新たな味方
「……やはりファミリーネームを名乗らなくても分かる人には分かってしまうのですね。私はそんなに似ていますか?」
名前を言い当てられた瞬間、リリスは全てを見透かされていると悟った。それはある程度覚悟していたことで、さして驚きもしない。王宮のお偉いさんだということだったから、いつどこで自分を見ていてもおかしくない。その風格と洞察力から、リリスはこの目の前の人物がただ者でないことを感じていた。
少し息を吸い、自分を落ち着ける。そこで生まれたわずかな余裕は彼女のまとう雰囲気をがらりと変えた。あわてることなく落ち着き払って答えたリリスの態度は、傍らの二人を驚かせた。先ほどまで傍らの二人に補佐をしてもらわなければならないほど、ひどく頼りなく見えた少女の変貌。その姿に、アルはにやりと笑みを浮かべる。
「おう、似ているとも。その瞳の強さ――お嬢さんの親父にな」
「……伯父ではなく、父に、ですか……?」
「そうだ。それこそが当主たる資質を持つ証。ロイドそっくりの良い目をしている」
思っても見なかった返答に、リリスは目を丸くした。伯父に似ているとは言われても、父に似ているといわれたことは今まで一度だってなかった。目の色だって違う。だがこの男が言っているのは容姿のことではない。そのことだけは理解できた。
さきほどの口ぶりからすると、リリスがどの妖魔に関して何の問題を持ち込んだのかもおおよそ理解したうえで、話を聞かせろといっているのだろう。裏で何かしらの情報網を持っているのか、ただの推測か。もしこの状況だけで自分の状況を正しく理解したのなら、観察眼が鋭い、などという生ぬるい話ではない。なんとなく、シャンディが『危険な賭けだ』といっていた意味が分かったような気がした。
「話を聞いてくれるといいましたよね、アル……さん。では、単刀直入に言います。私にセレス――“青の妖魔”の弟のほうを護る方法を教えてください」
「……ふぅむ。また、無理難題を持ち込んできたな。しかも、助けてください、ではなく護る方法を教えてください、ときたもんだ。こりゃおもしれぇ」
面白がるように大笑いするアルに対し、リリスが少しばかりむっとした表情になった。だがそんなことはお構いなしに、アルは言葉を続ける。
「お前にできることなんざ、ほとんど何もねぇってことは分かってんだろ。なのになんで方法だけを問うんだ? 助けてくださいーって泣きつきゃ楽だし、確実だろうが。 俺は自己紹介でも言ったろ、王宮のお偉いさんだぜ?」
「それじゃだめなの。今回取り止めになってもまた何処か別の機会にまた同じようなことが起きる。だから今、私は自分の力であの人を助ける。 そうじゃなきゃ、意味がないの」
「意味? ンなモン、万が一奴が死んじまったらなんも意味ねぇんだぞ。それでもいいのか?」
どんどん彼の表情は厳しく、険しいものになっていく。それでもリリスは決して引きさがらなかった。あの人を助けたい、あの人を救いたい――そう強く願うから。初めて自分の命をかけてさえ、護りたいと思えた人だから。そのためなら、自分にできることはどんなことでもしてみせる。そう決めた。リリスは強い意志を秘めた瞳でアルを見返し、決意の固い声で言い放つ。半ば、自分に言い聞かせるように。
「絶対に死なせない。そのために私はここへきたのよ。でも、それは貴方の知恵を借りるためであって、力を借りに来たのではないわ」
「生意気な口を利きやがる。自分がどれほど無力なのか分かっていってんのか」
「そんなこと、嫌というほどわかっているわ。でも、私が助けたいの。私がやらなきゃだめなの」
「その思い上がった考えはいったいどこから出てきやがるんだ。え? 身の程知らずのお嬢ちゃんよぉ」
リリスへと注がれる、見下すような視線。それでもかまわなかった。あの人を救う手立てを見つけることができるなら。人と妖魔の間で苦しむ彼を、その苦しみから連れ出してあげられるなら、なりふり構わず方法を探す。彼を救う――そう決めたときに覚悟した。
「思い上がっているってことも、身の程をわきまえてないってことも、これが私の我侭だってことも、とんでもない無理を言っているってことも、 全部分かっているわ。でも、私はあの人に心を開いて欲しいの。もう苦しまないで欲しいの。だからもし、私が彼を救えるのなら、彼の力になれるなら――」
「……たとえお前が死ぬかもしれなくても、か?」
心の中を全て見透かしたような質問に、声を出さずただ深く頷く。その言葉に傍らの二人は息をのんだ。リリスが浮かべた決意の表情は、どれだけ非難されても揺らがない。それがリリスの決意を全て物語っていた。
アルはその返答にしばし沈黙していた。リリスの決意の程を吟味するようにじっと見つめ、その視線を彼女は真正面から受け止める。無言の問答がいったいどれほど続いただろうか。やがて目をそらして首を振り、破顔したのはアルのほうだった。
「合格だ、リリス。助けてください、って泣きついてくるようならお帰りください、ってたたき出すつもりだったけどよ、お前はそうしなかった。 だから俺の力が及ぶ限り、全力で力になってやる」
ずいっ、といきなり目の前に出された大きな手に、リリスはしばしの間固まった。目の前の男の笑顔に今までの緊張が解け、力が抜ける。思考停止した頭をたたき起こし、ようやく握手すればいいのだと思いついたとき、かたわらの友人二人の顔はとっくに呆れ顔へ変わっていた。
「リリス、握手だよ握手」
「馬鹿シャンディ……やっぱり気に入られちゃったじゃないのよ……」
ほら早く、と突っつくシャンディと、恨めしげにシャンディをにらむネリエ。ふたりのささやきに戸惑いつつ、リリスはアルの差し出した手に自分に手を重ねる。握るまもなくがしっと握りかえされ、少し痛くて顔をしかめる。だがそんなリリスにはお構いなしにアルは手をぶんぶん振り、しっかりと握手を交わした。そうしていささか長めの握手を交わしたあと、アルの手は傍ら二人の頭へと伸ばされる。いったい何をするのかとリリスが息をのむ中、大きな笑い声が部屋に響く。
「うわわ、わわ……っ、やめてください、アル!」
「ちょっとなにすんのよ、やめなさいってばっ!!」
わしゃわしゃとかぐしゃぐしゃ、という擬音が聞こえそうなくらいに勢いよく頭を撫で回され――いや、引っかき回された二人は悲鳴を上げた。困った顔をするシャンディと本気で怒るネリエに、リリスは思わす苦笑してしまう。
「てめぇら、でかした! へパティカに呼び出されたはいいけどもう退屈しっぱなしでよぉ。久々に“白蟷螂の魔法使い”の腕が鳴るってモンだぜ……!」
豪快に笑うアルの手を必死でどけながら怒るネリエと成すがままにされるシャンディを見ながら、リリスはゆるゆると目を閉じる。
(待っていて、セレス。必ず、貴方を助けに行くから)
窓のカーテンからかすかにのぞく夜闇に向けてつぶやかれた言葉は、誰に聞かれることなくゆっくりと溶けて消えていった。