第一章 『決闘は婚活のもと』B
タケミの在籍する学園。
その名は、『ケルベロス総合騎士育成学園』。通称ケルベロス騎士学園。
魔物、およびそれに準ずる脅威より人々を護法する“騎士”となるための育成機関である。
小等部、中等部、高等部……と大きく3つの区分けがされているがタケミが現在在籍しているのは15歳より編入した高等部である。
現在は高等部1年。
女剣士科にて剣を学んでいる。
学園は4つの科に分かれており、そのうちの“剣士科”は女剣士科と男剣士科の男女別となっている特殊な区分けである。
そもそもこの学園が設立された経緯は――百年前の魔王討伐の話にさかのぼるという。
かつてアテナ王国全土を暗黒に染めた、邪知暴虐の魔王が存在した。
その魔王を討ち倒したのが『太陽の騎士団』。
女剣士のミネル・アームストロング。
男剣士のシグマ・モロー。
魔導士のグレム・ザッカー。
聖術士のマリナ・パラディ。
その4英傑によって編成された太陽の騎士団。団長は女剣士のミネルであり、その女剣士の手によって魔王は心臓を刺され滅んだ……と言われている。
しかし魔王が滅んでも完全な平和とはならなかった。
魔王を倒した際、その魔王のエネルギーの波“魔波”が放出し、魔王城一帯の空間が鉱毒を浴びたように変質した。魔波の影響で魔獣が新たに生み出され、魔王の脅威は去っても、魔獣による脅威はなくならなかったという。
魔王城より発生する魔波は現在、結界によってある程度防がれているが、魔獣は積極的に増殖していないまでも、現在も王国全土のどこかに隠れ棲んでいる。ときおり人家や村、街に出没するそれらの討伐、また、結界の維持、魔波の調査など……それらを総合的に行う機関として、“騎士団”が設けられた。
その騎士団の騎士の育成として、この“学園”が設立された。
騎士にはおおまかに4つの役職があり、それらは魔王を倒した太陽の騎士団の4英傑に倣った、4つの区分けとなっている。
女剣士、男剣士、魔導士、聖術士。
学園の学科は、この4つの役職と同じように分かれている。
要は学園は、100年前の魔王を倒した『太陽の騎士団』を再現するために、4つの学科を設けているのだ。
なにせ魔王の脅威は今も健在で。
いつまた、魔王に批准する脅威が王国を脅かすかわからないのだから。
***
午前の授業が終わり昼休みとなる。
「タケミさぁーん」
やけにかわいらしい声が、タケミに向けて投げかけられた。
タケミはすました顔をその声の主へ向けた。
「おう、エルクか」
“エルク”と呼ばれた女生徒は背筋を伸ばして小幅な足取りでタケミのもとへと歩んだ。
タケミの同級生。もちろん、女の子。
“お嬢様”という言葉がピッタリ合うような、整った目鼻立ち。白磁の肌。水晶のような澄んだ蒼い瞳。髪はタケミと同じほどの長髪で、その色は銀に染まっていた。
背丈は小さい。タケミの背が規格外に高いせいもあり、相対的にかなり小さく、タケミの胸あたりに頭が来るほどだ。
「タケミさん、お昼行きましょうか!」
「そうだな。腹が減っては戦ができぬと言うしな」
タケミは笑顔で答える。長い座学を終えての昼食で、タケミの腹は唸っていた。
タケミはエルクとともに、学園中央にある食堂へと向かった。
エルクはタケミに対し授業内容や天気の話など、なんのことはない会話を掛けていた。もともと多弁ではないタケミはそれに対し静かに答えていた。
その背景には、冷たい視線を投げかける生徒たちの姿があった。
それは“タケミ”という、お嬢様騎士の風上にもおけない闖入者に対するもの――もあるのだが。
“エルク”に対しても、いくらか視線が注がれていた。
タケミにとってエルクは小柄でカワイイ、女友達である。しかしこの学園において、とくに女子間では、エルク・ホークアイの名はあまり評判が良くなかった。
エルクの家庭は複雑で、どうもエルクはホークアイ家の“隠し子”だそうだ。
(どんな世界でも、人のアラを探そうとするやつらはいるんだな……)
そんな視線に対しタケミはあきれ顔を向けていた。
エルクと初めて出会った日もその視線は向けられていた。エルクはその自分の出生を暴かれ、クラスの高飛車な女生徒にいじめられていたのだ。
それをタケミは助けた。
そして、エルクに慕われたのだ。
食堂に付いたタケミはいつものように目を宝石のように輝かす。
目の前には白いテーブルクロスが敷かれた長テーブルが数列。その上に鉄製の大皿がずらりと並べられている。その皿の各々に、絵画のように華やかに、色とりどりの食べ物が乗っていた。
学食はバイキング、もといビュッフェ形式となっている。
好きなモノを好きなだけ食べれるという、男だったとき体育会系だったタケミにとってはうれしい采配である。
「さぁ食うぞエルク」
「た、タケミさん、食うなんてっ……。もっとお上品な言葉でないと笑われちゃいますよ!」
「むぅ……それでは、“いただく”とするか」
生来の癖はどうも抜けきれない。
こんなふうにしばしば言葉遣いを注意されるタケミである。
タケミのテーブルの上にはこんもりと食べ物が乗った皿があった。
「タケミさん、きょうも盛りだくさんですね……」
エルクはそのデカ盛りの塔に目を見張っていた。
「ああ。午後から男剣士科との合同訓練があるからな。エネルギーをつけておかないとな」
そう言ってタケミはパンに白米、パスタにジャガイモといった、炭水化物中心の食べ物を放り込んでいく。カーボローディングという、持久力を必要とするスポーツを行う際の栄養摂取法だ。
「今日のアサリパスタはいい湯で加減だな。食堂のおばちゃん、腕を上げたな」
「タケミさん、フォーク一巻きで平らげてますよ!?」
「そういうエルクは、ずいぶんと控えめだな。どうした、気分でも悪いのか?」
タケミはエルクの前に置かれた皿を見て尋ねた。皿の上にはサラダとパンとスープという、控えめな品々だった。
「いえ、その……。私は、このところ、食べ過ぎちゃって」
「食べすぎ?」
「その、おなかがへっこまなくなっちゃって」
「ほぉ……」
女心に疎いタケミも、エルクの紅潮した顔を見て悟った。どうもエルクは“ダイエット”中のようだ。
「そうは言ってもエルク、お前はずいぶんスリムだと思うぞ」
「す、スリムだなんてそんな!? タケミさんがうらやましいですよー。タケミさん、こんな山盛り食べても太ってないんですからー」
「まぁ、食べたぶんちゃんと運動すれば太らないさ。あとは体質もあるだろうけどさ」
タケミのスリムで高身長なカラダは体質という、神様の気まぐれによって偶然できたものだろう。じっさい、タケミの身体は女の身体であれど、男剣士科の男たちとも渡り合えるほどのポテンシャルを持っている。
それはもちろん、中身の男であるタケミの努力も反映されたものでもあるのだが。
「タケミさんには分からないんですよー。この、食べたくても食べれないっていう私のジレンマがぁー」
「なら俺と一緒に朝練をすればいい」
「タケミさんと一緒のメニューじゃ、きっと私死んでしまいますよー」
つい先日、タケミはエルクとともに朝練を行ったことがあったのだが。
タケミの日課である“朝練”は、エルクにはこなせないほどのキツイ訓練だったそうだ。
走り込みに素振り千回。腕立てスクワットうさぎ跳び懸垂……
自衛隊さながらの訓練を授業前の朝にこなせるのはタケミぐらいだろう。
「ははは、お前にはこの前のはきつかったな。じゃあ今度、エルクのための朝練メニューを考えておくよ」
「わ、私のための!?」
「ああ。朝練は誰かと一緒にやった方がいいもんだ。エルクもダイエットになっていいと思うぞ」
「タケミさんと……一緒、つきっきりで、二人で……」
「ん……、エルク、どうした。顔をリンゴみたいに染め上げて……」
なんのトリガーが引かれたのか、エルクは顔を熱くしていた。
それはエルクの慕うタケミとの、あまぁーい朝練のシチュエーションを描いたから――なんてこと、タケミには分からない。
どこまでも朴念仁なタケミである。
「ダイエットのし過ぎで、風邪にでもなったのか」
「わ、わわわっ! タケミさんなにするんですか!?」
タケミはエルクの額に手を当てている。それはタケミにとって、まっとうな医療的行為なのだが、対するエルクはタケミの手を額で感じムズムズしている。
「そ、その……はずかしいですよぅ、タケミさん」
その言葉を受け、タケミも自分の節操無さに気づかされる。いかに女友達相手でも、自分が女でも、デコをやすやす触ってはいかんだろう、という思いに至る。
「す、すまない……。俺が無神経だった」
タケミは慌ててエルクの額から手を放そうとするが、
「も、もっと触ってください!」
「は?」
「その、もっと触ってくれたら、熱が下がるかなーっていうか……」
「もっと、なのか……」
女子というのは不安定になるもの。
5年ほど女性として生きてきたタケミもそれなりには女心は分かってきている。エルクが落ち着くのなら従おうと思い、言われるがままタケミはエルクのデコをなでる。
「うひゃう、タケミさん、もっとやさしく……」
「こ、こうか……」
「あ、ああああ、いいです先輩、もっと激しく……!」
「な、なにか違うくないかこれ!?」
撫でればなでるほどエルクの熱は上がっていく。どうもよくわからないが、撫でるのは逆効果だとタケミは手を引っ込める。
「とにかく、エルク。剣士たるもの自己管理も大切だ。風邪くらい気力で直さないとな」
「き、気力ですか?」
「気力を舐めるなよ。プラシーボ効果と言ってな、思い込むだけでも風邪に効果があったりするんだ。だから気をしっかり持て、エルク」
「は、はい! 頑張りますタケミさん! 明日からタケミさんと一緒に“あされんしゅう”をやっちゃいますよ!」
「おお! その意気だ」
タケミはジャガイモを手にして邪気のない笑顔を浮かべた。
タケミはここでの生活を存分に謳歌していた。そのための努力も、訓練も怠らず、日々勤勉に、そして楽しむときは存分に楽しむといった具合で。
いろいろと不便のある世界。そして“女性”という3年経っても慣れない身体で生きているタケミだが、それでも元の世界にいたときと同じ、いやそれ以上の幸福を感じていた。
女になっても。
食事もできるし。
剣も振るえる。
そして、自分を慕う女友達もいる。
タケミの転生後の生活は比較的幸福であった。
問題がない、こともないのだが……。