15 残り02年と01ヶ月15日
「……書室に?」
「そう、入らせて欲しいんだ」
北の森の魔女から、魔女を殺す方法を教えられてから数日後、朝食の席でエリオットが切り出した話に、ニーナは目を丸くする。
「うん。自分の身体こと、やっぱり気になるし。でも運び屋さんに任せきりじゃ、運び屋さんばっかりに負担をかけるだろうし。そもそも自分の事なんだから、自分で調べたいんだ。……ただ、馬車の中のものを、ボクが好き勝手にいじくるのは抵抗感とかない?」
「…………」
ない、と言えば嘘になる。
ニーナはこの魔女馬車で産まれて、ずっと御者という仕事に関わってきた。
それなりの矜恃だって持っていたから、積み荷にまた料理と家事を手伝わせていることや、魔女馬車の保管庫で魔女を殺す道具を漁っていた時にも、本当は抵抗感を感じていた。
けれど、
「……言ったでしょ、最後まで付き合うって。それに……」
エリオットの顔を正面から見ていられなくて、ニーナはうつむき加減で続けた。
「そ、それに、その……もし、それで、責任を問われることなっても……その、い、一緒に……は、半分こしてくれるん、でしょ」
恥ずかしさを堪えて言ったのに、エリオットから返事はなかった。
どうしたのかと、そっと窺い見てみれば、彼は何とも言い難い顔をしていた。
「…………運び屋さんってさ。可愛いよね」
「――な、なに、急に」
「いや、前から思ってたんだよ。子供の時から。あの頃は、いっつも膨れっ面しててさ、それでボクが気にくわないことすると、ますます膨れて。あれもあれで可愛かったんだけど、最近の可愛さは、破壊力が尋常じゃないコトになってるんだけど……うん。とりあえず、何が言いたいのかというとね、キスがしたいから食事の後でしようと思います」
「――!」
最後に、とんでもない発言が飛び出してきたと思えば、エリオットは何事も無かったように食事をし始めた。
しかし、その視線はニーナの口元に固定されている気がして、そんな状態で食事を続けらるはずのないニーナは、すぐさま席から立ちあがって、御者台へと逃げた。
結局、昼食の時に捕まったが、そうして、その日からの二人のスケジュールが決まった。
ニーナはこれまで通り御者の仕事を。エリオットは書室にこもって調べ物をする。
御者の記録ならニーナも調べていたが、夜の短時間しか時間を割けなかったせいで進んでおらず、その点エリオットなら昼の時間を丸々使えるため、ニーナは記録の方も彼に一任することにした。
一日の成果は、夕食の席で報告してもらう。
代々の御者たちが集めてきた本や資料があるから、かなりの蔵書になるはずだが、中にはボロボロで読めない本や、いかがわしい本もあるようで、時々それを見付けてはニーナに内容を教えてくれようとするため、良い意味でも悪い意味でも夕食の席で話題には事欠かなかった。
ただ、北の森の魔女に言われた嫁入り前うんぬんは、キスや軽い触れ合いならセーフということにしたらしく、エリオットは事前に必ずと言っていいほど確認を取ってくるので、ニーナはその度に顔から火がでる思いをしている。
北の森の魔女に言われたとこと言えばもう一つ、自分の身体の貧弱さを指摘された事を気にしているようで、こっそり体力作りもしているようだったが、ニーナはきちんと気付いていないふりをした。
何か分かったらまた来ると言っていた魔女の訪れは、あれきりぱたりと止んでいる。
エリオットが木漏れ沼の魔女の元へ戻る日も、残り3年半を切っているというのに、どこか穏やかな空気を感じながら、ニーナたちは残された日々を過ごしていった。
そんな暮らしがずっと続くことはないと分かっていたが、ほんのささやかな生活がおかしくなり始めたのは、1年にも満たない頃だった。
その日は普段取り、一日の移動距離を走り終え、ニーナは地下へと下りていったのだが、キッチンにいるはずのエリオットの姿が無かった。
まだ書室に篭もっているのかと、ニーナは探しに行くが、ちょうど書室の扉から出てくるエリオットと出くわした。
「あ。夕食――」
ニーナは絶句する。
エリオットの目は赤く腫れていた。まるで泣いていたような―――
「――ど、どうしたの?」
「何でもないよ。ごめんね、夕食すっかり忘れてた。すぐに作るから待ってて」
そう言って、逃げるようにキッチンへ消えてしまった。
エリオットの目が赤かった理由を、聞き出す機会をニーナは逸していた。
それを後悔することになったのは、その日から彼の様子がおかしくなってからだった。
それまで、夕食の時間になるとエリオットは進んで、読めないが文字あったとか、面白い本があって脱線してしまったとか、成果や失敗を正直に話してくれていたのだが、最近はめっきり口数が減って、報告すらも口を濁そうとする様子が目立った。
裏腹に、書室にはよく入り浸りるようになり、昼食や夕食を作るのを忘れるくらい没頭している日が続出する。
ばかりか、書室に入れる時間を夜中にまで延ばして欲しいと、ニーナに願い出てきた。
書室で何か見付けたのかと、ニーナは聞いたのだが、彼の答えは「まだ確かなことは言えないから、待って欲しい」だった。
言い様のない不安を感じたが、エリオットのどこか切羽詰まった様子に、ひとまず折れることにした。
夜ニーナが床に就いていても、エリオットは書室と車室を行き来できるようにし、根を詰めないよう約束させたのだが、彼はすぐにその約束を破った。
朝、ニーナがエリオットを起こしに行けば、車室の扉は開きっぱなしのうえ、あきらかに徹夜した顔でキッチンに立っていたりするのである。
話しかけても上の空であることが多くなった。
焦りからか、苛立ちからか、悪態をつくところも何度か見かけるようになった。
食事の準備や家事の手伝いも滞りがちになっていたが、支障が出てないよう後から補うように働いてくれており、彼の健康状態も気掛かりになってくる。
見かねて、夜中に書室を使用するを禁じようとしたら、まるで見計らっていたようにあっさりと了承されてしまった。
以前と同じように、書室の使用を昼間だけにすると、それからは追い詰められたような態度を、極力見せなくなった。
その態度の変わりようは、かえってニーナの不安をあおった。
一見何の変哲もないように見えて、内面の方から可笑しくなっていくような怖さを感じてしまう。
ニーナは意を決した。
本当はエリオットから話して欲しかったが、彼に話してくれる様子が全くないのだから、自分から聞きに行くしかなかった。
今日は遅れなかった昼食の後、いったん御者台までにあがり馬車を出発させるが、すぐに停車させて、再び地下へ下りた。
足音を立てぬよう書室へと向かう。書室の扉は開けたままにしてあるので、こっそりと忍び込んでエリオットの姿を探す。
本棚と本棚の間を歩き回り、扉のあるところまで戻ってくるがエリオットは居なかった。
トイレにでも行っているのかと思い、ニーナは車室の方へ向かったが、そこにも彼の姿はなかった。
「…………」
次ぎにキッチンへと向かった。そこにもおらず、ニーナは馬車の中を見て回る。
どこにもいなかった。想像もしていなかった事態に、にニーナは動揺し、混乱した。
エリオットが魔女馬車のどこにも居ない。そんなはずはなかった。
“積み荷”である彼は、魔女馬車の御者であるニーナが扉を開けなければ、部屋と部屋の移動すらままならない。
それでどうやって、身を潜められるような場所に行けるというのか。
まるで、魔女馬車からエリオットの存在が消え去ったかのようだった。
錯覚だと分かりきっているのに、そんな妄想に囚われそうになるのを振り切るため、ニーナはもう一度、書室へ戻った。
慌ただしく駆け込めば、その騒々しさに振り向く人がいた。
「あれ、運び屋さん? どうしたの?」
呑気な顔して驚くエリオットに、ニーナは声を思わず荒げる。
「ど、どこに行ってたのっ」
「……? ここにいたよ?」
「嘘。わたし、さっきここを探したもの」
エリオットの表情が、一瞬強張ったのをニーナは見逃さなかった。
けれど、すぐに平然とした顔を装った。
「――――いたよ、書室に」
「…………」
何でそんな嘘を付くのか。
平然と嘘を付くエリオットが、全く知らない人に見えた。
いつも素直すぎるほど素直だった彼の嘘は、ニーナに欲しくもない疑念を与えてくる。
「ねえ……私いつまで待てばいいの?」
絶対に、何かに気付いていながら、その何かを隠している。
隠し事をされているニーナの気持ちを知ってか知らずか、彼の返事は非情だった。
「……ごめん」
「…………教えてくれないの?」
「ごめん、まだ……ううん、できる事なら、その日が来るまで何も聞かないで欲しい」
「その日って、魔女の元に戻る日のこと?」
「――――……ごめんね」
心情がそのまま顔に出ていたのだろう、エリオットはまた謝罪を口にしたが、口だけではなく、身体すべてを使って許しを請うようにニーナを抱きしめた。
卑怯だと思った。
ニーナはもうずっと、エリオットの温もりに飢えていた。
北の森の魔女に手を出すなと言われても、キスや軽い触れ合いはしてくれていたのに、ここ最近は、まったくと言っていいほど触れて来ようとしなかった。
どこか遠慮のようなものすら感じて、けれど、誰に遠慮する必要があるのか分からなかったニーナは、変わらない匂いと体温に抱きしめられただけで胸がいっぱいになる。
「――怖いんだ」
不意の声に、聞き間違いかと思ってしまった。
けれど、間違いなくエリオットの声だった。
「……真実を知るのが、怖い」
「真実……?」
問うように繰り返したのに、エリオットは黙り込む。
代わりに、ぎゅっと抱きしめてくるので、それが彼の返事なのだとニーナにも伝わった。
エリオットの言う真実が、彼の身体のことなのか、それとも別のことなのか。少なくとも、ニーナに言えないと詫びなければならないものなのだろう。
それを彼は怖がっている。
どういうことなのか、ニーナには本当にわけが分からなかった。
ただ、知りたいことを知れなくて、ニーナが苦しんでいたように、エリオットもまた、言いたいことを言えなくて、苦しんでいたことは嫌でも分かってしまった。
彼の意志を尊重して、このまま口を噤んでも何も解決はしないだろう。
けれど、聞いても答えないと分かっている押し問答を続けて、いま手の中にある彼の温もりを失うのは惜しかった。
せめて、いつもと変わりないエリオットをもっと感じようと、ニーナも彼の背中に腕を回して身体をすり寄せた。
その途端、彼の手がニーナの肩に置かれ、強引に引きはがされる。
「――な、なんで?」
「なんでって……」
ニーナが批難と共に顔を上げれば、エリオットも困惑した顔をしていた。
少し悩む様子を見せていたが、すぐ返ってきた答えは直球だった。
「ベッドに連れ込みたくなるから」
「……――――」
ニーナは目を見開き、自分でも分かるほど真っ赤になって俯いた。「ごめんなさい」と、何故かお詫びの言葉まで出ててくる。
「……とりあえず、これで我慢する」
そう言って、エリオットがキスしたのは、頭のてっぺんだった。
やはり唇にはしてくれないようで、ニーナはまた切ない気持ちが戻ってくる。
して欲しいと、恥を忍んで言ってしまおうかとした時だった、馬車の中に金属音が響き渡る。
鉄と鉄を打ち鳴らすような高い音が、馬車の中で断続的に鳴り響いた。
「――何?」
「…………上で、何かあったんだと思う。ちょっと行ってくる」
ニーナが一人で行こうとすれば、エリオットに手首を掴まれる。
「待って。大丈夫なの?」
「…心配ないよ。わたしは、馬車の防衛力で守られているから」
それでも躊躇う素振りをみせたが、エリオットは手を放してくれた。
ニーナは急いで上にあがり、馬車の外で起きているはずの異常を慎重に探っていけば、大きなフクロウが一羽、馬の頭に止まっていた。
「お初にお目にかかります」
「――!」
フクロウの流暢な言葉遣いに、すぐさま魔女の使い魔だと察した。
「まず、このような不躾な訪問になりましたことを、心よりお詫び申し上げます」
「…いえ」
「手前の名を、シド。木漏れ沼の魔女の使い魔にございます。この度、我が主が8年前に預けました積み荷を、受け取りに参りました」
それは、エリオットを届ける約束の日までまだ2年あり、ニーナたちがまだ18歳の時に起きた、出し抜けの来訪だった。




