10 残り04年と00ヶ月08日
※人によっては地雷シーンがあります。ご注意下さい。
呆けている場合ではないと、ニーナは“積み荷”である彼のタグを追って、馬車を出ようとした。
しかし、すぐに思いとどまり、花と岩棚の魔女を呼ぶ。
魔女は、以前に約束したとおり、ほとんど時を置かずに来てくれた。
彼女に事情を話し、ララが“積み荷”を持ち去って消えた事を告げる。
その時の魔女の顔は、とても形容しがたいものだった。
だが今は、私情は後まわしにし、タグと魔女の力を使って、タグのある付近へとひと息に移動した。
そこはまだ森の中で、置いてきた魔女馬車からさほど離れていないと思われた。
人の姿を捜して辺りを見渡せば、横手から声が飛んでくる。
「――――どうしてっ!」
ひどく取り乱した女の声。ララの声だった。
「どうして分かってくれないの! どう考えたって、こんなの間違ってるじゃない!」
「お前の正しさなんか知るかっ!!」
ララを遮ったのは、聞き覚えのある、けれど聞いたこともない怒声だった。
「ふざけんなっ!! 自分が何をしたのか考えろよっ! どう言い訳したって、お前は魔女の所有物を盗んだんだっ! それを考えろって言ってるんだっ! お前がボクを盗んだせいで、回りにどんな被害が出るか、どうして考えられないんだっ!!」
言い争う二つの声へと、ニーナたちは近づいていく。
「もし彼女が責任を負わされる事になってみろっ、そんなことになったら、お前を死んでも許さないっ」
「――で、でも」
「お前自身だって魔女の怒りを買うんだっ。お前が生まれた村だの何だのだって、どんな災厄に見舞われるか分かったものじゃないっ。そうなったら、お前に責任が取られるのかっ!」
ようやく姿が見える距離までくれば、そこには、旅装を整えているララと、地べたに這いつくばった彼がいた。
彼は、両の手と腕を地に着き、どうにかして起き上がろうとしているが、それがままならない状態のように見えた。
「……ララ」
魔女の声に、二人が同時にこちらを振り向く。
「――ま、魔女様」
ララが、驚きに目を見開く。
一方で彼は、ニーナの姿を見付けると、くしゃりと顔を歪ませた。
いったい何をされたのか、自力では起き上がれない様子にニーナは急いで駆け寄った。
最初に目に付いたのは、血が滲むほど手首に食い込んだタグだった。急いで確認すれば、拘束と軽量の機能が作動状態になっている。
「…………」
ララが手順を間違えて、ちゃんと機能しなかったのか。そのせいで抵抗の余地を与え、抵抗を感知したタグが手首を締めたのか。
とにかくニーナは、身体の自由を奪っているタグの機能をすぐさま解除した。
途端、彼は脱力したように地面へ崩れ落ちる。支えるために肩へ手を置けば、「…ごめん」と小さくささやく声をニーナは聞いた。
「あ、あたし、彼を助けてあげたくて」
花と岩棚の魔女に無言で睨まれていたララが、耐えかねたように喋りだした。
「このままじゃきっと、悪い魔女に殺されてしまうと思って。だから、彼を逃がしてあげようと……タ、タグも、あとで外してあげるつもりで……」
「……その割に、そこの“積み荷”はずいぶんと怒鳴り散らしていたようだが、本人にきちんと了解は取ったのか?」
容赦なく切り返され、ララは声をうわずらせた。
「だ、だってエリオは内気な子だから。き、きっと変な魔法とかをかけられてて。だから、先輩の前では、あんな人が変わったみたいに……魔女様っ、魔女様なら分かってくれますでしょう? エリオはあの馬車で10年間も監禁されるっていうんです。どうか、助けてください。あれじゃあ屠殺されるのを待っている家畜と一緒です」
「……家畜ね。なら家畜なのだろう。魔女は人を喰うからな」
「――え。…………え、で、でも」
「私が人間を食べないのは、単に口に合わないからだ」
まるで、人を食べたとも取れる発言だった。
「何をそんなに驚いている。自分たちより知能の劣る生き物をさんざん家畜化しきたのだ。ならば、自分たちより高位の存在から家畜化されるのも、許容すべきだろう」
次々と魔女からの拒絶の言葉が繰り出され、彼女を人間たちの味方だと思っていただろうララは、怯んだように一歩退いた。
「でも……でも……」
「話をすり替えるなと言っているのだ。正しい正しくないと言い繕う前に、お前は自分が何をしたのかを理解しろ。お前がしたことは、ただの泥棒だ。それ以外の何ものでもない」
「……ち、違う」
「何が違う。助けるためだから? 家畜と一緒だから? そうか、いいだろう。だがな、盗みを働いた正当な理由を、それで押し通すつもりなら、お前たちが生存競争の果てに生み出した他生物の家畜化も、魔女たちの許容範囲から逸脱するが、お前にその責任が取れるのか?」
「そんな……」
さらなる追い打ちに、ララは弁解の拠り所を探すように周りを見渡した。
魔女とニーナを順に見て、そして彼に目をとめる。
「だって、あたし……あたし……」
「…………」
ララが、彼を助けたかった気持ちに嘘はないだろう。
けれど、彼を無理やり連れ出した本当の理由は、もっと別のところにある気がした。
こんな後先を省みない行動に彼女を駆り立てさせたのは、もっと私的で、もっと内に秘めた感情からだったように思えて、ニーナは改めて己の失態を思い知らされる。
結局、ララが言いかけた言葉は、彼女の内に秘められたまま明かされることはなかった。
魔女は、黙り込んだララに見切りをつけたようにニーナの方を向いた。
「すまなかった、御者よ。私の見識不足だった。盗みを働いたばかりか、それを理解する分別すら持ち合わせていなかったとは……」
「…………いえ」
「今回の不始末は、私が責任を取ろう。そこの“積み荷”の持ち主にも私が取りなす。お前には、できうる限り責めがいかないようにしよう」
それに異を唱えたのは、ニーナではなかった。
「待ってください。それはどういう意味ですか?」
ニーナの隣でしゃがみ込んでいた彼が、身を乗り出して声を上げる。
「ボクの――木漏れ沼の魔女に、これから連絡するということですか?」
「……ああ、そうだ」
「そ、そうなったらボクは、すぐにでも魔女の元に戻されることになるんじゃないですか?」
「……不確かな事は言えんが、そうなる可能性はある」
「そんなっ……! そんなことになったらボクは―――」
彼の声は、恐怖に震えていた。
魔女の元に戻る。それを報されただけにしては、やけに過剰な反応だった。
目に見えるほど顔色を失った彼は、次の瞬間、思ってもみない行動に出る。
地に手をついた状態で、魔女に向かって頭を下げたのだ。
「――何を」
「どうか、お願いです。今日のことを木漏れ沼の魔女に報せないでください」
あまりの事に誰も対応しきれない中、彼は額を地につけて、恥も外聞もなく懇願の言葉を口にした。
「こんな勝手を言う権利が、ボクに無いことは重々承知しています。でも、どうかお願いします。ボクにはあと4年あるんです」
憐れみを請う声で、ひたすら同じ事を繰り返す。
「あと4年……4年、残されているんです。どうかお願いします。ボクにあと4年あるんです。ボクから4年を取り上げないでください。お願いです。お願いします。お願いします。お願いしますっ」
そんな、とニーナは音もなく呟いた。
なりふり構わないその姿に、全てを悟ってしまった。
彼の言葉は、もはや懇願などという生易しいものではない。
どう見ても、見間違いようなどなく―――ただの命乞いだった。
魔女の元に戻ったあとで待ち受ける、彼の未来を示唆しているも同じだった。
「――もういい」
目の前で行われる命乞いを、止めるように魔女が言った。
人間を家畜だと切り捨てたはずの彼女は、見るに堪えないと言わんばかりだった。
「……御者よ。今日の不祥事を、不問に付す意志はお前にあるか?」
ニーナは、魔女の問いかけを、すぐには飲み込めなかった。
「今日のことは、直接連絡を受けた私だけが知っていることだ。ならば、隠し立ても容易い。だが、魔女馬車で預かっているモノが盗まれたのだ。責任者である御者の承諾なくしては決められん。もう一度聞く。この事を不問に付す意志は、お前にあるか?」
「――――……はい。はい、あります。わたしは今日の出来事を不問に付します」
魔女は了承して頷くと、再びララを見向いた。
「これで、魔女がどんなものか、充分に理解できただろう」
ララは、膝を着いたまま項垂れる彼を見つめながら、涙を流していた。
唇を動かし、短い言葉を何度も呟いていたが、ニーナのところにまで、その言葉が届くことはない。
「物の次いでだ、もう一つ知っておけ。もし、今日起こった事をよそで口外しようものなら、この私が直々に、お前の村へ災厄をもたらすことをしかと覚えておけ」




