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天青の魔法使い  作者: さかな
第六章 紅き饗宴は藍天の下で踊る
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呼応

「う、そ……」


 ふわり、と舞い上がったのは、淡い光を放つ燐光。どうして、とつぶやいた声は、自分でもわかるほどに震えていた。二人のまわりから空へと立ち上る青白い光は、ひとつ、またひとつと増えていく。


 はじめは目が幻覚を起こしたのかと思った。だがどんどん増えていく無数の小さな光に、それが現実のものなのだということを知る。地面のそこかしこから舞い上がる光が生まれる場所は、徐々に曲線を描く光の筋となった。やがて左右にそれぞれ花開いたのは、淡い光を放つふたつの紋章。ひとつは凛とした紅い六の花弁を開く花、もうひとつはセレスの背にあるものとよく似た双翼。ふたつの紋章は形が定まるとゆっくりと近づきはじめ、そっと融け合うようにして合わさっていく。そうして完全にふたつが融合すると、光の乱舞はさらに激しさを増した。


 ひとつになった紋章は二人を取り囲むようにかたどられ、まるで生きているかのように明滅を繰り返す。まだ目の前で起こっていることが信じられず、見ているだけしかできなかったリリスは、次の瞬間ゆっくりと目の前に浮かび上がった紋章に目を奪われた。


 左右に大きく翼を広げる青の双翼。それが護るようにそっと包みこむのは、中央に咲く大きな百合の花。中央に凛然と咲く花は、一ヶ月前までリリスの胸に咲いていた戒めの紋章だ。


 だが何よりもおどろいたのは、目に飛び込んできたその色だった。双翼に護られて咲きほこる百合は、いまや翼と同じ空の色に染め上げられている。何よりも大好きな――嵐の後の空のいろ。リリスはそれを見て、形容し難い思いに胸を突き動かされた。


 正の感情と負の感情がないまぜになって、心をかき乱していく。今まで自分を縛る楔となっていた紅き戒めの花に、ようやく初めて解き放たれたのだと思った。それどころか、胸からなくなってもなおリリスを縛り付けていたものは色を変えてリリスの元に戻ってきた。もう自分の居場所を探して苦しむことはないのだと、自分の居場所はここにあるのだと、いわれた気がした。


 今まで自分をがんじがらめにしていた楔の花が、これからは大切な人と自分をつなぐ絆の証となる。リリスにとっては何よりも大きな変化になり得るそのことを、素直にうれしいと思った。そうして目の前で明滅を繰り返す紋章に気を取られていたリリスは、次に耳がとらえた声にただ大きく目を見開く。見下ろせば、そこにあったのは自分を優しく見つめる二つの天の青。信じられないと言うようにゆるゆると首を振ったリリスは、ただぼろぼろと瞳から涙をあふれさせた。


「決してやまぬ雨などない。別離に大地エルディアが涙を流すなら、セレスは自ら雲を吹き晴らす。そうしてセレスは愛しき大地エルディアに逢いに行く。咲き誇る百合リリスティルヴィアは永遠に愛す。たとえその花の命尽きようとも、ティルヴィアは愛しきその香を身に刻み、幾多の時を駆け巡る」


 耳朶に響いた低めの優しい声音は、何よりもリリスが待ち望んだもの。何より告げられた言葉は予期せぬもので、セレスが生きていた喜びと相成ってリリスの感情の波を大きくさせた。


「ど……して……響応の……っ」


 先ほどセレスが返した言葉は、『響応きょうおうことば』――結ばれた絆をさらに強める、特別な言葉だ。


 ふつう、魔法使いの契約は真名とその意味を明かされた相手が自分の真名とその意味を組み込んだ契約の言葉を告げ、契約成立となる。先に真名と意味を告げたのはセレス、それに応えたのはリリス。ふつうならそれで契約完了であるのに、セレスはリリスの答に対してさらに応えた。それは契約の言葉をさらに強くする返答への返答であり、魂護たままもりの詞とも呼ばれる、強力な絆繋ぎの契約だ。共に響き合う魂を護る――そんな願いが込められた詞は互いがどんなところにいたとしても片割れを感じ、護る力を授けてくれる。魂の奥深くまで繋げる絆は互いが死してなお二人を結びつけるという。それを愛しき者から与えられる以上の幸せが、いったいどこにあるだろう。


 感情に翻弄されてうまく言葉が継げないリリスに、セレスは淡く微笑んで答えた。


「――うれしかった、おまえがくれた言葉」


 その言葉に、さらにリリスは涙をあふれさせた。ああ、どうしてこの人は、自分が欲しかった言葉ばかりくれるのだろう。どうしても止まらなくなってしまった涙を受けとめてくれたのは、傷だらけの大きな手だ。にじむ視界の真ん中で、もう二度と開かれることはないと思っていた天青の瞳が、限りなく優しい色をたたえて揺れていた。


「も……二度、と……目覚めな……のかと、思……た……っ」

「おまえの声が聞こえたから、この世界に戻ってくることができた。おまえが、俺の命をつなぎ止めてくれたんだ」

「わたし、が……?」

「ああ。おまえの言葉だ。俺の命が消える前に、魂の絆をつないでくれたからな」


 セレスはそういいながらそっと身を起こすと、空いている手でリリスの体を引き寄せた。あれほど派手に血を流していた深手の傷は、流れ込むリリスの魔力によってだいぶ癒えたらしく、あらかた傷口はふさがっている。あっという間にセレスの胸の中へ抱き込まれたリリスは、確かなその温もりを感じるために身をさらに寄せた。


 ぼう、と目の前で光る紋章がさらにひときわ明るい光を放つ。波打つ青い光に包まれた二人は、ひとつの影となる。


「――ありがとう、リリス。もう二度とお前を離したりはしない。ずっと傍にいて、いつまでもお前を護る」

「セレス……」

「さぁ、最後の言葉を一緒に言ってくれ。俺とお前の絆をつなぐ、結びの言葉を」


 耳元でささやかれた言葉に頷いて、リリスは大きく息を吸った。打ち合わせたわけでもあらかじめ知らされていたわけでもないのに、なぜだか言うべきことははっきりわかる。まるで心の中へ勝手に流れ込んできた言葉をなぞるように、頭に浮かんだ言葉を口にした。


『響き合いし魂は深き奥底でつながり、解けぬ絆を結ぶ。共に護りし命尽き果てても、決して互いのそばを離れぬことを誓う。この言葉をもって、ここに契約の完了を宣言する』


 重なった二人の声へ反応するように、光が鼓動を打つ。言葉の終わりと共に視界を満たした光は、すぐに急速に収束を始めた。りぃん、と何度も鳴り響く涼やかな音に導かれるように小さくなった紋章は二つに分かれ、リリスの胸元とセレスの左手の甲へと吸い込まれる。そうしてもう一度最後に光を放った紋章は、吸い込まれた場所へその形を刻んだ。


「魔法使いの……証……」


 まだ夢見心地のリリスがそっとつぶやいた言葉に、セレスのリリスを抱く腕の力が強められる。まるで、これが嘘ではないのだということを知らせるように。確かな現実なのだと、確かめるように。


「――もう、絶対離さない。すべてのものから、お前を護る」


 腕に込められた力と低くつぶやかれた声に、リリスははっと顔を上げる。晴れた視界の先に現れたのは、傍らにたたずむ人によく似た影。底知れぬ怒りを隠すことなく近づいてくる影から護るようにして立つセレスにリリスは、戦いはこれからなのだと悟ったのだった。


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