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11/20

11 残り03年と11ヶ月29日


 “積み荷”の彼が魔女馬車から盗まれ、そして戻ってきてから数日が経った。


 あのあと、泣き続けるだけだったララを、花と岩棚の魔女が連れていった。

 おそらく、生まれた故郷へと戻されたのだろう。


 魔女は別れ際、折を見てニーナたちを訪ねに来ると言ってくれていた。


 ララがいなくなり、家事をする人がいなくなってしまったから、彼がまた、自分の出来る範囲で手伝いをしたがったが、手首のタグによって負わされた傷が癒えていないため、まずそれを治すようニーナは言い付けた。


 全ての家事をニーナ一人で引き受けて、魔女馬車の運用も一人でこなす生活になったが、ぎりぎりで何とか回していった。


 そうして何事もなく、普段通りの生活へと戻って―――いけるはずがなかった。


 ニーナは車室へ昼食を運ぶついでに、彼の手首の包帯を取り替えていた。


 取り替える度、痛々しい傷痕がのぞいて、花と岩棚の魔女に癒してもらえば良かったと思っていたが、腫れもようやく治まってきた。


 「…ねえ、そろそろ怪我も良くなってきたし、ボクが料理とかしようか?」

 「…………」


 同じソファに座って、大人しく手当を受けている彼から期待のこもった目を向けられるが、ニーナは何も答えない。


 「えと……ほら、手が使えないからさ、いつもの刺繍とか暇つぶしも出来なくて。なんか、片手だけでも出来ることって……ない、かな…って……」


 「…………」


 彼が言うことを、ニーナがまともに取り合わないのは今に始まったことではないのに、彼はどこか焦るようにして、さらに続ける。


 「ほ、本とかでもいいんだけど……あ、でも運び屋さんが忙しいならいいよ、我慢する」


 彼は、察しているのだろう。ニーナの様子がおかしいことに。

 だから、以前のように軽口をたたくことで、前の生活を取り戻したいのかもしれない。


 思い返せば、この6年の間、ニーナは様々な目に遭ってきた。


 年端もいかない少年を、10年間も預かることになったり。父親をいきなり亡くし、“積み荷”の手を借りる事になってしまったり。同い年の女の子を迎え入れて、師弟のような関係を築くことになったり。その度に、新しい生活に慣れなくてはいけなくて、とても大変だったけれど、それでもどうにか立て直してきた。


 けれど、今回はもう、駄目だった。

 ぽきりと折れてしまった気持ちを、立て直そうとすら思えなかった。


 「わたし、御者を辞めようと思う」

 「――――……え?」


 意表を突くように零した言葉に、彼はそのまま意表を突かれたようだった。


 「……え。――え? な、なんで? どうしてっ?!」


 彼は、ソファから立ち上がった。


 「この間のこと? ボクが盗まれたりなんかしたから、責任を感じてるの?」

 「……違う」


 「じゃあ……じゃあ、ボク? ボクが何かした? うるさかった? 邪魔だった?……ああ、御者として、もう失敗がないようにしたいの? 分かった。だったらもう、ボクはこの部屋から絶対に出ない。絶対に。だから」


 「このままじゃわたし、ララと同じ事をする」

 「だから――…え?」


 「アナタの、あんな姿を見てしまったから……あんな姿を見たあとで、平然と御者を続けていくことなんて出来ない」


 どれだけ背が高くなっても変わらない金色の瞳が、大きく開かれていく。


 彼は、この魔女馬車に預けられた日から、一度だって取り乱すことなどなかった。


 けれどあの日、ニーナは見てしまった。

 自らの命を惜しんで、その身を投げ出した姿を。


 彼の心の中に、本当は何があったのかをニーナは知ってしまった。

 彼の恐怖を見た。彼の悲鳴を聞いた。それでどうして、以前と変わらない生活に戻れるというのか。


 「このまま、あと4年もアナタを閉じこめるためにここに居たら、わたしは何をするか分からない。わたし……だって、わたし、は……アナタに、恋をしているから」


 その時、彼が――エリオットが、どんな顔をしていたのかニーナには分からなかった。

 彼の顔を見ながら、生まれて初めての告白をするなんて出来なかったから。


 ただ、息を呑むような音がして、それきり何も聞こえなくなった。


 車室の中は静まりかえった。うるさく鳴り続ける鼓動が聞こえそうなほど静かになり、しばらくても治まりそうになかったから、ニーナは意を決してエリオットの顔を見上げた。


 「ねえ、教えて。木漏れ沼の魔女の元に戻ったら、アナタはどうなるの?」


 はっ、と我に返ったように、彼が肩を震わせる。


 「……そ、それは、聞いちゃいけない事じゃないの?」

 「…………教えて」


 ニーナが重ねて言えば、エリオットはうろたえ気味に答えた。


 「駄目だよ。聞いたらきっと……後悔するよ」

 「聞かなくたって後悔するわ。アナタがどうなったのか、一生引きずり続けるわ」


 どうしたらいいのか分からないのだろう、彼はただ困り切った表情を浮かべている。

 そうして長いあいだ逡巡したあと、ためらいがちに呟いた。


 「……じゃあさ。教えたら、これからも御者を続けてくれる?」

 「――教えて」


 エリオットは、自分から提案したくせに、まだ納得いかないという顔をしながらソファに腰掛けた。ニーナの隣りに座り、ひと呼吸置いてから話し出す。


 「……ボクはね、物心ついた時から木漏れ沼の魔女の元にいた。どこかの部屋に閉じこめられてた。ただ、魔女本人には数えるほどしか会ったことなくて、ボクを育てていたのはシド――魔女の使い魔だった。そいつから、色々なことを教わりながら暮らしていた」


 己の過去を話す間、エリオットはニーナの方を見ようとはしなかった。


 「同時に、その使い魔から毎日のように聞かされていた言葉がある。どうして魔女は、赤ん坊だったボクを人里から攫って来て、わざわざ育てさせているのか。それを毎日聞かされていた」


 「…………」

 「……それはね、ボクを食べるためなんだって」


 その瞬間、ニーナは目蓋を閉じる。


 後悔した。

 あらかじめ彼が忠告していたとおり、聞かなければ良かったと後悔した。


 「でも、そんなある日、魔女が現れて言ったんだ。せっかく大きく育てようと思っているのに、こんなに側に置いていては我慢できなくなってしまうって。だから、ちゃんと大きく育つよう、10年の間、魔女馬車に預けることにしたって。……そうしてボクは、今ここにいるんだよ」


 「……ならアナタは、魔女の元に戻ったら、食べられてしまうの?」

 「…うん」


 分かりきっていたはずの肯定に、ニーナは全身から力が抜けていく。

 頭の重みすら支えられず、前へ沈み込むように俯いた。


 「これで、ぜんぶ話したよ。……運び屋さん、これからも御者を続けてくれる?」


 気力を振り絞り、ニーナは首を横に振る。


 「…………嘘つき」


そう言ったエリオットに、責めている気配はほとんどなかった。

 どういう答えが返ってくるか、分かりきっていたようだった。


 また部屋が静かになったが、それほど間を置かずして彼の方から口を開く。


 「ならさ、どうしても御者を辞めるって言うなら、その代わり、ララと同じ事をしてよ」


 どこか、投げやりな口調だった。


 「…………盗み出して、欲しいの?」


 「うん。運び屋さんになら盗まれたい。手に手を取って一緒に逃げるなんて、何かのお話みたいだしね……でもさ、すぐに捕まってしまうんだろうね。その時はきっと、運び屋さんも殺されてしまうね」


 ゆっくりと首をもたげれば、エリオットと視線が合う。

 ニーナを見つめる金色の瞳は、無遠慮に彼女を探っていた。


 それもいいかもしれない。


 どのみち、この魔女馬車で生まれたニーナには、御者を辞めたところで行く場所などない。けれど、ララのように生まれた故郷もないのだから、魔女からの報復を恐れる心配もなかった。


そんな事を考えながら彼の瞳を見つめ返していると、痺れを切らしたように彼は言った。


 「なんで断らないの? 殺されてしまってもいいの?」 


 まるで泣きそうな顔で言うから、ニーナは思わず微笑んでしまう。

 問いかけの答えのように笑ってみせたからだろう、エリオットはますます泣きそうな顔になった。


 「ねえ、運び屋さん。どうしよう。ボク、君のことが好きなのに。きっと、これが恋だと思うのに…………ボクは、君のことを不幸にしたいみたいだ」


 好きな人からされた、生まれて初めての酷い告白に、ニーナの視界が涙で霞む。


 「わたしも、どうしよう……すごく嬉しい」






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