02 残り09年と10ヶ月27日
毎日、日に3度“積み荷”に食事を届けるのは、ニーナの役目である。
朝、昼、晩、鍵のかけられた車室へ訪れる。
扉に付いている取り出し口にでも放り込んでおきたいところだが、“積み荷”の体調管理も依頼に含まれているため、顔色やタグの確認もしなくてはいけない。
他のものよりも厚みのある扉を開ければ、“積み荷”は決まって出窓の外を見ていた。
魔女馬車に積まれてから数日経つが、よほどもの珍しいのか、出窓の張り出しに乗り上がって、取り憑かれたようにずっと外の景色を眺めている。
この馬車の地下には窓があった。
地下にあるはずの窓からは、いま走行中である外の景色がそのまま映し出されている。
ニーナは、料理をのせたトレイをテーブルに置いて、“積み荷”に気分は悪くないかと、決まり切った質問を投げかける。
だが、“積み荷”が簡単に答えることはない。
どころか、ニーナがした質問以上の質問を即座にまくしたててくる。
これからどこへ行くのか。他の魔女たちに届け物をするのか。海や雪のある場所には行くのか、時々外の景色が止まるが、馬車も止まっているのか。止まっている時は何をしているのか。魔女のご用聞き以外は、何もしていないのか。
男のくせにペラペラと、本当によく回る舌を全開にしてくるものだから、ニーナは早くも“積み荷”の世話を焼くことにうんざりしていた。
この車室にいない間は、もちろん他のことで忙しくしている。
魔女から託される届け物は、この車室の“積み荷”ひとつだけではないのだから、それらを手抜かりなく届けるために、ニーナたちは馬車の中を動き回っている。
御者である父は、昼こそ御者席で馬の手綱を握っていることがほとんどだが、夜は配達期限の差し迫った荷物を届ける手順や、魔女の現在地の確認などがあるし、預かり期限の切れた品物の整理や処分もしなくてはいけない。
ニーナもニーナで、父の補佐をしながら家事全般をこなしつつ、御者の跡を継ぐべく勉強中の御者見習いである。
だが、それらをいちいち“積み荷”に教えてやる義理などなかった。
だからニーナは、“積み荷”の軽口を前にしても、それだけ喋れれば体調が悪いはずはないと、“積み荷”の手首のタグを確認しただけで、その場を切り上げるようになった。
すると“積み荷”の方も、手と品を変えてきた。
質問責めを引っ込める代わりに、ある要求を図々しくも始め出したのである。
そのターゲットになったのは、ニーナが運んでくる料理だった。
あれが食べたい、これが食べたいとリクエストを付け出し、それが叶えられないと知ると、ついにはニーナの作った料理を食べ残すようになった。
こっちが“積み荷”を預からなければならない立場だと分かったうえで、自分をお客様か何かと勘違いしているとしか思えない態度に、ニーナもたまりかねた。
「いい加減にしてっ、わたしはアンタの召使いじゃないっ」
「だって、暇なんだもん」
「こっちは暇じゃない。アンタと違って、毎日毎日忙しいの」
「ならさ、食事の間だけでもお喋りをしてくれない? そしたら、何でも食べるから」
「アンタね…っ」
「だって、仕方ないじゃないか。これから10年の間、このお部屋で監禁生活だし。かといって10年後には魔女の元に戻されるだけの人生だ。気晴らし相手でもいてくれないと、気が狂いそうになる」
「…………」
「ねえ、いいの? ボクが発狂してもいいの? そんなことになったら部屋の中を暴れ回って、自分の身体を傷付けてしまうかもしれないよ? ねえ、本当にいいの?」
確信犯めいた顔をする“積み荷”に、ニーナは冷ややかに目を細めた。
「君の24時間の内、合計で30分もないんだから協力してよ。最後には、五体満足の姿で届けなきゃ行けないんでしょ?」
ニーナは、百も承知である。
生きた“積み荷”には、自分の命を人質に取るという捨て身の手段があることなど。
「わたし達を侮らないで。こっちには、アンタをベッドに縛り付けて、指一本動けなくさせる方法もあるの。体中に管を繋いで、無理やり栄養の摂取と排泄を繰り返すだけの状態にすることも出来る。そんな姿で、これから10年間を過ごしていたの?」
「何それヒドいっ」
「そうよ。だから最初に言ったでしょ。大人しくしていれば、酷いことはしないって」
そこまで脅されればさすがに諦めたのか、“積み荷”は分かりやすく肩を落とした。
「……わかったよ。運び屋さんとのお喋りは諦める。でもさ、何か気を紛らわす方法はないかな。近いうちに発狂しそうなのは本当なんだよ」
ニーナは、むうと口元をひん曲げた。
“積み荷”の言うことは、あながち間違いではなかった。
この車室には、本や遊戯類もあるが、さすがに10年分の退屈しのぎは想定していない。
馬車の中には、他に書室もありかなりの蔵書を誇っているが、よその人間にそうそう見せられるものでもない。
“積み荷”の要望に従うようで癪に障ったが、事の次第を父に相談することにした。
ニーナの父は、すぐにアドバイスをくれた。
長時間暇を潰したいなら、何か趣味事を見付けてやるのが一番良いだろうと。
しかし、それよりも、“積み荷”に丸め込まれている感がいなめない娘の方を心配されてしまう。
ニーナなら大丈夫だろうと、父から信頼されて積み荷の世話を任されているのに、御者見習いとしての資質を疑われているようで、ニーナはかなり釈然としなかった。
色々と物申したいことはあったが、ニーナは手っ取り早く編み物や刺繍の道具を“積み荷”に与えてやることにした。
女の子が身に付ける手仕事だが、その場しのぎ手慰みとしては充分だろう。
それにもし、売り物になるモノが作れそうなら、丁度いい内職にもなるかもしれない。元手がかかっているのだから、こっちで勝手に売りさばくくらい許されるはずである。
もちろん、あくまでも趣味事の範囲なのだから、期待するつもりは毛頭なかった。
しかし、予想外のことが起こる。“積み荷”は、一を聞いて十を知るを地で行くとばかりに、要領を少し教えられただけで、すさまじい速さで上達していった。
「これはもう、アレだね。職人ってヤツになれるんじゃないかな!」
そう言って、出来上がった刺繍入りの小物入れを、配膳に来たニーナに見せびらかす“積み荷”は、とても活き活きとしていた。
その言葉に偽りはなく、小物入れの刺繍は、やんごとなき方々に高値で買い取ってもらえるほどのお手並みだった。
お手本として渡してあったニーナが作った小物入れなど、すでに足元にも及ばない。
「ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえー。次はもっと大きなお手本を持ってきなよー。この天才エリオット様が、最速超短時間で見事マスターしてあげるからさあー」
臆面もなく自慢してくる“積み荷”に、憤懣やるかたないニーナは、天災の間違いだろと、心の中で毒づいた。
窓から見える外の景色に、それほど変化がないことが分かり、“積み荷”もさすがに飽きてきた頃だった。
だいぶ少なくなったとはいえ、“積み荷”の質問癖はもともとなのか、ほんと一方通行になる質問をまたしても投げかけてきた。
「こうしてさ、馬車に乗って色々な場所に行けることはすごく魅力的だけど、でも、それはあくまでも決められた道筋に乗っ取ってるわけだよね」
ニーナは答えない。
それを分かりきっているらしい“積み荷”は、かまわず続けた。
「魔女と魔女の間を行き来するだけならさ、同じ場所に居るのと変わらないんじゃないのかな。何て言うか……もっと自由になりたいとか、思ったりしないの?」
いつもに増して、くだらない質問だった。
この“積み荷”は、外の世界を知らないから、そんなろくでもない事を考えるのだろう。
外の世界は、弱肉強食だ。
自分の生き死にを天災や飢饉、徴税や戦争にも左右されなくていい生活が、どれだけ恵まれたことか。魔女馬車で生まれたニーナですら、外の世界がどれだけ理不尽な事であふれているか良く知っている。
少なくとも、この魔女馬車で御者をしている限り、住む場所や食べる物に困窮することは絶対ないのだから、なおのこと出ていく理由はなかった。
だがやはり、そんなことわざわざ“積み荷”に教えてやる必要はないため、ニーナは淡々と手首のタグを確認する作業を終える。
どうして日に何度も手首のタグを確認するのか、以前に“積み荷”から質問されたことがある。
その時もニーナは黙っていたが、手首のタグを確認するのは、無理に外そうとすれば、その分手首を締めるようにできているからであり、それによって“積み荷”が逃げようとした痕跡があるかどうか、確認しているのである。
そして、そんな痕跡は、今のところ一度もなかった。
“積み荷”は、自分の置かれている状況をどうやら受け入れているらしい。
ここに来てから助けを求められたことも無いし、むしろ、どこか達観している風すらあった。
“積み荷”の事情は知らない。
何故10年もの長い間、この魔女馬車に預けられるのかも知らないし、10年後、魔女の元に戻ったらどうなるのかも知らない。
知ってはいけない。
ニーナたちは、どこまでも魔女馬車の御者にすぎず、それ以上の越権行為は自分たちの首を絞めることになるだけだろう。
だから、“御者”と“積み荷”の関係を、けっして忘れてはいけなかった。
そうして、魔女馬車に転がり込んできた、“積み荷”のくせにお喋りという異質な存在を、ニーナたちは自分に言い聞かせる事で受け入れていった。
それから、2年の歳月があっという間に流れる。