03 残り07年と08ヶ月11日
ニーナは、12歳になっていた。
魔女馬車の暮らしにこれといった変化はなく、“積み荷”の世話にも変わりはなかった。
毎日の配膳から、“積み荷”が暇をつぶせる趣味探し――という名の難題探しは、ことごと制覇された――の他には、成長に合わせた衣服の調達や、半年に一度、伸びた髪をこまめに切ってやったりもしている。
“積み荷”に用意された車室も、彼が作った作品やら道具類で溢れており、すっかり個人の部屋として、生活臭に溢れていた。
時々、“積み荷”の口やかましさに、わずらわされる事はあるが、忙しくも変わらぬ日々がこれからも過ぎていくと、ニーナは信じて疑わなかった。
しばらくぶりに思い出した、いつもの配膳をするために車室の扉を開けると、“積み荷”は憐れみを誘うように、ベッドの脇で膝を抱えていた。
「……ねえ、2日間も食事抜きってさ、そこまでのことボク何かした? 思い当たる節が多すぎて、反省しきれないよ」
弱々しい声で、何か訴えてくる“積み荷”に、ニーナは素直に謝った。
「……ごめん。忘れてたの」
「忘れて! 忘れてたって何!? いくら何でヒドどくない?!」
弾かれるように顔を上げた“積み荷”に、ニーナはもう一度謝った。
「……ごめん、なさい。……でも、これからも遅れるかもしれない。でも、できるだけ我慢して。あと、昼の食事は、しばらく届けられない。たぶん」
「ええっ!! なんでっ!!」
「…………」
理由を答える気力など、ニーナにはなかった。それを“積み荷”が目敏く見付け出す。
「……ねえ。なんか、顔色すごく悪くない?」
ニーナは答えない。
“積み荷”は立ち上がり、ニーナの側に寄って来ようとするので、ニーナは無意識に一歩退いていた。
それを見取ったのか、“積み荷”は距離を保ったまま、ニーナの顔を覗き込んでくる。
「ねえ……ねえ? 何か、あったの?」
答える必要はない。
ニーナはそう思ったが、食事が届けられない理由が何も無いままでは、これからの関係先に支障をきたしかねない気がした。
「……ただ、ちょっとトラブルがあっただけ。大丈夫、すぐに持ち直すから」
「でも――」
何か言おうとした“積み荷”を振り切って、ニーナは車室を後にする。
すにでに2日も遅れてしまっている。
昼も夜も走って、遅れを取り戻さないといけなかった。
ここ2、3日あれだけ口うるさかった“積み荷”が、とても静かにしていた。
日に2度、しかも未調理ばかりになった食事にも、何ら文句を付けてこない。
夕食の配膳に来たニーナを、じっと観察するように凝視しているのは分かっていたが、気にしてられるほどの余裕はなかった。
だからその日も、食事だけ置いてすぐさま退室しようと、部屋の扉を振り返った時だった。目の前にあるはずの扉が歪んでいた。
扉だけではない。世界中の全てが歪み、とても立っていられなかった。
視界がひっくり返るまま、倒れ込んでいた。
目を覚ますと、すぐ近くに“積み荷”の顔があった。
「――!」
「あ、ごめん」
誤りながら“積み荷”は離れるが、ニーナは警戒しながら身を起こし、さらに距離を取ろうとする。すると、身体の上から掛布が落ちた。
すぐ手元には枕まで落ちていて、まるで看病されていたかのようだった。
「本当は、ベッドまで運びたかったんだけどね」
“積み荷”が申し訳なさそうにそうに言う。
ニーナが横になっていたのは床の上だった。
おそらく、一日中部屋の中で過ごしている“積み荷”には、そんな体力はなかったのだろう。
「……ねえ、“お父さん”がどうかしたの?」
その台詞に、ニーナはびくりとした。
「ごめん。でも、ずっと呼んでたんだよ……お父さんって」
「…………」
寝言を言っていたようだった。
どう言い訳しようか、ニーナは考えを巡らせる。
けれど、ここ2、3日ろくに眠っていなくて、頭がよく回らない。
―――眠って?
その事実に、ニーナは血の気が引いた。
ぱっと見上げた部屋の時計は、とうに日の出を過ぎていた。
「――行かなきゃ」
「え、待ってっ!」
立ち上がりざま駆けようとしたニーナの腕を、呼び止めた主が捕らえた。
「触らないでっ!」
叫ぶと同時に、“積み荷”が吹き飛ぶ。
子供の軽い身体は、吹き飛んだ衝撃のまま衣装棚に激突し、その場に崩れ落ちた。
「…あ」
思わずやってしまった。
すぐそこで転がってる小さな身体を呆然と見つめていたが、我に返ったニーナは、彼の元まで駆け寄った。
「――ごめんなさい、わざとじゃ……、ケガ…怪我してない?」
ぐったりとしていた身体を揺さぶると、彼はゆっくりと顔をもたげた。
「……だいじょう、ぶ」
どこか焦点の合わない目で言うが、ゆっくりと頭を振ると、今度はしっかりとした眼差し手ニーナの目を見返してきた。
「……ねえ、運び屋さん。……何が、あったの?」
「…ごめんなさい。今のは、馬車の防衛力が動いてしまって」
「……違うよ。運び屋さんに何があったの?」
「…………」
まさかまだ、彼の口から心配する言葉が出てくるとは思わなかった。
この1週間で、ニーナの心はすっかり弱っていた。
だから、弱り切った心に、彼の言葉は効き目が強すぎた。
そんなつもりは全くなかったのに、目から勝手に涙が流れ出ていた。
「――――…し、死んじゃった。お父さん」
口まで勝手に動きだす。
ニーナの本意ではない告白に、けれど、彼はさほど驚かなかった。
「じゃあ、やっぱり……ずっと1人でやってたんだね」
ニーナは頷く。
それからもう止まらなかった。堰を切ったように、涙と弱音が溢れ出ていた。
「……あの日、魔女から預かってたもの、売りに行ってたの」
「魔女の――え、売りに?」
ぎょっとしたように聞き返してくるから、ニーナは震える声で説明する。
「き、期限が切れたヤツはいいの。好きにして。だから、だから――あ、あの辺は、前にも一度、行ったことがあるけど、もう百年近く経っているから、大丈夫だって……お父さんは言ってた」
「……うん」
「でも、バレてたの。おじいさんが覚えてたって言ってた。それで……毒の入った粉を投げつけられて……よ、弱い毒だから、すぐには死ななくて。解毒剤が欲しいなら、馬車まで連れていけって言われて。アイツら言ってた。馬車は、宝の山だって」
頬を伝ってくる涙を、ニーナは袖でぬぐう。
「でも、わたし達に暴力はできないの。馬車の一部だから。でも……でも、やっぱり人間だから、毒とか、身体に入ったら、ダメなの」
ニーナが無事だったのは、少し離れた場所にいたからだ。
しかし、父を狙った粉袋は、父の顔に直撃してしまった。
「に、逃げるのはできたけど、ここまで戻ってきて、あるだけの魔法薬とか解毒剤をためしたけど、ダメだった。新しいの、外に買いに行こうと思ったけど、あの国のお金が無くて――あったけど、人間のお金はすぐに使えなくなるから。新しいお金、手に入れるため、だったのに……」
「……魔女に、助けは求められなかったの?」
ニーナは、首を横に振る。
「できるけど、できなかった。魔女はみんな気まぐれだから、すぐには応えてくれなくて……居場所もすぐ変わる。だから、魔女馬車があって……」
父が息を引き取ったあと、とある魔女が求めに応じて来てくれていた。
どうしてもっと早く来てくれなかったのか、そう思いはしたが、口にすることなど出来ず、むしろ、来てくれたことに礼を述べなければならなかった。
何が起こったのかを説明すれば、魔女馬車の御者だと知って手を出した人間たちには、しかるべき制裁を加えておくと言ってくれた。
けれど、そんなことはニーナにはどうでも良かった。
魔女が馬車の中にいる間、気丈に振る舞い続けなければいけない事の方が辛かった。
馬車の運用につてい魔女が色々と問うてきたが、ニーナは父がいなくとも、御者の務めを何の問題もなく果せると言い続けねばならなかった。
そうしなければ、魔女から正式な御者として“印”を得ることは出来なかっただろう。
「……じゃあ、お父さんの死体は?」
聞きずらそうに、彼は言った。
「…………まだ、部屋にある。お父さんの、部屋」
「…………」
「“タグ”を付けてあるから、永久保存の魔法がかかっているから……」
腐敗することはない。
苦肉の策だった。土に穴を掘って埋葬する余裕など、ニーナには無かった。
今だってそうだ。だからニーナの父親は、息を引き取った時のまま、何一つ変わらない姿で今もベッドに横たわっている。
父の姿を思い浮かべて、ニーナはまた涙が溢れてきた。
しばらく泣いてしまったが、色々と吐き出したせいか、やがて涙が引きはじめたのと同時に、落ち着きも取り戻していく。
ふと気付くと、部屋の中がとても静かになっていた。
「――――……ねえ、“運び屋さん”」
顔を上げると、彼が神妙な顔つきして待っていた。
「ボクを、ここから出して」
6/14 一部修正