第一章 『決闘は婚活のもと』A
朝、タケミは起きる。
このごろは目覚ましなしですっきり起きれるようだ。
もっとも、目覚ましなんて便利なモノ、この世界にはないのだけど。
「ふわぁ――――っ!」
目を覚ます。
タケミはいつものようにきょろきょろと顔を回した。ここが、昨日と同じ場所かどうか。昨日がユメマボロシだったかどうか、確かめるために。
木の壁でかこまれた部屋。耐久度は低そうだが、なかなか味のある、ヨーロッパ風の部屋。
正確には学園の寮。
タケミはふと、自分の“胸”に手を当てる。
「……ある、な」
男にはない、胸のふくらみ。
タケミは女になっていた。
そして、騎士見習いになっていた。
「めん、めん、めん、めぇーん」
山羊の鳴き声のようにタケミは声とともに素振りをしていた。
いつもの日課の素振り。いわゆる朝練と言うヤツだが、タケミ一人だけの個人訓練だ。
タケミはもはや男ではなく、そして剣道家でもない。
そもそもこのファンタジーの世界に剣道というものは存在しない。
しかしタケミは騎士見習いとなっている。
「ふぅ……」
面打ち100本のあと、しばしの休息。
タケミは女に転生したあと、ファルコナーという騎士貴族の家に引き取られ、学園の騎士見習いとなった。
なぜ騎士見習いとなってしまったかというと……
まぁ、ただ成り行きでそうなったにすぎないのだが。
***
タケミが“転生”したカラダ――
その名も知らぬ少女の街は“オーク”という魔物の襲撃を受け壊滅していたそうな。
そんなタケミを救ったのは、アテナ王国の騎士団のひとり、カイ・ファルコナーという男の騎士であった。
無精ひげを生やした、中年のその男は血まみれのタケミを介抱した。
介抱だけではない、なんとカイは身寄りのないタケミを保護しようとしたのだ。
カイは結婚し妻を持っていたが子供はいなかった。それゆえ、タケミはカイとその妻のフェイのもと、ほんとうの“娘”のように迎えられた。
そうしてファルコナー家の養女となったタケミは、カイ・ファルコナーとして第二の人生を歩むことになった。
ファルコナー家は騎士の家。騎士は“公務員”的な役職ゆえ待遇がよく、ファルコナー家はそれなりの大きな家であった。家の中には書物があり、タケミは書物と、カイとフェイの話より、自分が降り立った“世界”について調査した。
分かったのはこの世界がいわゆる“ファンタジー”の世界であること。
魔物という脅威が存在し、その魔物を倒すべく騎士が存在していることが分かった。
(騎士……なぁ)
果たして自分は、どうして女に生まれ変わったのか。
自分が望んだから、だろうか。
ここには“騎士”という階級がある。しかも好都合に、この世界では“伝説の女勇者”なんて話が幅を利かせているからか、男女関係なくその権利は与えられるという。
女で、騎士になれば。
かつての世界で満たせなかった、自分の思いは果たせるのではないだろうか。
(男に告白され、剣道も中途半端だった……。でも、ここなら……)
こうしてタケミは運命に導かれるようにして、“騎士”の階級を目指したのだった。
現役騎士のファルコナーのもと、タケミは剣の稽古に励んだ。アテナ王国の剣術は“剣道”とは勝手が違ったが、しかしどちらも同じ剣を振るうもの、タケミの基礎的な運動神経と精神力が作用したのか、タケミの剣の腕は破竹の勢いで上達した。
「タケミ、お前はほんに強いな……。まるで、伝説の女勇者のようじゃ」
なんてカイより言われるほどとなった。
そしてタケミは2年をファルコナー家で過ごした後、騎士になるための学園、『ケルベロス総合騎士育成学園』へと入学したのであった。
***
そして現在に至る……というわけだが。
「ふぅ……」
学生寮の自室へと戻ったタケミは、いつもの日課として部屋の掃除をしていた。
部屋の掃除はもはや体に染みついた習慣だ。
元の世界のタケミの師匠――というか、道場主の祖父に、掃除は欠かさずやれと3歳の頃から、母親以上にしつこく言われたものだ。
剣道というのは“スポーツ”に非ずだ。
礼に始まり礼に終わる。なによりも儀礼を重んじる。そしてそれは剣道をする者の心構えや、日々の生活にも関わってくる。
ゆえに“道場はキレイにしろ”“自分の部屋はキレイにしろ”“防具は手入れを怠るな”。
それで剣道の腕がどうこうなるかはわからないけど、まぁ、掃除の仕方や整理整頓のコツがわかってそう悪くはなかったりする。
なによりキレイになった部屋を眺めるのは、心が晴れるものだ。
「よし、キレイになったな」
タケミの部屋と言えば、“騎士学園の女子”にしてはずいぶん殺風景なものだ。あるものといえばたくさんの書物の棚と、保存食の入った木箱。“倉庫”のような空間だ。
ここ、『ケルベロス総合騎士育成学園』の女剣士科は騎士階級の貴族の子がほとんどを占める、お嬢様のクラスであったりするのだが。
「まぁ、元男の俺に、オシャレの趣味なんてないからな……」
女の姿になったとしても、身も心も女になるというわけではないそうだ。
いまもタケミの心は男のままである。
「着替える……か」
樫の木造りのタンスへと向かい、そこから制服を取り出す。
騎士学園ゆえに、そのつくりは女子のものであってもシンプルでカッコイイ黒を基調としたものだが、しかし、“女”の証としてなのか、下はあのピラピラとしたスカートとなっている。
剣道家のタケミは“袴”を履くことはあっても、スカートなんてもの生まれてこのかた履いたこともなかった。あの、股のあたりがスース―とする感じは、長い間慣れなかったものだが、人間どんなことでもなれてしまうもので、今では躊躇なくスカートが履ける。
「このままじゃ俺は心も女に染まっちまうんじゃねぇのか……」
そんな危惧を抱きつつ、スカートに足を通すタケミであった。
姿見で自分の姿を眺める。
この世界の、女となった“タケミ”はずいぶんと背丈が大きかった。
女としてはかなり高いほうだろう。おそらく180センチほど、こっちの単位では180フィンガと言うそうだが、オトコのときとそう変わらない身長に“伸びた”ことは便利であった。なにより動きやすいし、そして剣が振りやすい。
そして髪。
髪は黒髪だ。その長さは、腰のあたりまで伸びる長髪だ。こんなにも髪が伸びてしまっては剣を振るとき邪魔になる。そう思って、ファルコナーの屋敷にいたとき、ハサミで切ろうと思ったのだが、
『こらタケミ、お前の美しい髪を切るのではない! ワタシは長い髪が好きなんじゃぁあああ!』
とこの世界での育て親であり、剣の師匠であるカイ・ファルコナーに怒られた。
タケミを無償で育ててくれた恩がカイにあるため、タケミは髪を切れなかったのだ。
さすがに伸ばしっぱなしとまでは行かないが、髪の長さは尻のあたりをキープしている。どうもこの世界では長い髪が男心をくすぐるそうな。その趣向は分からんでもない。
しかし長い髪では剣を振りにくいため、タケミは髪を紐で結っている。いわゆる“ポニーテイル”というやつにしている。
「ふむ、こんなものか」
鏡の中には――
すらりと床に立つ長身の制服姿の女がいる。黒い髪、をポニーテイルに結っている。目は生まれつき赤く、“黒ウサギみたい”なんて大人に揶揄されることもある。顔は整ったものだが、中身のタケミが“男”だからか、どうも仏頂面に見える。どうもそこらへん、女になり切れていない。
そして腰に愛用のロングソードを携えている。刃渡り100フィンガほどの長物。これは育て親のカイがタケミの入学祝としてプレゼントしたものだ。
剣を携えた乙女。
それがこの学園の女剣士科の生徒の正装だ。