血の誓い(2)
「――僕はまだ、あなたの事を認めない。四肢が動かなくなっても、魔力が尽き果てても、絶対に諦めない……!!」
「それでこそ、サーシャの子。その意思が続く限り、私はあなたを迎えうちましょう」
リリスとよく似た琥珀色の瞳にぎらぎらと闘志をみなぎらせ、そばに寄り添うエリシアとともに、セインは魔法を練り上げる。魔力が尽きかけているはずなのに、彼らの意志はまだ衰えない。攻撃の手を緩めないセインに、リリスは柔らかく微笑んだ。次期当主の印を持つ者は、血の誓いを行うものたちに全力で応えなければならない。それが、この印を背負ったものの義務なのだ。
それからいかほど魔法のぶつかり合いが続いただろうか。縛られた四肢を懸命に動かし、エリシアと手を取り合って戦いを続けるセインがふと、リリスへ問いかけた。
「ひとつききたい。あんたはなぜ、サーシャに戻ってきた」
「それだけが、この戦いを生きのびられる道で、妖魔捕縛の手からセレスを護れる手段だったからよ」
「……たったそれだけの覚悟で、一族の上に立とうと思ったのか」
「それだけ? 私にとって、それ以上の覚悟はないの。このひとと共に生きられるなら、なんだってするわ」
もう決してセレスを失いたくない。この人のそばで、生きていきたい。リリスの願いは、ただそれだけだった。彼と共に生きる未来をつかみとるために、この力を手に入れたのだ。それ以上の願いなど、何もあるはずがなかった。
「ならば問いましょう。セイン、なぜあなたは当主になりたいと思ったの?」
「僕は……!!」
「あなたの覚悟を、教えて」
「僕は……っ、みんなに認めてもらいたかった!! 魔法使いになれない姉さんより、ぼくのほうが次期当主にふさわしい、って!!」
それは、半ば悲鳴のように絞り出された言葉だった。どれだけ努力しても認めてもらえない、きしむ魂の叫び。なんで、どうして、ぼくはこれだけがんばっているのに――そんな言葉がこぼれてゆく。どうか、どうかぼくをみとめて。ぼくじしんをみて。それはリリス自身も感じたことのある感情だった。
「口先だけでは、みんな僕のほうが次期当主に向いてるって言う。でも、それは全部僕への憐みの言葉だ。誰も本当に当主になれるなんて、思ってやしない」
「セイン……そんなこと……っ!」
「エリシア、みんなそう思ってるよ。だから、僕は証明してみせるんだ! 僕にこそ、次期当主の資格があるんだって!!」
セインの言葉に反応して、ぶちり、ぶちりと戒めが一つずつちぎれてなくなっていく。最後に青い鎖が砕け散り、セインの体はあっという間に自由になった。対するエリシアは、戒めに縛られたままだ。魔力は尽き果て、息をするのもやっととばかりにあえぐ少女を一瞥すると、セインはその手をするりと放した。信じられない、と言わんばかりに目を見開くエリシアに、少年はごめんねとつぶやく。ぼくひとりでも、うちやぶってみせる。だから、エリシアはそこでみていて。そう言われた少女は黙ってうなずき、ほろりと涙を一つ落とした。
揺るがぬ意志をみなぎらせ、その手で籠をも打ち破ろうとするセインの気迫に、リリスは少しばかり目を見張る。だが戒めは打ち破れても、籠はびくりともしなかった。それどころか、少しでも触れれば青い光が跳ねて強い拒絶が起こり、セインの体を傷つける。リリスに負けるとも劣らない、セインの強い意志。だが意志の強さに差はなくとも、リリスとセインには決定的な違いがあった。
「この籠にあなたは傷一つつけられない。決して、打ち破ることはできない」
「なぜだ!」
「戒めは己との戦い。己に打ち勝つことができれば、破れるわ。けれど、籠は違う」
「なんだと……?!」
「この籠は、私とセレスの意志が編み上げたもの。二人の意志を破るには、一人分では足りない。あなたはどうして、ここまでひとりできてしまったの?」
その言葉に、セインがはじかれるようにして後ろを振り返る。彼の相手の少女はすでに力を使い果たし、くたりと地に横たわっていた。少女の名を呼び駆け寄るセインに、リリスは大丈夫、気を失っているだけだからと声をかける。少年に抱き上げられ、しばらくして意識を取り戻したらしい少女は、セインに向かってごめんなさいと涙をこぼした。
「足手まといになって……ごめんなさい、セイン。あなたを、次期当主にしてあげるって約束したのに、守ってあげられなかった……」
「エリシア、ぼくが悪かったんだ。最後の最後で君を信じてあげられなかった。ごめん、ごめんね……!!」
ほろほろと泣く少女の手を取り、セインは何度も首を振った。君は悪くない、僕の所為だよ、と繰り返し、エリシアの涙をぬぐう。二人の瞳に、もはや戦いの意思はなかった。
「姉さん、僕の負けです。掟に従い、僕はあなたを次期当主として認めましょう」
「セイン……、そん、な……っ、だめよ……!!」
「エリシア、君の手を一度でも離してしまった僕に、当主の資格はない。だから、もういいんだ」
負けを認めたセインを止めるエリシアの声に、少年はひどく後悔する目をしながら言葉を零す。もういいんだ、僕の負けだよ。そう力なくつぶやくセインに、リリスは儀式の終わりをつげる。砂が零れ落ちるように消えていく籠は、やがて光の粒となって消えた。
「セイン。あなたの意志は強かったわ。私と同じか、それくらい」
「姉さん……」
「エリシアと二人でなら、もっともっと強くなれるわ。必ずよ」
リリスは二人へと歩み寄り、そっとひざまずく。うつむくセインの肩にそっと手を置くと、後ろを振り返った。そばにつくセレスは少女の意思を正確に読み取り、癒しの言葉を紡ぐ。暖かくやわらかな微風が四人を包み、儀式で疲れ切った体を静かに回復させていく。
「――リリス、夜が明ける」
「ええ、そうね」
地平線の下から、まばゆくきらめく太陽が顔をのぞかせている。はるか彼方から流れてくる風が、戦いの終わりを告げる新たな喧騒の音を運んできていた。