第五章 『以心伝心の黒ウサギ隊』F
一歩、一歩。
その恐怖の対象は進行していた。
(う……ぁ……)
エルクは動けない。腕を動かそうにも手かせがあり、足を動かそうにも足かせがある。
進行する恐怖、ホンモノのドラゴンに対しどうすることもできない。
もとよりエルクは牛飼い隊の囮となる存在だったのだ。
それはハリボテドラゴンじゃなくなっても変わらず、エルクの負担は“命”にかかわるほどのものとなってしまった。
(このままじゃ……私……。ドラゴンに殺される……)
絶体絶命の危機。
正面にドラゴン、後ろには腰を抜かした牛飼い隊しかいない。
エルクは必死に腕を動かし、足を動かして枷を外そうとするが、ただ手足が傷むだけであった。
剣を振って戦うこともままならず、自分は目の前の巨大な魔物になすすべなく食われてしまう。
(しにたく……ないです)
エルクは切にそう思った。
(このままなんてイヤです! 誰からも愛されないで、フェネに、セレナさんに、そして――タケミさんに見放されたまま死んじゃうなんて!)
エルクはぐっと目をつむった。
すべては自分が蒔いた種だった。自分がもっとしっかりとしていれば。フェネたちと一緒に宿に待機していれば。こんな状況にはなり得なかった。
(私が勝手なことしたばっかりに……。こんなんじゃタケミさんに顔見世できません……)
ただ顔をうつむかせエルクは贄となる羊のようにじっとしていた。
絶望し、諦観した。
娼婦の娘と揶揄され、誰からも愛されなかったエルクはそのとき、すべてを捨てた。
そこに――
武神の、猛々しい風が馳せた。
「ぬぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
まさしく猪突猛進。
タケミは凪の丘の草原に着くと、牛飼い隊を傍に駆け進み、その向こうの籠へと向かった。
一瞬にして、その中にエルクがいることを見て取れた。
「このっ――」
タケミは居合切りの要領で剣を引き抜くと、横薙ぎに籠の柵を斬った。
脆くなった柵を乱暴に蹴り、その中からエルクを救い出す。
「う……ぁ……」
壊れた籠より見えるタケミの姿にエルクは目を疑った。
ただエルクはその予想外の展開に、目を潤ませ、顔を熱くするばかりである。
「エルク、助けに来たぞ!」
「タケミさんっ……ど、どうして……」
「どうしてもクソもあるかっ!」
タケミはエルクの肩を抱き留め、狭い籠から外の草地へと運び込んだ。
ただやさしく、小鳥のようにエルクを介抱する。
「すまなかったな、俺がヘマしたばっかりに、お前に怖い思いをさせちまって……」
「ち、ちがうんです……タケミさん!」
エルクは感極まった声で叫んだ。
「わるいのは……ぜんぶ私なんです……。私がわがままだったから……タケミさんがいなくなって、フェネとセレナさんと、喧嘩しちゃって、勝手に行動しちゃって、それで……」
「まったく、お前たちもバカしやがって……」
「すいません、タケミさん……」
「演習が終わったら、全員地獄の特訓だ。覚悟しろよな」
タケミはそう、いつもの調子で話していた。
責める気持ちよりもただタケミはエルクが健全であったことがうれしかった。
だが。
「わ、わわわわわわ……」
とつぜん、涙声だったエルクが震えだす。
「ど、どうしたエルク!?」
「たたたたたたた大変ですタケミさん! ドラゴンがぁ!」
「ドラゴンって、あのハリボテドラゴンの……」
「ち、違うんですよ! どういうわけかホンモノのドラゴンが現れてて……」
タケミがくるりと、エルクの見る方へ首を回すと……。
そこに緑の巨体――ドラゴンが存在した。
「どうなってるんだよ……こりゃあ……」
タケミはその威圧感を放つドラゴンにただ呆けた口を開けるばかりであった。
「ギャァアアアアアアアアアアアアアォオオオオオオオオオオオオオオオ」
咆哮を上げるドラゴン。
それを対処しなければ、自分たちの生きる道はない。
「なにがあったか知らないが……はやく、なんとかしなければ……」
「とにかくタケミさん! はやく逃げましょう!」
「だが、このドラゴンを放ってしまえば、麓のモーントの村を襲ってしまうだろう」
「そんな……」
「そうなれば、モーントの村は廃墟に……」
タケミはそのとき、過去の自分を思い出した。
自分が女となったときも、ちょうど魔物によって町が滅ぼされていた。
(なんの因果か知らねぇが……。この“身体”のヤツの復讐ってコトにもなるんだよな……)
騎士とは魔物を屠る存在である。ならばタケミは、騎士見習いの自分はどうすればいいか。
タケミは剣をしゅん、と振るいエルクの鉄枷を切断した。
「タケミさん……」
「フェネたちがいないが……俺たち黒ウサギ隊があれを押さえる」
「そ、そんな……」
「安心しろ。俺がなんとかする」
タケミは立ち上がり、腰を落とす。
向かい合う敵は、かの緑の竜。
「牛飼い隊のやろうども!」
「は、はいいいい!」
「ドラゴン討伐用の竜鱗衣はあるだろうな! 俺たちのぶん、二着いますぐこっちに投げ渡せ!」
「え、ええと……」
「それとお前たちの魔導士たち! あのドラゴンの足を止めておいてくれ! 魔導の属性は雷電だ! わかったな!」
「ちょ、ちょっと――!」
有無を言わせずタケミは叫んだ。
***
「ギャァアアアアアアアアアアアアアォオオオオオオオオオオオオオオオ」
緑の竜、ジェイドドラゴンはピクピクと筋肉を震わせ、苦悶の声を上げていた。
牛飼い隊の二人の魔導士による雷電魔法を受け、ジェイドドラゴンは動けなくなっていた。
ドラゴンとは魔導による体内中の“内燃機関”によって、翼を併用し、飛行機のように空を飛翔できる魔物である。その内燃機関による熱エネルギーは“炎”となって攻撃用の“火炎放射”にも転用できると言う。
(言うなれば、火炎放射器搭載のジェット機というわけだが……)
そんなものが空を飛ばれてしまってはタケミたちになすすべはない。ジェット機に、戦闘機に地上の人間が叶うわけがない。
なのでタケミはその“翼”を押さえたのだ。
雷電系の魔法により、ジェイドドラゴンの神経を狂わせ、体を麻痺させ動かせなくする。飛行によるポテンシャルを押さえ、地上という土俵へジェイドドラゴンを落とす作戦である。
もっとも、ジェイドドラゴンの強さは飛行だけにあらず。
「ギヤァアオオオ!」
その巨大な身体と、そして腔内より吐かれる骨まで焼き尽くす炎。
それを越えなければならない。
「エルク、竜鱗衣は着れたか?」
「は、はい! 剣の準備もできてます!」
エルクとタケミはものの数秒で準備を整えた。
そして、ジェイドドラゴンへと目を向ける。
「エルク、訓練でやったとおりだ。すまないが、お前には囮の役をやってもらう」
「はい! うまくジェイドドラゴンの目を引き付けておきます!」
「……言うまでもないが、無茶だけはするなよ。無理だと思えば全力で逃げろ。あとのことはあとで考えればいい。ただ、今倒せるなら、倒すべきだけどな……」
タケミの身体に強く“戦いたい”という思いが湧きあがる。
あれは邪知暴虐の魔王が生み出した、魔物。
このカラダの人間の故郷を葬り去った。
(俺は何のために戦っている……?)
この世界か、それとも元の世界か。自分のためか――
「エルク、生き抜いてやろうぜ!」
「はい!」
そう、生きるためにタケミは戦う。臆病ながらも、誰かを助けるために、タケミは引くことができないのだ。
たとえ無茶を通してでも。
タケミとエルク。
竜鱗衣を着込んだ、銀色の騎士見習いたちは二人縦に並んでジェイドドラゴンへと突撃する。
「いくぞぉおおおおおお!」
「やぁあああああああ!」
ドラゴン正面には雷電魔法が空気を破壊して通っており、タケミたちはその脇から、ジェイドドラゴンに対して右の位置へ向かうように進んでいた。
「ぐぎゃぁお?」
雷電魔法を受けていたジェイドドラゴンがタケミたちへと首を回した。
そのときにはすでに、ドラゴンの間合いの手前あたりまでタケミたちは進撃していた。
「魔導術をやめろ!」
「は、はい!」
タケミの声のあと、雷撃が止まる。
雷電魔法を浴び続け、すっかり鱗も熱で黒くなっているジェイドドラゴン。その呆けた姿を見たタケミは、
「いまだ! 行くぞエルク!」
「はい!」
ジェイドドラゴンの懐へ向かって突撃。
先頭を走るエルクがさきにジェイドドラゴンの懐へとたどり着き、そこから剣を構えその切っ先をドラゴンの喉元へと向けた。
しかし、敵の喉ははるか高く。
「グルルルルルル……」
その高みより、唸り声が響く。
口をぱかっと開けてその腔内より炎が噴き出される。
(いまっ――)
エルクはくるりと身体を横転、すぐさま流れるような動作で立ち上がり、疾走する。
そのエルクの軌跡を追うように暴力的な赤い炎の柱が伸びていた。
「グォオオオオオオオオオオオオオ!」
ドラゴンは円を描くように首と体を旋回させ、炎の柱をエルクへと向けようとした。
しかしドラゴンの身体は大きく、その動きは緩慢であった。
ゆえに、日々タケミとともに訓練を積んできたエルクにはたやすく避けられた。
ただ鼠のように、ドラゴンの神経を逆なでするようにすばしっこくエルクは草地を動いていく。
ジェイドドラゴンが吐く炎は魔導によるものである。魔導士の扱う魔導術と同じように、それは体内で生成された“魔晶”を糧に行うものである。
そしてドラゴンも生物、息継ぎなしで炎を吐き続けるのは自殺行為である。
ゆえに、火炎放射は永遠には続かない。
「グルォオオオオオオオオオオ――……」
ジェイドドラゴンの炎の勢いが徐々に衰退していく。
もはやエルクが逃げ回る必要もなく、それは燃料の切れたガスバーナーのように頼りなくなった。
それをタケミは見ていた。
ジェイドドラゴンの死角より。
「隙ありだぁ!」
エルクばかりに目を向けていたジェイドドラゴン。
草地に伏せて隠れていたタケミにすっかり気づいておらず、タケミの突発的な特攻に対しジェイドドラゴンはただそれに対し首を振るばかりであった。
しかしタケミは速い。誰よりも速い。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ジェイドドラゴンがわずかに頭を垂れた隙。
100秒に一度のその好機。その一瞬、タケミは斬り込みにかかる。
(いま、俺がやるしかない!)
炎を出し切り、口をわずかに開けた状態のジェイドドラゴン。その口へ、自ら飛び込むようにタケミは突撃する。
その剣の切っ先を、はるか高みの天へ向けて。
「うぉりゃああああああああああ!」
大きく足を踏み込み、腕を伸ばし、腰を飛ばし、頭を飛ばし、体を放たれた矢のようにして、ドラゴンの腔内を突き刺した。
手加減なんて言葉もない。ただ精一杯の攻撃。
タケミの精一杯だった。このカラダだった少女の精一杯だった。
ただ、
手には重く硬い、無慈悲な感触が伝った。
「あっ…………」
攻撃を終えたタケミは草地へとだらしなく座り込んでいた。
その手にあった剣は。
一筋の血の色もなく、ただ先の方で――ぽっきりと、折れていた。
タケミのロングソードはドラゴンへと届かなかったのだ。ただジェイドドラゴンの牙へとぶつかり、タケミの力も相まって、疲労を起こし破断したのだ。
「そんな……バカな」
できると思っていた。
いまの自分なら、なんだってできると思っていた。
しかしそれはただの慢心だった。思えば転生前、自分は誰かを助けるために命を賭したのだ。それも自分の不注意からであって、なにひとつ自分は学んでいなかったのだ。
タケミは強くもなんともない、ただの人間だった。
「俺は――」
そんなタケミを残酷に切り裂こうとする――ジェイドドラゴンの攻撃。
「くっ――」
タケミは反射的にそれを躱すが、精神が参ったのかその動きは精彩を欠いていた。
「グルォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
ジェイドドラゴンは炎を噴く。
タケミはそれを避けようとするが遅かった。出遅れたタケミの身体を炎が炙る。タケミの身体は竜鱗衣に覆われているため焼かれることはないが、その熱は抑えられない。
「ぐぁあああああああああああああああ!」
「タケミさぁん!」
タケミの身体は蒸し焼き状態となった。度し難い熱の地獄。
目の前には煌く朱。熱がすべてを支配し、呼吸さえもままならない。
これが戦うということ。
死ぬということ。
(まだだ! まだ俺は……!)
タケミは死ぬわけにはいかなかった。
一度死んだタケミはなによりも生きることに固執した。肌も、神経さえも焼かれたタケミはただ死力を尽くして地を這い、ドラゴンより離れようとする。
「ギャァアアアアアアアアアアアアアォオオオオオオオオオオオオオオオ!」
ドラゴンは一層大きな咆哮を上げる。
「わわわわっ……あ、あのタケミ・ファルコナーが……」
「このままじゃ、私たちも焼かれてしまいますわ!」
だばだばだば、と駆けていく音。牛飼い隊たちはタケミのやられ様を見て、腰を抜かしてその場を去っていく。
「う……がぁ……」
タケミは地を這う。しかしそこにはタケミを助けようとする人間はいない。
自分は助けるばかりで、誰も頼らなかったのだから。
(今回も、ひとりで、おしまいか……)
そうタケミは二度目の人生を諦観した。
そしてタケミは意識を失った。




