04 残り07年と08ヶ月11日
「ボクを、ここから出して」
いったい何を言われたのか、ニーナはそれを理解して、その場から立ち上がった。
立ち上がり、彼から――“積み荷”から、ゆっくりと距離を取る。
「ねえ、聞いて。警戒するのは分かるけど、でも、このままじゃ共倒れだ。今回倒れたのが、ここだったから良かったけど、この部屋以外だったらボクは助けられない。君に何かあって誰にも気付かれなかったら、ボクはここで餓死するしかない」
「…………」
「君は、あと8年ボクを預からなきゃいけないんでしょ? だったら、その手伝いをさせて」
「…………」
今、ニーナが最も怖いのは、御者の務めを果すことができないと、魔女たちに判断されてしまうことである。
務めが果たせないようなら、他の誰かにその役目を取られてしまうだろう。
もしそうなったら、人間たちの世界にニーナは一人で放り出されてしまうかもしれない。知り合いも住む場所もない外の世界で、生きていかねばならなくなる。
「…………アナタに、何が出来るの?」
「え? うん……色々と、考えてはいたんだけど」
“積み荷”は、ニーナの顔色を窺いながら言った。
「もう気付いているかもしれないけど、ボクはあまり物を知らない。だから、何が出来るかって聞かれても、したことがない事の方が多いと思う。でも、教えてくれさえすれば、すぐにでも習得してみせるから。なんか、そういうの得意な気がする」
知らない人が聞けば、かなり短絡的で根拠のない言葉である。
だが今まで、趣味の範疇を超えた難題をことごとく制覇していった“積み荷”の実績を知っているニーナには、それほど浅はかな発言には聞こえなかった。
「あ。もちろんこの部屋から出られたからって、逃げたりしないよ。さっきも言ったけど、逃げたりしても物を知らないから、左も分からないと思うし」
それに関しては、さほど危惧をしていない。
“タグ”の付けられている“積み荷”が、勝手に車室から出ることができないように、魔女馬車からも勝手に出ることはできない。
馬車から出られたとしても、手首にタグが付いている限り、“積み荷”の居場所は即座に分かるようになっている。
ニーナは、そんなことを冷静に考えている自分に――気持ちがすでに傾いている自分に気が付いた。
それだけ、追い詰められている自分にも。
「…………」
黙って考え込むニーナを、“積み荷”が待てをする犬のように待っている。
従順そうにするそんな姿を見ながら、今の生活を立て直すまでならと、ニーナが結論を出すまでに、それほどの時間はかからなかった。
「――――食事」
え、と“積み荷”が声にならない声をあげる。
「……まず、私とアナタの食事を作ってみて。それだけでも……かなり助かる」
「…うん。うんっ! やらせて!」
感極まったように“積み荷”が立ち上がったかと思えば、どさくさに紛れてニーナの手を取った。
「ちょ、ちょっとっ」
「何なら今からでもいいよ! 料理作るのはじめてだよ! うわぁ、何を作ろうかっ?」
ぶんぶと手を上下させてはしゃくので、ニーナは振り払うように引きはがす。
「いいわ、じゃあ来て」
言って、ニーナは“積み荷”に背を向けて、車室の扉を開けた。
ニーナが先に廊下へと出て扉を開けたままにし、“積み荷”に退室を促す。
「…………うん」
“積み荷”は、自分から出してと言っておいて、動き出すのにためらいを見せた。扉の敷居をまたぐにしても、そろそろとやたら慎重をきしていた。
ようやく廊下へと出るが、今度は両足の床を踏みしめるように見つめ出す。
その心情は分からないでもなかったが、いつまでも付き合っていたら時間がかかって仕方がない。
「……こっち」
ニーナは、“積み荷”を先導するために歩き出す。
“積み荷”は素直に付いてきたが、2年前に一度見たきりの、魔女馬車の中を興味深そうに見渡すので、勝手に歩き回らないように厳しく言い付けながらキッチンを目指した。
丁度、朝食に適した時間だった。
まず食材の在処を教えるため、永久保存の魔法がかけられた食料庫に案内する。それから、小型のかまどや焜炉で火の熾し方を教えて、鍋やフライパンといった調理器具と、食器類やカトラリーの場所と使い方も教えていった。
特に、包丁の使い方には気を付けるように説明するが、ナイフを扱ったことはあったようで、それほど問題は無さそうだった。
ただ朝食は、お手本を見せるためにも、簡単なスープと炒めた腸詰め、作り置きのパンをニーナが用意して、キッチンのテーブルを二人で囲んで食べた。
それから、ひととおりの料理レシピが書かれた帳面を“積み荷”に渡し、今日の昼食を作っておくよう頼むと、ニーナは慌ただしく魔女馬車の御者に戻った。
昨夜は一晩中、眠ってしまっていた。
また少し遅れてしまったから、急がないといけない。
魔女たちの現在地が記されている、魔法の地図を見ながら幌馬車の御者台に腰を下ろすと、手綱を握り馬を打って馬車を出発させた。
走り出してから少しした後、不意に思った。
自分の口に入る料理を人任せにして大丈夫なのか、毒物の混入を心配をしてしまったが、魔女馬車の中ですら移動を制限されている“積み荷”に、毒なんて調達しようがないと、すぐに思い至った。
他にも、本当にこれで良かったのか、“御者”が“積み荷”の手を借りてしまうのは、問題があるのではないか、でも、これは一時的な処置だと、馬車を操りながら自問自答を繰り返している内に、昼食の時間はやってきた。
馬車を止め、地下室へと下りてキッチンへ入れば、昼食だというのに、テーブルの上には様々な料理が溢れんばかりに並べられていた。
作る分量を教えておくのを忘れたことに、ニーナは気付いた。
“積み荷”は、キッチンまで下りてきたニーナを見付けると、これまで自分の作品でそうしてきたように、料理をこれ見よがしに自慢してくる。
それを無視して、ニーナはテーブルに着いた。
フォークでトマト煮込みの鶏肉をひと欠片を取って、いちおう匂いを嗅いでから、ひとかじりしてみる。
美味しかった。とても。初心者だとは、とうてい信じられないくらい。
“積み荷”には、ニーナに料理の感想を求める目をしていたが、ニーナはそれも無視して、一人で食事をはじめ出した。
めげない“積み荷”は、ニーナが料理に手を付ける度、何をどう調理して、どう作ったのか、聞いてもいないのに逐一説明していく。
料理過程の話題が尽きると、次にキッチンの掃除の仕方を尋ねられた。
この数日、料理もまともに出来ていなかったのだから、掃除も当然行き届いていない。
食後に、教えておくことにした。
昼食は、やはり二人では食べきれなかったため、あまった分は夕食に回すようにし、片付けと掃除の仕方を教えながら、今度から作る分量を気を付けるようにも注意した。
そうして、キッチンは“積み荷”に任せて、ニーナは同じように御者台へ戻る。
とにかくいま何よりも優先すべきは、御者の務めを一日でも早く立て直すことだった。
できるだけ早く時間的余裕を作り、父親の亡骸をきちんと埋葬してあげたかった。
○○年○○ヶ月○○日はフィーリングなので、間違いがあったらゴメンナサイ