epilogue~with KAYA
§
夢というものは、果てがない。
血の濃さゆえに望むべくもないと思っていた、いちばん大切に思うひとの隣のポジション。
思いもかけずそれを手に入れた時、もうそれ以上は望むまいと、心に決めたはずだった。
ふたり、一緒に居られるだけで、幸せだと。
……でも。
叶うことならば横に居るひとの子が欲しい、と。
何時の頃からか思うように、なってしまった。
そしてそれは、相手も同じだった、らしい。
二重の従兄妹である事のリスクは高い。けれど。
あくまでそれは確率の上の事。誰にだってリスクはある。
そんな事を何となく、お互いに口にするようになった頃……おなかの中に新しい命が宿った事を、知った。
何度かの検査を経て妊娠が確定的になり、保健所で母子手帳の交付を受けた後。
報告のために、美矢が宮江島へ向かう事になった。
私も行きたかったけれど、体調が安定しない時期なので長距離の移動は厳禁だとお医者様に止められて、諦めざるを得なかった。
「いざ出陣、だ」
ゆんと子どもを護るために戦いに行くんだもんな、と。
出掛けにそう言って、笑った美矢に
「横に居なくても私、ここで護っているから、美矢の事」
真面目な顔で、応えた。
「頼むな、俺の斎姫」
玄関先で見送る私の唇に、軽く唇を触れて。
美矢は『出陣』していった。
本家の次期総領の座を降りるというのは、思っていた以上に大変な事だった。
美矢は生まれた時から本家の総領息子として、親戚うちでも常に特別扱いされてきた。
何しろ一族どころかほぼ島の行事に等しい規模で、元服式なんてものまでやってもらう程だ。本家の長男、将来の総領のポジションは、それ程に重い。
それを自分の勝手で降りるというのだから、親戚中の非難を浴びるのは止むを得ない事だった。
お互いの両親と、それぞれの祖父母は、それでも子ども可愛さ孫可愛さのためか折れてくれたけれど。
一族に示しがつかないからと、表向き私達は本家の祖父から義絶された事になっている。
出入り禁止にまではならなかったが、今後、一族とか分家としての扱いは一切しない、という事になった。
次期総領は義父――私の伯父でもある美矢の父と養子縁組した、弟の美道に決まった。
今年の春先に、美矢や私の同級生の亜希と結婚した美道には、まだ子どもはいない。
そこへ、跡取りの事がネックで総領を下りたはずの美矢に先に子どもが出来たとなると、色々と厄介な事になりかねない。
元々、将来的に子どもは持たない、という方針で祖父母始め親戚の皆に総領を美道と代わる事を納得してもらった、という経緯もあった。だから。
親達や祖父母にこの事を報告した上で、後々揉める事にならないように親類一同にもきちんと説明して理解を得るため、美矢は単身出掛けていった。
横に居られない事が、ひどくもどかしい。
予定通りの新幹線に乗った事を報告するメールの最後に
『少なくとも討死とかって事は絶対ないんだから、変に心配するなよ』
って、おどけた事を書き送ってきたけれど。
多分、総領を降りた時以上に、美矢は親戚筋からあれこれ言われるだろう。
そう思うと気になって、その夜はなかなか寝付かれなかった。
次の日は、私に変な心配をさせまいとしてか、美矢は一切メールを寄越さなかった。
日が暮れる頃に、実家の母から電話をもらった。
おめでとう、の言葉の後、私の体調を心配して、里帰りは無理だろうけれど大変そうなら手伝いに行くから、と言ってくれた後で
『美矢君、さっき帰ったけれど……今日、かなり頑張ったのよ』
親族を前にしての話し合いの事を、口にした。
私を気遣ってか、母はあまり多くは語らなかったけれど、やっぱり色々と厳しい事を言われたらしいというのは言葉の端々に滲み出るもので判った。
美矢は腹を立てるでもなく、卑屈になるでもなく、でも、一歩も引く事もなかったと。
まかり間違えば美矢がキレて大騒ぎになってもおかしくないような状況だった、らしい。
『でも、やっぱり本家のおじいちゃまにちいさい頃から総領息子として鍛えられただけの事はあるわね、美矢君って。姉さんは何かにつけてこき下ろすけれど、私は芯がしっかりしていて強いと思う』
そう言った後で。
あれなら弓佳を任せても何の心配もない、って父が話していたと、ちいさく笑いながら母は教えてくれた。
その夜遅くに帰宅した美矢の顔を見るなり、玄関先で思わず、抱きついていた。
「ゆん?」
「美矢、ごめん、ありが、と……」
言葉が、嗚咽で途切れる。
「どうした?」
「お母さんから電話で……大変、だったって」
「いや、覚悟していた程キツい事言われなかったから」
けろりとした調子で言いながら……荷物を床に落とした両手で、背中をぎゅっと抱き返してくるのが、判った。
「親父や次郎叔父さん……じゃない宮前のお義父さんも色々フォローしてくれたし、美道や亜希はちゃんと解ってくれたし、じいさんは……まあ、殴られなかっただけ、マシか」
「やっぱり……怒られた、の?」
「半分は親戚の手前のポーズだろうけど、半分はあれ、マジだろうな」
そう言うのに、また涙が出て来る。
「ごめん……私、おじいちゃんには、一緒に怒られ……たかった、のに」
「そんなに泣くなって。大体、じいさんが怒ってるのって俺にだけなんだから」
「だって、今度の事は美矢だけのせいじゃ……」
「違う違う、俺と一緒になったばっかりにゆんまで何かにつけて親戚うちで肩身の狭い思いをさせられているっていうのが腹立つって言うんだよ、じいさんは」
相変わらずえこひいきが激しいんだからな、と。
呟くようにそう言った美矢が、涙でぐしょぐしょの私の両頬を掌で包む。
「……何か、強くなったね、美矢」
昔とは逆だ。
子どもの頃はどちらかと言うと、美矢の方が弱くて、苛められてはよく泣いて。
それを私が庇ったり蹴散らしたり、時には手を出してしまって親や先生に怒られたり、だったのに。
「そりゃ、強くもなるよ」
美矢が、ふっと笑う。
「俺には最強の護り神がついているんだから、な」
目を細めて、私も微笑みを返して。
落ちてきた優しいキスを、受け止めた――。
§
おなかの子が女の子だと判った時は、ほっとした。
美道や亜希には、男の子が生まれても後々宮江に関わらせる気はないとはっきり言っておいたし、ふたりともそんな風に堅苦しく考えなくてもいいからって言ってくれてはいたけれど。
出産予定日は七月の終わり。
産んだらしばらくは外食もままならないし、それより少し前の私の誕生日にはどこかで美味しいものでも食べようか……と、美矢と話していた。
けれど。
誕生日の前の日の朝、起きがけにおなかが絞られるような痛みに襲われた。
それでもまだその時は、陣痛キター!なんて言っている余裕があったけれど……だんだんそれどころじゃなくなり。
病院に行って、次第に間隔が狭くなりしまいにほぼ間断なく襲って来るようになった陣痛と丸一昼夜闘って――そして。
二十七歳の誕生日がもうすぐ終わろうとする深夜。
私と美矢の子の産声が、分娩室に響いた。
丸々として、生まれたてにしては目鼻立ちの整った、女の子だった。
女の子だから、名付けはゆんの意思を優先する、と、前々から美矢が言っていた。
実際に生まれてから考えるつもりでいたけれど……生まれたばかりの娘の顔を見た時から、私の心の中にはこれだと思う名前があった。
「夏夜、っていうの、どう?」
昼休みに職場を抜け出して病院に見舞いに来てくれた美矢に、そう切り出す。
「かや?どんな字?」
「夏の夜」
一瞬目を丸くした美矢は、やがてほうっ……と長い溜息を吐いた。
「何?何かまずい?」
「おまえなぁ……それ安直過ぎない?」
「え?そう?」
「昔、小学校であっただろ?自分の名前の由来を親に聞いて来いって宿題」
「ああ、そう言えば」
確かにあったわ、そんな宿題。
『美矢』も『弓佳』も、宮江の氏神を祀る神社から頂いてきたものだ。
だからどちらの親も、その由来までは知らなかった。
後に悲劇の伝説の総領と斎姫の名と同じと知って、私も美矢もそれぞれ動揺する程に驚いたけれど……流石にそこから取った訳ではないらしい。単なる偶然の一致だ。
そもそも伝説の彼等の名前までは、誰も知らない。私達も、門外不出の宮江家の総系図を見るまでは知らなかった。
美矢の場合、『美』の字は本家の男の子に必ずつけられる字だからというれっきとした理由があるけれど、『矢』の方は何故なのかやっぱり判らず。
クラスでひとりひとり発表する事になった時に、仕方がないのでふたりとも『氏神様につけてもらいました』と答えた……のはいいけれど、私はともかく美矢は誰かに
『長男だから太郎です、じゃないのかよ、タロー!』
すかさずツッコミを入れられて、周りから笑いが起こる中
『それは俺の名前じゃなくてあだ名だっ!』
相手に食って掛かってあわや授業中に大喧嘩、になる所だったのよね……。
美矢にとって、それは苦い思い出だったらしい。
「だからな、人に由来を話すのにあんまり安直な名前ってのもどうかと思うんだよな……夏の夜に生まれたから夏夜、なんて」
そう言うのに、緩く首を振って。
「違う違う、そんな意味じゃないって」
「え?違うのか?」
そんな、単純な意味じゃない。
二年前の、私の誕生日。
美矢と初めて結ばれた日。そして……太郎美矢と弓姫が五百年ぶりに巡り合い、積年の想いをようやく遂げた日。
あの日から、全てが動き出した。
運命を変えることが出来なかったふたりの想いを受けて、ふたりで運命を超えようと決めて、ここまで頑張って来た。
そして今、決してこの手に抱くことなど叶わないと思っていた美矢と私の子が――ここに居る。
私達の娘が同じこの日に生を享けたのは、全くの偶然、なんだろうけれど。
折角この日に生まれて来てくれたんだもの、あの忘れられない夏の夜の意を込めた名を付けたい、と。
……初めて娘の顔を見た瞬間に、その名が閃いた。
「二年前の、ね」
美矢がどう思うかはともかく、取りあえず思う所を説明しようと、そこまで言いかけると
「……そっちの意味か」
それだけで察したのか、美矢はやや真面目な顔になった。でも。
「じゃあ尚更ヤバいだろ」
「何で?」
「おまえ、今俺に言おうとした事をそのまんま、あの子が小学生になった時に説明出来るか?」
頭の中で、美矢に説明しようとした事を反芻して。
「……無理」
「だろ?」
「あーあ、いい名前だと思ったんだけどな。『かや』って何か響きが可愛いじゃない?」
残念だけど諦めて別の名前を考えるしかないか、と、ベッドサイドの脇机に置いた名付けの本を手に取ろうとした時。
「あ!」
美矢がぽん、と手を打った。
「それ、いける!字は変わるけど、『かや』ってそのまま使える!」
「え?本当?」
「うん、もうこれしかない!絶対これだ!仕事始まる前に届け出してくる!じゃ、また夜にな!」
余程自分の思い付きが気に入ったのか、満面に物凄く嬉しそうな笑みを浮かべて、美矢は病室を飛び出して行った。
「え、ちょっと何?どんな字なのっ、待って美矢!」
……引き留める間もなかった。
夜。
授乳のために私の病室に連れて来られた娘が、おなかいっぱいになって満足したのか、コットの中で御機嫌そうにふにふにとちいさな両手を動かしているのをふたりで眺めながら。
「……で、これ何て言ってこの子に説明するの?」
「……」
「誰だっけ?あんまり安直な名前ってのもどうかと思うって言ったの」
「安直じゃない!ちゃんと意味あるだろ?読みはゆんの希望通り『かや』だし」
「どこが安直じゃないのどこが!」
微妙に視線を泳がせている美矢の前に、母子手帳の、出生届受理済という役所の承認印がべったり押された名前のページを突きつけて。
「これ見たら名前の由来なんてわざわざ聞かなくても丸わかりでしょうが!」
そこには美矢の、辛うじて何とか読めるレベルの微妙な字で
『宮江 佳矢』
と記されていた。
「ついでにもうひとつ訊きたいんだけど」
「……何?」
「これ、読みようによっては『よしや』って読めるよ、ね?」
「……」
「まさか大事な娘の名前で、密かにお揃いラッキー!とか……狙ったって事ないよ、ねぇ?」
思いっ切り睨み付けると、美矢はきまり悪そうな笑いを浮かべながら、視線をあさっての方向に逸らした。
「よ~し~や~っ!」
「うぐっ……ぐ、ぐるじいっよせゆん!」
美矢の首根っこを掴まえて思いっ切り揺さぶりながら
――全く、馬鹿なお父さんでごめんね、佳矢。
横のコットで何も知らぬげにうとうとし始めたちいさな娘に、私は心の内で、初めてその名を呼びかけていた。
§
子どもの成長を追いかけていると、年月はあっという間に過ぎていく。
大きなランドセルで後ろにひっくり返りそうな危なっかしい後ろ姿を毎朝見送っていたのはついこの間のように思えるのに……気が付けば小学校生活も残りあと一年半を切っていた。
佳矢が生まれた次の年に、美道と亜希の間に男の子が生まれた。そして三年後にもうひとり、やはり男の子が。
跡取りの道筋がきちんとついた事で、宮江の親戚筋も態度が軟化して、それまで帰省を必要最低限に止めていた私達もお盆や年末年始に宮江に帰れるようになった。
ひとりっ子の佳矢は、ふたりの従弟と遊べるのが余程嬉しいのか、宮江に行くのをいつも楽しみにしている。ひとつ下の美希と、四つ離れた美斗と、会えば速攻で意気投合して三人でどこかへ出掛けて行く。
『お母さん、氏神様の男の子と女の子の話、知ってる?』
今年のお盆に帰省して、宮江から帰宅した後に、佳矢が言った。
『なあにそれ?』
『きいちゃんから聞いたの。あそこでかくれんぼする時に、縄を巻いたおっきな木の所でもういいかいって叫ぶと、男の子が言うと女の子が、女の子が言うと男の子が、木の上からまぁだだよって言う事があるんだって。上になんて誰もいないのに』
『ふうん』
『でね、この間きいちゃんととっちゃんとかくれんぼして、鬼やったの、そしたらね』
そこで佳矢は私の耳に手と口を寄せて。
きこえたの、もういいよ、って。
そう、囁いた。
もう随分前に、美道に教わった話。
御神木の所で鬼をやると、『まぁだだよ』とか『もういいよ』って、女の子の声がすると。
……今もまだ氏神様でかくれんぼしているのかしら、あのふたり。
前は太郎美矢……太郎君ばっかり鬼をやっていたみたいだけれど、今は弓姫と交代で?
そんな事を思って……笑いが口許に浮かぶ。
『なぁにお母さん?』
『え?ううん何でもない、佳矢、いいもの聞けて良かったね?』
『いいもの、なの?怖いものじゃない?何かの霊とか』
ちょっと不安そうな顔を向けてきた娘の頭を撫でて。
『大丈夫。それはね、氏神様と一緒に宮江を護っている子達だから』
いつかこの子に、話してやりたい。
遠い昔、共に宮江を護ろうとした総領と斎姫の、悲恋の伝説を。
そして。
いつかこの子に……話せるだろうか。
離れ離れになったふたりの魂が時を超えて再び巡り合い、ふたりで氏神様に戻って、今も多分、幸せでいる事を。
そうなるまでの、顛末を。
流石に顛末までは……無理、かな。
秋も深まり、そろそろ冬物のコートやセーターを出さなくちゃ、と思っていた、ある日。
亜希から電話をもらった。
『美希の元服式の事なんだけれど』
「元服式?うわぁ懐かしい!そっか、きいちゃん四年生だもんね。もう四年後なのよね」
……美矢の元服式で、巫女になって舞った事を、つい昨日の事のように思い出した。
そう言えば母に、元服式で巫女になる事を告げられたのは確か、四年生の秋だったかな、と思っていると。
『そうなのよ、この間初めての打ち合わせがあってね。で、当日の巫女さんを佳矢ちゃんにお願いしたいんだけど』
「……え?佳矢?何で?」
突然の亜希の言葉に、私は首を傾げた。
『やだゆんちゃんったら!何でも何もないでしょ?ウチは女の子いないんだし、従姉は佳矢ちゃんしかいないんだから、当然じゃないの』
「え、あ……そう言われれば」
『もう!自分だってタロー君がひとりっ子だったから従妹って事でやったんでしょ?忘れたの?』
電話口の向こうで、亜希が半ば呆れたように笑っているのが判る。
忘れた訳じゃない、忘れるはずもない。でも。
「でも、ウチは一応、本家からは義絶されている事になっているし……」
親戚の人達との付き合いこそほぼ普通に戻ったけれど、けじめはけじめだ。
総領息子の元服式という、一族の重要な儀式に、よりによって巫女なんて最も重要な役割で関わる訳にはいかないだろう。
それを口にすると
『ああそれ?皆も納得してるからおじい様が義絶解くって。この間の打ち合わせの席で話し合って決まったみたいよ?佳矢ちゃんを巫女さんにっていうのもそこで出た話だから』
からりとした口調で亜希が言った。
……いきなりの思いがけない話で、どう対応したらいいのかわからなくて。
「でも、でもね亜希、佳矢は宮江の子じゃないでしょ?巫女さんやるにも舞の練習とか出来ないし……」
取りあえずそう言いかけると、それを遮るように
『何言ってるのよ!最高の先生が傍に居るじゃないの!』
亜希がけらけらと笑った。
「え?誰?」
『もう!本気でボケてるのゆんちゃん!むしろ宮江の子を巫女さんにした方が困るんだってば』
「だって、何で」
『巫女舞を教えられるのなんて、前回の巫女さんだった貴女以外にいないでしょ?』
――あ。
『よっちゃんが大人になって結婚して、男の子が生まれて、その子が中二で元服する時に、その子のお姉さんか妹か、一番近い親戚の女の子がまた巫女さんになるでしょ?その時にはゆんちゃんが巫女舞をしっかり教えてあげるのよ?今の私みたいにね』
昔、私に巫女舞を教えてくれた前の巫女――叔母に言われた言葉が、鮮やかに蘇る。
それが、何年もかけて、自分も本職の巫女さんに教えを乞いながら一所懸命に私に舞を教えてくれた叔母への、最高の恩返しなのだと。
美矢の子の元服式どころか。
他ならぬ自分が美矢と結婚して、そのせいで美矢は総領を降りて、ふたりで宮江から義絶されて。
だから、そんな機会はもう絶対に巡って来ないと思って……忘れるともなく、忘れていた。
けれど。
「……まさか自分の娘に巫女舞を伝える事になるとは、想像もしなかったわ」
思い浮かんだ事をそのまま、ふっと呟くと。
『美道から聞いたわよ?ゆんちゃんたらえらく張り切って、それこそ巫女さんの話を聞いてすぐにお稽古始めたって言うじゃない?宮前のお義母さんも笑ってたよ?中学に入ってからでいいって言ったのにきかなかったって。道理で本番、上手かったわけよね。本職の巫女さん顔負けだったわよ、ゆんちゃんの巫女舞』
「……え、うん、まあ」
『だから十分、先生が務まるでしょ?誰もそこのところは心配してないから。夜にもう一度改めて、美道からタロー君に電話できちんと説明してお願いするけれど』
よろしくね、と。
亜希に言われて
「わかった。こちらこそ……よろしくお願いします」
何とも言えない厳かな気持ちで、私はそう、返していた。
巫女として舞ったのは、もう二十年以上前の事。
それっきり舞う事とは無縁な私にどれだけの事が出来るか、判らない。でも。
昔の『斎姫』からずっと続いている宮江の伝統を、次に引き継ぐ。
もう『宮江の斎姫』ではない私だけれど。
大切な役割を途切れさせずに次の代に伝える事が出来る。しかも、他の誰でもない、自分の娘に。
……その事が、嬉しい。
美道から連絡が入るだろうけれど、その前に一応……と、仕事中の美矢に亜希からの話を簡単にまとめたメールを入れておいた。
昼休みに返って来たレスには
『考えてみればゆんってまだ宮江の斎姫だよな。美道の姉なんだから』
とあって。
あ、そう言われてみればそうか、と、今更のように気が付いた。
その文章の、一行開けた後に。
『でも基本、ゆんは俺だけの斎姫だから、そこの所よろしく』
「……何言ってんのよ、美矢ってば」
くすっと笑いながら。
メール画面のその一文を、指先でちょん、と突いた。
午後、学校から帰って来た佳矢におやつを出しながら。
「あのね佳矢、大事なお話があるんだけれど」
そう切り出すと
「おやつ食べながら聞いていいの?」
すぐに食べたいんだけれど、という心の声を顔にありありと浮かべながら訊ねるのに、思わず笑えてしまった。
「ああ、うん、いいわよ?でも大事な話だから、ちゃんと聞いて、覚えておいてね?」
「うん、なあに?」
「きいちゃんの元服式で、佳矢が舞を舞うのよ」
「元服式?何それ?」
「宮江の本家の総領息子が数え十五歳になるお正月にね……」
=完=