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16/20

16 残り00年と00ヶ月00日


 フクロウは言った。


 待ちきれずに迎えに来たのだと。

 木漏れ沼の魔女は、すぐそこまで来ている。だから、そこまで馬車を走らせて欲しいと。


 まだ2年あるというニーナの取り成しは、まったく聞く耳をもたれなかった。


 身を裂かれる思いで、地下にいるエリオットに事の次第を告げれば、驚いていたのは最初だけで、彼は不自然なほど冷静な声でニーナに言った。


 「大丈夫、ボクを魔女の元へ連れて行って」


 そして今、ニーナはフクロウが先導する道無き道を、馬車の手綱を引いて走っている。


手綱を握る手が、嫌な汗を掻いていた。

 心臓は軋んだ音をたて、ひと脈ひと脈がひたすら重くて痛い。


 眩暈のような感覚が絶え間なく続いているのに、ニーナは先を行くフクロウを見失わないよう目をこらさないといけないのが、とにかく辛かった。


 フクロウは、暗い森の奥へとどんどん入り込んでいく。


 まだ昼間のはずなのに、モヤのようなものが森を仄暗く翳らせており、じめじめとした高い湿度は、近くに水辺があることを思わせた。


 衣服が湿気を吸って、肌に不快な感覚を与えてくる。

 まるで、逃れられない死をまとわりつかせているようで、肌の上から生気が削げ落とされていくようだった。


 やがて、開けた場所に出る。

 目立った遮蔽物のない、森から隔離されたように荒れ果てた場所。


 木漏れ沼の魔女の名の通り、そこには沼があるのかと思っていたが、どこにも見当たらず、しかし、じめついた不吉の発生源は、ひと目で目に付いた。


 場所の中央に、魔女馬車を出迎えるように立っていたのは、8年前に見た姿と何一つ変わらない、黒いフードを目深に被ったあの魔女だった。


 ニーナは馬車を止め、再び地下へと下りる。


 なるべく時間をかけ、それでも怪しまれないくらいの速度で、準備を整えていたエリオットと共に馬車の地下から地上へ出た。


 段差に気を付けながら幌馬車の車体を降り、二人でゆっくりと大地に足を付けた。


 「ああ…なんて、大きく……」


 魔女が、感嘆のような声をもらす。


 エリオットを見ているはずの目は、フードに隠れていて見えないが、その口元は禍々しい真っ赤な笑みで飾られていた。


 「運び屋さんは、ここにいて」


 そっと囁いたエリオットは、ニーナを置いて魔女の元へと一人で歩き出す。


 十数歩ほど進んでいくが、不用意な距離まで近づきすぎることはなく、適度な間合い保つと、自らを捕食しようとしている魔女と真っ正面から対峙した。


 手に携えていた、鞘に収まった剣を身体の前へと持っていくエリオット。


 「……それは? ……何の、つもりかしら?」


 彼は黙ったままだった。臆することのないその背中を、ニーナはただ見守だけである。


 以前、外にいるエリオットを見たのは彼が盗まれた時で、またしてもこんな状況下で外に出ているエリオットに、言い様のない悔しさが沸いてくる。


 そんなニーナの胸中を嘲笑うように、魔女は言った。


 「まさか、この私を殺そうというの?」


 口元に、まったく変化のない笑みをたたえて、人間などという非力な存在を歯牙にもかけない様子だった。


 そうやって油断してくれているのなら、むしろ好都合だった。


 予定では、魔女が“爪繰りの剣”に注意を向けている間に、隠し持っている“火の水”で魔女の足下を焼き、怯んだところを爪繰りの剣で首を落とす手筈になっている。


 エリオットに長剣を扱った経験はないが、爪繰りの剣は鞘から抜きさえすれば、剣の方が持ち主を操り、対峙した相手を仕留めるまで動き続ける呪いの武器だった。


 呪いによって操られるエリオットの身体は心配だが、どのみち負ければ命はない。

 ニーナは、これから始まるだろう命がけの戦いに、震えはじめた両手を必死に抑えつけた。


 「まあ、まあ。なんて愚かしいのかしら、この私に歯向かうなんて」

 「いいえ」


 おかしな脈絡で否定を口にしたエリオットは、そのまま思ってもみない行動に出る。


 手にしていた剣を、鞘から抜くことなくその場で放り捨てていた。

 剣が、見た目よりも軽い音を立てて地に落ちる。


 「確かに、初めはそのつもりでした。でも、止めることにしました。ボクは、貴女を殺しません」


 地面に転がった剣に気を取られて、ニーナはエリオットが続けた言葉を理解するのに時間がかかった。


 魔女を殺さないとはどういうことなのか、それを呑み込む前に、彼は言う。


 「殺せるはずがありません。貴女は、ボクのお母さんだから」







 あまりの突拍子しのなさに、ニーナは場違いにもぽかんと口を開けてしまった。

 魔女に目をやれば、彼女からあの真っ赤な笑みが消えていた。


 「ずっと、疑問には思っていました」


 エリオットは静かに語り出す。


 「子供の時から聞かされていたとおり、ボクを食べるためだけなら、どうして文字の読み書きや、生活に必要な知識を教えたりしたのか……。どうして、名前なんか付けたりしたのか」


 確かにそうだと、ニーナは思った。あえて言われれば、確かに頭を傾げる部分だった。


 「ただの気まぐれだとか、育てやすいからとか、勝手な解釈を付けていましたが、でも、魔女馬車に預けられてから、ボクは様々なことを知る機会に恵まれました」


 静かな語り口に、どこか感傷的なものが混ざる。


 「ボクには生き残れる可能性があって、そのためには魔女を殺さないといけなくて。被食者が捕食者を殺し返しても、誰も文句は言えないとか。本来なら、タグによって機能する“永久保存の魔法”がボクの身体には効果がなかったとか……」


 言いながら腕を持ち上げ、手首のタグを見つめた。


 「でも、本当に何かがおかしいと思い始めたのは、あの魔女馬車にあんなにも都合良く魔女を殺せる道具があった時からです。まるで……まるで、ボクに木漏れ沼の魔女を殺させるために、はじめから用意されていたようでした」


 あの時の、エリオットの様子をニーナは思い出す。

 ずらりと並べられた、魔女を殺す道具を見つめる彼の顔は、ひどく深刻そうだった。


 「きっかけは、そんな違和感です。でも、そうしてボクは、自分のできる範囲で調べはじめました。魔女馬車にあった書室で、手当たり次第の本を読みあさりました。手掛かりなんてほとんど無い状態で、何から調べたらいいかも分からなくて。大変だったけれど、時間だけはありました。そうして、ようやく見付けたんです。ある場所で、ある人が書いた手記を。その手記には、ある事柄に関する記述が詳細に書かれてありました――魔女の息子について」


 魔女の息子。ニーナは聞き慣れないその言葉に困惑する。


 エリオットはさきほど、木漏れ沼の魔女を自分の母だと言った。それが本当なら、魔女の息子とは、すなわち彼自身のことだった。


 「魔女は、人間の男と交わり子を成すが、その子供はまず間違いなく女児であると書かれてありました。ただし、ごく稀に男児が生まれる変異があり、しかし、魔女は“女”であることが自然な形であるため、奇形として産まれた男児は、いずれ自身の魔力によって命を落とすのだとありました」


 エリオットは、あくまでも淡々と魔女の息子(じぶんのこと)について語り続けた。


 「さらに、こうも書かれていました。短命を宿命付けられた魔女の息子が、生き長らえるためには母である魔女を殺すしかないと。ただ殺すのではなく、息子自身の手で事を成し遂げ、魔女を――魔力の大元を調伏したという呪いを負うことで、ようやく魔力を制する術を得るのだと、そうありました。だから、貴女は」


 「世迷い言もいい加減にしろっ」


 業を煮やしたように言ったのは、木漏れ沼の魔女だった。


 「わけの分から無いことをぬかすな。お前のような卑しい人間が私の子だと? そんなはずあるか。お前は赤子の時に、私が人里から攫ってきて来たのだ。大きく太らせてから食べるために、今まで育てていたに過ぎない」


 「……なら、今すぐにボクを殺して、食べてみせたらどうですか?」

 「――エ、エリオットっ」


 声を上げずにいられなかったニーナに、エリオットが振り返る。


 心配ないと言うように、にこりと笑ったかと思えば、すぐに向き直って魔女へと足を進め出した。


 「――く、くるなっ」


 途端に、魔女の方が慌て出した。


 制止を命じはしたが、エリオットに危害を加えようとはせず、どころか、魔女はあきらかに怯んで後退をはじめる。


 駆け出そうとするものの、焦るあまり足が絡まったのか魔女は盛大にこけた。


 起き上がりざまエリオットを振り返り、まだ近づいてくる彼から、這いずってまで逃げようとする。


 「くるなっ、くるなっ……――――こ、来ないで。ダメよ。私いま危ないの。力を制御できないの。災厄を撒き散らしている。ほら、この場所だって、こんなに荒れ果ててしまって。だから、だから―――」


 エリオットがようやく足を止めたのは、魔女の傍らだった。


 片膝を付き、手を伸ばして、魔女が目深に被っていた黒いフードを外す。


 フードから長い髪がこぼれ落ち、現れたのは目鼻立ちの整った綺麗な女性。

 新緑の髪に金色の瞳。その色合いと面差しは、間違いなくエリオットと同じものだった。







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