日和さんと記念日日和 Ⅱ
鈴木邦生、高校二年生、彼女なし。「平々凡々」と言ったところだろうか。
間日和、鈴木と同じ高校二年生だが決定的に違うところがある。ありすぎるくらいある。容姿端麗。全校生徒の憧れの的である間は、高校生活二年目にして告白されることが決して少なくない。靴箱を開けて手紙が入っていることは何も珍しくない。入っていないことの方が珍しいくらいだ。しかし、彼女は生きていた十数年間恋人がいた経験がなく、恋もしたことがないという。
家が隣同士、小さい頃から幼なじみの二人の十一月二十二日の話。
「邦生、お弁当持った?」
鈴木の母、佳苗がエプロンで手を拭きながら、玄関で靴紐を結んでいる鈴木の下へぱたぱたと走ってくる。
「持ったよ」
「ならよかった。あ! 今日、邦生が帰ってきた頃、たぶんお母さんいないから」
「何で? 今日用事でもあるの?」
「ふふーん」
左手を腰に、右手は人差し指だけを立て、機嫌が良さ気に鼻歌交じりに佳苗は言う。
「なーに、ただの結婚記念日よ♡」
佳苗はスリッパであるにもかかわらず、その場でくるくるくると、まるでバレエダンサーのように軽やかに舞いびしっと決めポーズ。
「――いってきます!」
母の奇怪な行動を目にしてしまった鈴木は、うんざりするような気分で家を出た。
家にこれ以上いると、彼らの馴れ初め話を聞かされると予知する。
はぁ……と深い溜息をつく。
「――なにやら、鈴木君の家は朝から楽しそうね」
「うわっ!!!! おま、お前いつからそこに……!」
「なに寝ぼけたことを言っているの。いつも一緒に学校行っているじゃない。この寒い中、鈴木君を待っていたのよ。感謝しなさい」
「……ありがとうございます?」
「いえいえ、お礼には及びませんわ」
「……お前に「謙遜」っていう文字は似合わないな……」
間日和は鈴木家の隣に住んでいる、所謂「美少女」だ。
百人に聞いたら百人が、千人に聞いても九百九十九人が「美少女」だということだろう。
「さて、鈴木君、今日は」
「結婚記念日だ!!」
顔から「どやぁ」と音でも聞こえそうなくらいで、「ざまあみろ」とでも言いたいような顔で言う。
「鈴木君ってもう結婚していたの? あ、もしかして留年? 「とっくに俺は十八歳だぜ★」とでも言いたいの? あらー、もしかして私だけに打ち明けてくれたの? わかったわ、これは秘密ね。単位が足りなくて鈴木君が留年した話は二人だけの秘密ね、私は口が固いほうだから心配してくれなくても大丈夫よ。それにしても、鈴木君が私に対してそれだけの信頼を抱いていてくれていたのは嬉しいわ」
「僕のじゃねえよ!」
間は森に生息しているリスのように、首をかしげる。
「あ……」
何かに気がついたように、呟いて鈴木の耳を引っ掴んだ。
「できちゃった結婚?」鈴木の耳元で、ぼそっと言う。
「違うわー!」
何で自分の周りには変な女しかいないのだと、鈴木は頭をかかえる。
「毎日、変な女に囲まれて生活している僕を神は見放したのだろうか……!」
「寝言は寝て言いなさい。誰のことを変な女っていってるのかしら、鈴木君は」間が睨みを利かせた。
その顔の恐ろしいことといったら。
鈴木は蛇に見込まれた蛙のように、唾を飲み込む。
「なーに、ただの冗談さ」
「何にも笑えないわ。冗談が下手ね」
だって冗談ではなく本音なのだから、という言葉は舌先で転がして、ごくんと飲み込んだ、
そんなことを言ったときにはもう、自分はどうなっているかわからないと恐れおののいた。
そんなこんなでおよそ十分後、
「今日も無事に、学校に着けた。しかし僕の心は限界に達している」「そうね、鈴木君にとって学校は監獄のようなものですものね。しかも今日は体育がない。心中お察ししますわ」「学校は嫌だけど、お前が一番の理由だ!」「あら、そうだったの? ごめんなさいね~」
彼女には謝る気が微塵も感じられない。
「学年一位のお前は学校が楽しくてしょうがないだろうな!」「ええ、とっくに私は学年一位だぜ★」
真顔で「てへぺろ」と付け加えられても、恐怖しか覚えなかった。
棒読みチャンピオン決定戦で優勝して日本代表になれそうなくらい、棒読みの間。
世界大会は六位入賞くらいかもしれないけど、勉強と美貌以外で間の取り柄になりそうだと鈴木は思う。
学校一の美女とどこにでも転がっていそうな男子高校生が、騒ぎ立てながら昇降口へと向かっている姿は珍妙。
間が靴箱を開けると、出てきたのは大量の封筒。
それはどう見ても手紙なのだが、間日和はそれらに見向きもせず、上履きに履き替えて落ちた手紙を粗雑にもう一度靴箱に詰め込んだ。
「は、間さん……それって……」鈴木は胸が突然苦しくなった。
「ああ、手紙」
「――すごくあっさりだね!!! もう少し反応はないの!?」
「あんなものもらっても何の価値もないわよ」
「嬉しくもないの!?」
「こっちはいい迷惑なのよ」
「えぇ……」
鈴木は間と永遠にわかりあうことは難しいと感じた。
「女子とそういう話、恋話はしないのかい……」
「何故突然、鈴木君が弱り始めたのか私には全く理解が出来ないのだけどそれは置いといて、恋愛についてクラスメイトと語る、なんてすると思うの? この私が」
「しないでしょうね……」
「よく分かってるわね、単細胞生物にも学習するのね」
そういえば、間がクラスメイトの女子と話している場面を全く鈴木は想像できなかった。
そもそも彼女は友達がいるのだろうか。
「間、おまえ、友達いるのか……?」
鈴木が恐る恐る訊ねる。
間は、
「いないけどそれがどうかしたのよ」と見るからに言いたいようである。
「そうか、間には僕しかいないもんな」
友達がいない間のことを思うと、悲しくなって涙が出てきそうになった鈴木を一瞥して、靴箱を再び開き、何十通とある手紙を無造作に手にとって「何? 欲しいの?」
「男からのラブレターなんているか!」
「貰わないよりマシだと思うわ」
「それでも僕は貰わない」
「頑ね。実を言うと、この中には女の子からの手紙もあると思うのだけど、残念ね。そうよね、鈴木君は女の子になんかに興味が無いものね。女の子とお話しするくらいなら、お勉強しないと駄目だもの。だって留年してるんだものね」
「留年してねえから! それと、女子からラブレター貰うのかよ!」
次々と投稿してくる同級生にやたらと見られた気がした。
それは、靴箱から零れ落ちる手紙に驚いているのか。
それとも、間日和と存在価値石ころレベルの男が喋っているのが不思議で堪らないのか。
もしくは、その石ころレベルの男の名前が全く思い出せないのか。
「女の子の方は、他愛もないような内容よ。メールアドレスとか書いてある時が多いけど、そんなに個人情報を自分から公開して何が楽しいのか全く理解が出来ないわ」
「お前、そんなこと言ってるから友達がいないんだよ……素直にメールアドレス登録してあげろよ、そして友達を作れ……」
間の肩に手をぽんと置き、もう片方の手で目元を隠す。
「嘘泣きなんて女々しいのね。やっぱり、手紙をあげるわ。ほら、元気出しなさいよ。鈴木君が弱ってたら気味が悪いわ」
「お前が可哀想で可哀想で、涙が出てくるよ」
「鈴木君に同情されたくないわ」
鈴木は間の肩に手を回し、泣いている素振りをしながら教室へと連れて行こうとする。
手を回された方は、「ちょ、ちょっと、離しなさいよ。変態、変質者、セクハラよ、訴えるわっ。気持ち悪いっ、離しなさいってば!」と暴れまわる。
「今日は一緒にラーメン食べて帰ろう……いろいろ話聞いてやるよ」
「何故、鈴木君と食事を共にしなければならないのよ! ほら、離しなさいってば! 馬鹿がうつるわ、やめなさい!」
鈴木の友人は欠伸を一つして、昇降口へと向かった。
上履きを履き、また欠伸をする。
何やら朝から誰かまた喧嘩でもしているのだろうか。
朝っぱらから騒々しい男女の声が昇降口まで響き渡っている。
教室は長い廊下を歩いた先だ。
涼しい空気をたっぷりと詰め込んだ朝の廊下はとても気持ちが良いと思った。
歩けば歩くほど、うるさい声は大きくなっていく。
――もしや
「ラーメンおごってやるからさ」
「いらないわよ。そして、早く離れろ」
ああ、本当にあいつはなんて間日和と仲がいいんだろうと心の中で呟いた。
「羨ましい」の一言に尽きた。
そういえば、今日は良いツインテールの日だったかな、と不意に彼は思い出す。
――毎日は記念日。
十一月二十二日は「間さん慰めの日」――
ブックマーク登録、評価、お願いします(*- -)(*_ _)