終止符
夜空が白み始めたころ。ランディはいつまでたってもリリスたちを捕えられない兵士にいらつき、せわしなくあたりを行き来していた。
「たかが魔法使い一組と一人にいつまで時間をかけているんだ!! 早く捕まえろ!!」
「ですがランディさま。アルディティエ様は王宮随一の剣の使い手。我ら兵士がかなう相手では――」
「数はお前たちが上だろう!! まずは女を狙え! ほかの魔法使いたちと合流させるな!」
上奏する兵士を一喝し、これ以上の議論は無駄とばかりに背を向ける。あと少しで願いがかなうはずだったのに、あの男のせいで何もかもがうまくいかなくなってしまった。元魔法使いのアルディティエ――若干15歳で王宮入りを許されただけでなく、その剣の腕と魔法の力を買われ、最年少で王の側近に収まった男。ランディと同じ時期に王宮入りした彼は、すべてのことにおいて常に自分の一歩先を行く。それが腹立たしくて、許せなくて、何度も勝負を挑んでは負けた。
こんどこそ、あの男を見返してやれると思ったのに、今回もまた負けてしまうのか。そう思うと、どうしても許せなかった。
「報告いたします。紅の魔法使いとアルディティエ様ほか2名が合流した模様です! その際に兵の多くが攻撃を受け、半数が戦闘不能になっております」
「くそっ!!」
「ご決断を、ランディさま。我々で勝てる相手ではありません……!」
「まだだ、まだだっ!! 落陽と白銀は我々側についているのだろう? リリスたちは彼らと接触を図るはずだ、疲弊したところを狙え!!」
もはや、後には引けなかった。視線を上げると、地平線が白く縁どられ始めている。あと半時もたたないうちに、夜が明けるだろう。そうすれば、何もかもが終わる。王の差し向けた軍が到着してしまえば、自分は確実に捕まえられ、牢に入れられる。そうなる前に、兄弟どちらか一人だけでも一矢報いたい。アルディティエを見返したい。ただそれだけの思いで、ランディは動いていた。
だが、状況は一向に好転しなかった。兵士たちはリリスたちを恐れ、攻撃をしない。彼らですら王の軍の到着を待っているかのように、魔法使いたちを遠巻きに囲むだけで、それ以上の行動は起こさない。どれだけランディが声を枯らし、檄を飛ばして命令しても、もはや兵士たちは動こうとしなかった。
ここで終わりなのか――がくりと膝をつき、ランディは空を仰ぐ。地平線から太陽の光が漏れ始め、ゆっくりと空を赤く染めていく。まるでそれはランディを断罪するかのような、紅色だった。遠くからは、新たな兵士たちの靴音が近づいてきていた。
「はは、あは、あははははは……!!」
やがてずらりと兵士に取り囲まれても、ランディは微動だにしなかった。ただ空を見上げて、わらっていた。王宮付き魔法使いの真紅のローブをはためかせ、何人もの魔法使いたちがランディを取り囲んでも、その人垣の中から金色の髪をした壮年の男が現れても、彼は笑い続けた。
「――ランディエルト・ローティス」
いけません、王。その男は危険です。近づいてはなりません。そんな声を振り切って、金髪の男はランディのそばまで来て、名を呼んだ。その声にランディは初めて笑うのをやめ、虚空を見つめる瞳に生気を宿す。
「泣いているのか、そなた」
「我が君エルラン……」
不安げな瞳で王を見つめるランディは、先ほどまでまとっていた覇気を全てなくし、げっそりと老け込んだかのように見えた。まるで、母を亡くした幼子のように、その瞳はうるんで揺れている。我が君、と何度も呼ぶランディに、王はそっとマントを着せかけてやった。
「帰るぞ、《《王宮に》》」
「ですが、私は――」
「俺直々に迎えに来てやったんだ、帰らないとか許さんぞ」
早く立て、と手を引っ張る王の手をランディは断腸の思いで振り払った。このひとはやさしすぎるのだ。自分は彼のやさしさにつけこみ、そのことは後悔しないつもりだった。それなのに、いまさらながらに王を謀ったことをひどく後悔した。
「私はっ、あなたを謀ったのです!! 自分の願いの為に……っ!!」
「ああ、知ってる。知っててお前を行かせたからな」
「それならなぜ、ここで温情をかける!! あなたを裏切るのを知っていて泳がせていたなら、なぜ捕まえない!!」
悲鳴にも似た叫び声を、目の前の王にたたきつける。この時のために、ランディは入念に準備を進めてきた。そのすべてを知ったうえで行かせたのであれば、ここで自分は捕まえられるべきだと、ランディは思った。その覚悟を以てこの作戦を決行したのだ。成功しても失敗しても、どちらにせよ捕まえられることはわかっていた。王に見放され、捕縛され、牢に入れられる。それでようやく、この妄執じみた復讐のすべてに終止符が打たれる――そう思っていたのに。
「たしかに、お前は偽りの情報を上奏し、私利私欲で兵を動かした。それは決して許されることではないし、罪は償ってもらう」
「だったら……!!」
「だが、俺にはお前が必要だ、ランディ。もう二度と俺を裏切らないと誓え。そうして、一生俺に仕えろ。それがお前の贖罪だ」
なんと酷く、なんと優しい贖罪なのだろう、とランディは涙を流した。すべてを捨てる覚悟で王を裏切ったのに、捨てることは許されないといわれたのだ。一生、そばにいて償えと。魔法使いではなくなってもなお自分の二歩、三歩先を行くアルディティエにかなわないのが嫌で、王が彼を重用するのを見ていられなくて。彼を裏切らない復讐法もあったのに、あえてそれを選んだ。王宮を去ってなお、王の記憶に残るように。そんな自分に、一生自分のそばに居ろと王は言ったのだ。それほどうれしいことは無かった。
「――誓います。我が君エルラン。一生裏切らず、貴方のお傍にいることを」
「許す。その誓い、決して違わぬよう心せよ」
「はい、我が君」
深く深く首を垂れ宣誓をするランディに、王は目を細めて笑う。いつしか草原には朝日が降り注ぎ、大地も人も金色に染め上げられていた。その光はまるですべての終わりとはじまりを祝福するかのように柔らかで、希望に満ち溢れた色だった。




