたのことでケンカしてるんだけど?」
「僕は……その」
「はっきりしなさいよ! 男なんでしょ⁉」
「でけー声出すなよ!」
「あんたは黙ってなさいよ!」
「や、やめて……!」
春山君が、私とユウトのケンカに割って入ってきた。
「あの、僕……越前さんに、言いたいことがあります!」
私は、再び緊張に襲われた。今度こそ、来ちゃうらしい。この瞬間が来ちゃうらしい。
私は、春山君の言葉の続きを待った。
「……越前さん、この前は、ありがとうございました!」
言うと同時に、深々と最敬礼する春山君。
…………えっと、あれ? 今、何かお礼とか言われた気がしたけど?
「あれ、おい、ユタカ?」
ユウトも困惑している。これは一体、どうしたというのでしょうか?
「違うだろ、ユタカ⁉ そこはほら、好きですとか、付き合ってくださいとか、お友達から、とかじゃね? 何でお礼とか言っちゃってるの? おかしくね?」
「三橋君、ごめん……僕が、はっきりしないから、こんな事になっちゃって……」
「何だよ? 何を謝ってんだよ?」
「僕が、越前さんを気にしてたのは、この前のお礼が言いたかったからで……特に、好きとか、そういう事じゃなくて……」
「お礼って、私、何かしたっけ?」
残念ながら、顔も覚えてない相手にどんな親切をしたかなんて当然記憶にございません。
「掃除当番、他の人達に押し付けられそうになった時、越前さんが助けてくれたでしょ?」
あ…………そう言えば、そんな事もあったような、無かったような?
確か、機嫌の悪い時にそんな光景を見かけて、男子連中を怒鳴りつけたことがあったかもしれない。別に春山君を助けようとした訳じゃなくて、高校生にもなって己の責任を果たせないそんな奴らが妙にムカついて怒鳴り散らしただけだったと思うけど……ま、結果的に春山君を助けることに繋がったのなら、結果オーライだ。
「僕、嬉しかった。だから、いつかお礼を言おうと思ってたんだけど、なかなか話しかけにくくて……」
「いや、だからさユタカ。それがつまり、恋なんじゃね? その出来事をきっかけにして越前の事が気になり始めたんだろ? 好きってことじゃねーの?」
この場の状況(と言うより己の失態)を取り繕うと必死なユウトの心を知ってか知らずか、春山君はまるで憑き物が落ちたかのようなスッキリとした笑顔で、
「だから違うってば。良かった、やっとお礼が言えて。三橋君のおかげだよ」
「お、おう……」
「じゃ、僕、これから塾があるから。さよなら!」
「お、おう……」
手を振り、去ってゆく友に、同じように手を振って応えるユウト。だが、その顔は心なしか引き攣っているように思えた。いや、実際引き攣っていたのだ。
私は、ユウトの肩にポン! と手を置いた。
その瞬間、彼の顔から血の気が引いていくのが、後ろからも良く分かった。
「おい、何、人に恥かかせてくれてんだ?」
「いえ、決してそういうつもりでは……」
「三橋、ユウト……その名前、忘れないから」
恐怖と懺悔に立ち尽くすユウトを尻目に、私は今度こそ帰路に就いた。
お米、まだ売ってるかな……?
どれくらいの時間が経ったのだろう……?
気が付けば私は、家の近くの商店街を歩いていた。
無事購入できたお米の重量を抜きにしても、私の足取りはとても重かった。別に家に帰るのが憂鬱だった訳じゃない。何て言うか、心が疲れ切ってたのだ。
ふと立ち止まり、店先のガラスに自分の姿を映し出す。
眼鏡の奥の小さな瞳、鼻筋が通っているものの決して高くは無い鼻、おちょぼ口。そして、何よりも嫌なのは……この男子よりもある高い身長。
自分でも良く分かっている。
「私は、かわいくない」
女である以上、かわいくありたいと思っている。いや、思っていた。
夢の国のお姫様にあこがれた時期もあった。ファンシーな小物を集めたりもした。
でも……現実は、そんな私を拒絶した。
男子にチヤホヤされるのは、決まって「顔の造りの良い女子」だった。もちろん、芸能人になれるような際立った美人じゃない。広く一般的に見て『カワイイ』範疇に収まるレベルの顔立ちだ。残念ながら、私はその「範疇」からは外れてしまっていた。
子供は時に残酷だ。口論にでもなれば、平気で相手の外見的特徴を口撃してくる。私も、ケンカの度に何度となく男子達の心無い中傷を受けてきた。世間じゃケンカ両成敗なんてきれいごとがまかり通っているけど、心に受けたダメージは私の方が遥かに大きく、そして深かった。
別に、今更「彼ら」を責めるつもりはない。成長過程における「過ち」は、やがて「反省」となり、モラルの形成へとつながってゆく、いうなれば通過儀式のような物だから……。
とは言え……私の心に刻まれたその「傷」は、思いのほか私の人格形成に影響を及ぼしたのもまた事実だ。
自分が「お姫様」にはなりえないという現実。多くの人々の共通認識である「基準」からはずれた己の立場に気づき、やがてそれらの経験は、少女であった私の純粋な心を次第に蝕む結果となった。
私は、たまに考える。
可愛さって何だろう?
世間の男性が求める『可愛さ』の基準が、『見た目』と言うものにウェイトを置いたものであるのならば、自分はそこには当てはまらない。そんな私がこの先、世の中を生き抜いていく上で必要なものは一体何か?
やがて……私は女を見かけでしか判断できない下劣な男共を見下すことに活路を見出した。そうすることで自らを保とうとした。その手段として、「恋」や「愛」なんてくだらない感情を捨て、勉学に勤しんできた。それが正しいと信じていた。
でも、あの瞬間……!
三橋ユウトからの手紙を受け取った瞬間、私の心を覆っていた鎧が壊れた。いや、もともとそんな物は無かったのかもしれない。あると思い込んで着飾っていた……まるで裸の王様だ。
あ、私は女だから裸の女王様か……って、何かヤバくない、その響き?
私は、心のどこかで待ち望んでいたのかもしれない。いつか、自分を迎えに来てくれる王子様の存在を。「恋」や「愛」を否定しておきながら、何とも虫のいい話だよね。
でも、結局はあのバカ(ユウト)の勘違いだった。
恥さらしもいい所だ。
結局、私には「恋愛」なんて向いていない。そんな事、ずっと前からわかっていたはずなのに……。
「……ムカつく!」
不意に、そんな言葉が口から出た。
出さずにはいられなかった。
それは、ユウトに対してなのか、それとも自分自身に対してなのか……今となっては良く覚えていない。
住宅街の密集する路地裏に、私達家族の住む「家」はあった。
「家」と言っても、まるで昭和の遺物のような、古臭いボロアパートだった。
この二階の一室に、父と母と暮らしている。最近は入居希望者もなく、他の部屋はほとんど空き部屋だ。年老いた大家さんの好意で、取り壊しだけは免れている。
錆びついた、きしむ階段を二階へ昇る。ドアを開けると、母がお気に入りの割烹着姿で内職の造花を造っていた。
娘の私的には、この割烹着が貧乏さを際立たせているからあまり好きではないのだけど、本人曰く、
「このアパートに合ってるでしょ?」
と、いう事で、室内のインテリアに合わせた、こだわりのコーディネートらしい。
まあ、本人がいいならそれでいいけど……。
「ただいま」
「あら、お帰りなさい。遅かったわね?」
時計を見ると六時を回っていた。いつもなら、バイトのない時は五時には家に着いて夕飯の支度をしている。どうやら、動揺して無意識のうちに色々なところを徘徊していたらしい。
私は、改めて自分のメンタル面の弱さが頭にきた。
「お父さんは仕事?」
「ええ、工期が迫っているみたいで……この所、天気が悪かったから」
父は建築現場で働いている、いわゆる大工さんだ。屋外での作業が多いため、雨が降ると仕事にならない。今日は久しぶりに出勤したようだ。大工と言っても、現場ごとの契約のため、仕事が終わる度に新しい職場を探さなくてはならない。しかも、ヘルニアを患っているため働ける現場の選択肢も少ない。
「こうお天気に左右されちゃうとねぇ……今月も収入に響くわ」
優しい口調で厳しい現実をさらりと口にする母。
大丈夫だよ、お母さん! 私、バイト頑張るから!
明日はお惣菜もらって帰ってくるからね!
どこにでもいそうな……いや、今のご時世にしては割と珍しい『貧乏家族』。
それが私達、越前家なのです。
「はぁ~~~~っ!」
私は、夕飯の準備をしながら大きくため息をついた。
ダメだ、気持ちの切り替えができない。
あれからずっと、三橋ユウトの顔が頭から離れない。
これって、もしかして……怒り?
そもそも、何でユウトの顔が浮かぶのか?
あいつはただの付添いであって、元々はあの影の薄い……何だっけ、春だか秋だかって名前の子が私に告白したいみたいなそぶりを見せてたらしいって所からこの話は始まった訳で、ユウトは結局何の関係も……いや、無関係って訳じゃないけど、メインじゃ無い訳で、でもあいつの顔は浮かんでくるのに、告る予定だった彼の顔は全くと言っていいほど浮かんでこなくて、てか、正直どんな顔だったかもはっきり覚えてない訳で、それだけユウトの印象が強かったのか、アイツに対する怒りが大きかったのか……正直、私は頭が大混乱していた。
「どうかしたの?」
心配した母が、いつものおっとりとした口調で訊ねてきた。
「あ、ううん……何でもないよ」
何でも無い訳はなかった。ただ、この話を母にしたところでどうにもならない事ぐらいわかっている。
「珍しいわねぇ……マリアちゃんがため息なんて」
私は、自分の見た目と同じぐらいコンプレックスに感じていることがあった。
「マリア」と言う、およそ自分には似つかわしくないこの名前だ。
ちなみに、我が家にはクリスチャンは一人もいない。名付け親の父に、小さいころに名前の由来を尋ねたところ、
「特に意味はない」
と、真顔で言われたことを今でも鮮明に覚えている。
何か他に理由があって、照れ隠しで言ったのなら救いようもあるけど、まっすぐな視線で、かつ力強く「意味無い」発言をされたからには、本当に勢いだけでつけられた名前のようだ。救われない。
この名前のせいで、からかわれたことも多い。ビジュアルが追い付いていないからだ。せめてもう少し人並みの容姿だったら……。そんなことを考える自分に気づき、またも嫌悪する。
自分は自分なんだ。顔も、声も、体つきも、そして名前だって……全部ひっくるめて「越前マリア」なのだ。
周囲が何と言おうが関係ない。言いたい奴らには言わせておけばいい。笑いたい奴らには笑わせておけばいい。いずれ、自分がそういう奴らを見下す立場に立てばいいだけの事だ。
そして、こんな貧乏暮しからも必ず抜け出してやる。アメリカでセレブになってやるんだから!
夢はでっかく太平洋ぜよ!
そんな未来予想図を思い浮かべながら、私は半笑いでもやしを炒める。傍らの母の娘を見守る視線が、心配を通り越してドン引きに変わっていたことに私は気づくとこは無かった。
やがて父が帰宅した。
ご機嫌だった。
体からは、加齢臭に混じったアルコールのにおいがプンプンと漂っていた。
「いよーっ、愛するわが家族よ! 今帰ったぞ!」
タレた目を更にトローンと締まりなくなくタレさせて、父はフラフラと作業靴を脱ぎ散らかして、そのまま自分の定位置である奥の座布団に腰を下ろした。
「いやーっ、久しぶりに飲んじゃったなぁ!」
「あらあら、ずいぶんとご機嫌ですねぇ?」
母が、穏やかな口調で父の脱いだ靴を揃えながら声をかける。
「アキラんとこの犬がさ、子供産んだらしいのよ。写真見せてもらったら、これがもうカワイイの何の! そこから盛り上がっちゃって、この時間だよ。まいったね」
時計の針は八時を指していた。一般的なサラリーマンであれば、たまの飲み会でこのぐらいの時間ならごく普通……いや、早いといってもいいぐらいの時間だろう。
だが、父は忘れていた。自分の「立場」と言うものを。彼は「一般的なサラリーマン」ではない。「収入の不安定な日雇い労働者」なのだ。
そして父は気付いた。この部屋全体に広がる「アウェー」な感じに。
愛する家族から、一家の大黒柱に注がれているのは、まぎれもない蔑みの視線。
父の脳みそを侵食していたアルコール分が、スーーーッと揮発してゆく。
「何だろう、その目? すごい心に突き刺さるんだけど」
「お酒は、家で飲んでください……そう言いましたよね?」
母が笑顔で問いかける。
「覚えてる、覚えてますよ! ただ、祝いの席だからさ」
「もちろん、割り勘だったんでしょうね?」
母は笑顔のままだった。でも目は笑っていない。怖い。
「それは、ほら……その、なんだ」
「払ったのね、全額?」
母のこめかみに血管が浮かんだ。
「だって。ほら! 俺、一番年上だから……!」
泣きそうな声で己の正当性を訴える父。
「関係ありませんよ、あなた?」
ポン、と母が父の肩に手を置く。もちろん笑顔で。
「さーせんでした! 今後気を付けますんで、どうか許してください!」
土下座して母に許しを請う父の姿。娘としては見たくない光景だ。
他の家も、こんな感じなのかな……?
もやし炒めに米と言う、精進料理並みの夕飯を終え、私はベッドに横たわって天井を眺めていた。
勉強しようと机に向かったがはかどらない。
本を読んでも集中できない。
仕方なく寝ようと思ったけど眠れない。
どうも調子が悪い。
心が平静を保てない。
夕方からずっと、私は情緒不安定だった。
さっきも、父の
「何だよ、またもやし炒めか?」
発言にぶち切れ、危うくちゃぶ台をひっくり返すところだった。
好きで「もやし炒め」を作ってる訳じゃない。できれば他の野菜だって入れたいし、肉だって入れたい。いや、むしろ肉メインの料理とか作りたい。でも、切りつめないと生活が出来ない。それが、我が家が今置かれている現実だ。
誰が好き好んで、どっかのバラエティ番組みたいな節約生活なんかするもんか。伝説作る気なんかさらさら無いっての!
私は、ふてくされるように自分の部屋に入り、そして今に至っていた。
胸が、ドキドキしていた……。
父とケンカしたから?
いや、そうじゃない。これは、ひょっとして……。
やがて夜も深まる頃になると、私の意識は自然と深い眠りの中に落ちて行った……
私は、夢を見た。
目の前には、懐かしい光景が広がっていた。
ここはそう……私が通っていた小学校だ。
去年、老朽化のために建て直された筈なのに、私の記憶の中では、そこは昔と変わらない、あのままの小学校の姿を留めていた。
古ぼけた校舎。砂地のグラウンド。春になると美しい花を咲かせる桜の木々。
ノスタルジーと呼ぶにはまだ早いような気もするけど、やっぱり懐かしい。
二度と来ることはないと思っていた。楽しい思い出と同じくらい……ううん、それ以上に辛い思い出の方が多い場所だから。
それじゃなぜ?
どうして私は、そんな場所に夢とは言え、再び来ているんだろう?
心は望んでいないのに……いや、どこかで望んでいたの?
もう一度、ここに来たいって…………?
私はいつしか教室にいた。
窓から見える空は夕焼けに赤く染まっている。
いつの頃からか、私は夕焼けが嫌いだった。
沈みゆく太陽に寂しさを感じていたのか? それとも単純に色彩的なものなのか?
二度と来たくなかった小学校、そして大嫌いな夕焼け。
なぜ…………私はここにいるのだろう?
その答えは、意外と早く分かった。
クシャっ。
何かを踏んだ。私の足元には、クシャクシャに丸められたピンク色の紙があった。
「ふざけんなよ!」
背後から子供の声が響く!
私は、恐る恐る振り向いた。
そこには、二人の小学生が向かい合ってたっていた。
興奮気味に息を荒げた男子と、拳を握り締めて涙を堪えている女子。
「なんで俺なんだよ 」
男子は、まるでおびえるような顔つきで女子に詰問する。
「……だって、田村君の事が……好きだから」
女の子は、か細い声でそう答えると、やがて堪えきれずに涙を流した。
それでも、彼女は続ける。
「田村くんは……私の、王子様だから」
女の子はゆっくりと膝をつくと、クシャクシャに丸められたさっきの紙を拾い上げる。
「だから……だから……」
それ以上は声にならなかった。
ゆっくりと広げたその紙には、少女の男子への想いが書き綴られていたのだろう。
でも……
「やめろよ! お前、馬鹿なんじゃねぇの! 王子様とか……ありえねぇよ! お前、自分のことお姫様だって言いたいのか? 鏡、見たことねぇんじゃねえの!」
狼狽した少年は、遂に言ってはいけないことを口にした。
純粋な少女に対する最悪な言葉。
私は、この少年がこの言葉を発するのを知っていた。
間違いない。これは……私の記憶だ。
女の子は誰しも夢を見る。
その夢の中で、自分は常にお姫様であり、いつか出会える王子様の存在を信じている。
でも、やがて知るのだ。
自分はお姫様なんかじゃない。
王子様なんか、いないんだと…………。
私は、その現実を最悪のタイミングと最低な男子から教えられる事になる。
興奮した男子……田村は更に言葉を続ける。
「お前に好きだなんて言われたら迷惑なんだよ! 他の奴らに何て言われるか……」
私はこの時まで知らなかった。私が男子たちの間でどう思われているのかを。
既にクラスの女子を対象にしたビジュアルカーストは出来上がっていた。私はその中でもどうやら最下層に位置するほどレベルの低い容姿だったようだ。
彼は恐れていた。
最下層の私に告白をされることが、自らのクラスでの立場を下落させることを。
でも……私は信じたかった。田村が私にとっての王子様だということを。彼はきっと自分を受け入れてくれると。
勇気を振り絞ってようやく果たした告白が、こんな結末なんて……誰だって受け入れられないよ。
「……どうして? ねぇ、どうしてなの、田村くん?」
やめて……!
聞いちゃダメ! あなたは、その答えを聞いちゃダメ!
私は昔の自分に叫んだ。
でも、その声は届かない。
やめて、田村―――――――っ!
やがて、田村は非情に言い放った。
「まだ分かんねェのかよ? お前がブスだからだよ!」
聞いてしまった。
小学生の男子が放った、たわいも無い一言。
しかし……とてつもなく残酷な一言。
「いいか、この事、ぜってー誰にも言うなよ!」
そう言い捨てると、田村は逃げるように教室を飛び出した。
残された少女は、その場に呆然と座り込んでいた。
「……ブス? え……私が?」
少女は、両手を使って自らの顔を確認する。
目の位置。
鼻の高さ。
そして口元……。
信じられない。
信じたくない。
ショック、怒り、悔しさ、悲しみ。
様々な感情が一気に少女を襲う。
手にしていたピンクの便箋を、今度は自らの手でクシャクシャに握りつぶし、叫ぶように泣いた。
自分では既に気持ちがコントロールできない。
ただ、ひたすら泣く事しかできない。
ずっと忘れていた。
いや、忘れようと努力していた。
なのに、なんで今更思い出したの?
いや、違う。
何かがモヤモヤする。
大事な何か……とても大事な何かを、まだ思い出していない気がする。
私は、このあと確か…………
そこで目が覚めた。
目覚ましが鳴った訳でもなく、眩しい朝の日差しが射していた訳でもない。
真夜中だった。
どうも、この「夢」と言う奴は見てる最中に「こうしたい」とか「こうなりたい」とか意識しちゃうと覚めてしまうようだ。
こちらの望んでもいない光景を勝手に見せつけられたにも関わらず、本人の希望は反映してくれないとはいかがなものか?
こんな理不尽な「夢」のシステムに憤慨が収まらず、結局私は朝までまともに眠る事が出来なかった。
不愉快である。
昨日のラブレター事件に加えて今朝の夢見の悪さ、及びそれに伴う睡眠不足。
最悪のコンディションのまま、私は最高の朝食コンボである生卵ごはんに箸をつけずにいた。。
怪訝に思った父が、私に声をかける。
「おい?」
「何!」
まさに「刹那」。
実の父親を渾身の力で睨みつける。
その、ただならぬ娘の表情に
「怒るなよぅ……怖いよぅ」
と、おもわず泣きそうになる越前隆史(四十三歳)。
機嫌が悪い私に話しかけてくるのが悪い。
反省を促したい。
良い天気だった。
日差しはポカポカと心地良く、昨日の出来事がユウトとの件も含めてぜーんぶ「夢」だったんじゃないかと錯覚させるほど平和な一日を過ごした。
いつも通り授業を受け、いつも通りマキやアカネと語らい、いつも通りに時間が過ぎてゆく。
何もない。だけど、とても大切な日常だ。
ただ一点……いつもと違っていた。
廊下に出るたびに、隣のクラスが何故か気になった。
ユウトのクラスだ。
平和な日常を台無しにしてくれた行き場のない怒り。
改めて、昨日の文句を行ってやらないとどうにも気が済まない。
だから、何度か教室の中を覗き込んだけどそれらしい影は見えなかった。
サボリ?
それともトイレ?
訪ねようにも、やはり隣のクラスというのは何となく気まずく躊躇してしまう。
そうこうしているうちに、結局一度も奴との再会を果たすことなく一日が終わってしまった。
あいつ、マジでサボりか!
不真面目な学園生活(現段階では何の確証もない勝手な私の思い込み)を送っている「奴」の態度が、私の怒りに更に火をつけた。
これはもう文句どころじゃ済まされない。正座させて説教だ!
一人憤慨しながら、私はバイト先へと向かった。
ちょっと長いので、ここで一回区切りますm(__)m