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Eg  作者: N.river
10/34

第1部 10

 腕の中でパーリィは、棒のように身を固めていた。固まり切れなかった頬だけをむにゅ、と潰して、タコのように唇を尖らせる。

 かまわず揺さぶる男はとても興奮しているようで、「ようし捕まえた、ぼくの小さなレディ」と唱えたあと、割れるような大声を上げて笑った。

 パーリィはその声を、くっつけた男の胸からびりびり聴く。そのたび少し毛羽立ったスーツにちくちく頬を刺され、まとう煙たげな匂いをたくさん吸いこんだ。やがてそれがパパの匂いなんだと気づいたなら、そんな匂いにもびりびり響く大きな声にもパーリィの頭はぼうっとしてきて、棒のようだった体へ力も次第に入らなくなってゆく。

 そっか、パパの家の子供になるんだ。

 ぼんやりする頭で考えていた。

 そんなパーリィを引き離してパパは「本当にかまわないかな」と、確かめる。思いがけずその顔は心配げで、そこに返してはいけない返事があることをパーリィは感じ取って目を見張った。とたんぼうっとしていた頭は冴えだして、パパ、そんな顔をしないで、と思う。

 何しろこんなに優しくてこんなに心地いいパパなのだ。パーリィだってパパが欲しいに決まっていた。手に入れるためならうんと良い子になるし、いやこんなパパならうんと良い子になれそうで仕方なかった。むしろパパにこんな顔をさせる子供こそ悪い子で、だからパーリィはアゴを大きく縦に振る。うん、と答えてうなずき返した。

 見て取ったパパの目は、たちまち元通りとたわんでゆく。ご褒美とばかりまたぎゅう、とパーリィを抱きしめて「ようし」と立ち上がるついでのように抱え上げた。勢いにパーリィは「うわぁ」と口を開き「けっこう重いな」とまたパパは笑ってそのままパーリィを自分の首根っこへまたがらせる。パーリィが手足を縮めてうまくゆかなかったなら「掴まってごらん」と優しく自分の頭へパーリィを促した。

 言われるままパーリィは、おっかなびっくりしがみつく。パパの手はそんなパーリィの両足を握り絞め「大丈夫かな」と声をかけてからだ。互いは真っ白と晴れ上がる窓へ向かった。

 眩しかった窓はもう光を失い、むしろ陰って向こうにずいぶん小さくなった街を広げている。その中でバスはパーリィの親指ほどにも縮むと、車もまたゴマ粒と糸みたいな道路の中を走っていた。囲う屋根はどれもクルミの実のようで、パーリィよりも大きな大人はいくらもいるのに、もう一人も見えなくなる。ないままに、ずっとずっとだ。ずっと白くかすむところまで街は続いていた。

 それもこれもパパの肩から見るせいだろうか。思ってパーリィはパパの髪が乱れるのも忘れて窓へ身をのり出す。

 パパはそんなパーリィへ、やがて静かに話し始めていた。

「よくお聞き、可愛いパー」

 それはパパの独り言でもあるようで、でなかった証拠にそれからパーリィが会う全ての人から聞かされる言葉となる。

「この世にはやってはいけないことが、本当にたくさんあるんだよ。そのワケは、どれもみんながやりたいと思っているからで、誰もがやり始めると手がつけられないことになってしまうから、どれもやってはいけないことにされてしまったんだね。わかるかい。なんて煩わしい決め事だろう。なくなってしまえばどれほどみんなが心穏やかに暮らせるだろう。だからパー。そんなもの、ひとつずつ失くしてゆこう。一緒に失くしてみんなを一度に幸せにしてあげよう。お前ならできるはずだよ。やり遂げて、どうかわたしを心から喜ばせておくれ。わたしの可愛いパー。愛するこの世にたった一人のパー」

 パパの話は、まだそのときパーリィには理解できず、パパもそれきり黙り込んだ。ままに、いくら見ても見飽きない街をパーリィはパパの肩で、パパはパーリィの足を掴んで、じいっと互いに眺め続ける。

 街がこんなに大きいなんて知らなかった。

 そんな街をこうしてパパと見下ろせるなんて、パーリィには誰より誇らしく思えてならなかった。

 そのあとパーリィは窓際のソファへパパと並んで腰かける。

 パパはパーリィに、これはパーがパパの娘になった印だよと早速、茶色いくまのぬいぐるみをプレゼントしてくれていた。くまは最初からにっこり笑ってパーリィを見つめ、パーリィは抱えるように受け取ってその首へ自分の腕をくいこませている。匂いをかいでヒザに乗せ、パパが取り寄せてくれたクリームソーダへ銀のスプーンを突き立てた。

 そんなパーリィの頭をパパはひどくていねいにゆっくりと、パーリィがどれほどクリームソーダに夢中になろうと撫で続けてくれている。感じ取りながらアイスクリームを口へ運ぶたび、前のパパは忘れてしまったけれど今度は絶対に忘れないんだと、いや忘れちゃだめなんだとパーリィは考えた。アイスクリームを口へ運ぶたび、絶対に忘れちゃだめなんだと念じ続けた。

 念じるままにもう十年余が経とうとしている。

 結局のところパパに会えたのは最初だけで、代わりにシクラメンはパーリィの元へやって来ていた。

 何しろパパはとっても忙しい。パーリィはそのことをよく知っている。そしてパパだって、そのことを辛く思っていることもまただった。

 だからパパは罪滅ぼしと、それからもずっとパーリィへプレゼントを贈り続けてくれている。たとえばこうして頬張るオムレツも、座る椅子にくつろぐリビングの家具も、いやパーリィが触れて口にし、腰を降ろして立つ周り全てが、詰め込んだこの部屋こそが、パパからのプレゼントで間違いなかった。

 くるまり過ごせば、こんなにも思われているんだとパーリィの胸は一杯になる。パーリィを探しにさえ来ない前の家族なんかと違ってパパは、こうしてかたときも忘れずいてくれるんだと確かめることができた。

 だのにまだわがままを言うなんて頭の悪い、できそこないの娘のすることだろう。でないなら伝えても伝えきれない感謝の気持ちを表すべくパーリィは、パパの願いをいつだってかなえてあげるいい子になりたいと思う。

 だからパーリィは「やってはいけないこと」に励んだ。どれだけ大変だろうとパパが喜んでくれるのなら、力も湧いてやり遂げるだけの勇気と決断力を持つことが出来た。失敗するなんて、ありっこなかった。

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