後編
§
「もう!何やってんのよっちゃんたら!いつまでも戻って来ないから……」
戸口に現れたのは、段ボールを抱えた美矢の母の絹子だった。
「っと、もしかしてお邪魔だった?」
「馬鹿言うなよ!そんな訳……」
「ごめんなさい伯母さん!昔の友達の手紙整理してたら、何か昔話が弾んじゃって」
図星を指されてむきになって言い返しかけた美矢の言葉を遮るように、横から弓佳が申し訳なさそうに言った。
「ああ!そうよねえ、こういうのってつい読んじゃうのよね、わかるわかる!」
気を悪くしたふうでもなく笑って応えながら、絹子は段ボールをそこに下ろした。
「遅いから持ってきちゃったのよ。おじいちゃま達が帰ってくるまでに片付けるんでしょ?あとふたつは自分で持ってきてね?」
母の言葉に、美矢は驚いた。
「ええ!これで終わりじゃないのかよ?」
「高校出るまでの分のアルバム、箱ふたつ分あるのよ」
「げ!そんなもん要らない!」
アルバムは絹子がまめに整理していたもので、美矢は中学位まではよく観ていた覚えはあるが、ここ数年はあるという事すら忘れていた。
「大体、高校までなんて大抵ゆんと一緒に写ってるやつばかりだろ?ゆんのアルバムだけで十分だよ。後せいぜいちいさい頃の一冊か二冊だけあれば」
美矢と弓佳は幼稚園から中学までは持ち上がりの一クラスでずっと一緒、進学先の島外の高校でも何故か三年間同じクラスだった。
だから学校で撮った写真は大抵、どちらも写っているものが多かった。
と、弓佳がひどく顔をしかめて。
「あのねえ美矢、私それで随分いい迷惑だったのよ?女子だけで撮っている写真にもふざけてがんがん割り込みかけてきたでしょう?」
「そんな事、したっけ?」
「した!ああ、菜香ちんで思い出したわ、中二の運動会の写真!私と彼女の唯一のツーショットなのに、後ろで貴方があっかんべしてて台無し!何よあれ?」
「へ?」
美矢には全く覚えがなかった。
「それだけじゃない!何で私の七五三の写真にまで貴方が一緒に写ってんのよ!」
「ああ!あれ?」
それまでふたりのやり取りを面白そうに見ていた絹子が、会話に割って入って来た。
「三歳のお祝いでしょ?よっちゃんがゆんちゃんばっかり着物着て千歳飴持ってずるいって大泣きしてゴネたやつ!仕方ないからよそ行きの服を着せて一緒に撮ったのよね」
「三歳の頃の事なんか知るかよ!」
記憶にない迷惑行為を母にすっぱ抜かれて剥れた美矢は
「それならウチにある俺の七五三の写真は何なんだよ?よそ行きどころか着物着て髪盛ったゆんが一緒に写ってたぞ。あれじゃどっちが主役だか判らないし!そもそも女は五歳は関係ないだろが!」
そう言って弓佳を睨み付けた。
弓佳はぽかんとして
「え、嘘?私そんなの覚えてないよ?」
と。
「ああそれはね、ゆんちゃんがよっちゃんのお支度を見に来て、よっちゃんは着物着れていいねえ、可愛いねえって羨ましそうに言ってたのよ。そしたらおじいちゃまが、だったら弓佳も可愛い着物着るか、って」
「……え?」
くすくす笑いながらの絹子の言葉に、美矢と弓佳は同時に目を丸くして、絹子の顔を見た。
「わざわざどこかの家から子ども用の振袖借りて来て着せたのよ。頭も美容師さんに無理言ってすぐに結ってもらって。おじいちゃま、ゆんちゃんの事ものすごく可愛がっていたから」
「……じいさん……そこまでするか普通」
美矢は唖然として呟き、その横で弓佳は
「それ、七歳じゃなくて?ちいさい頃に何度か着物を着た覚えはあるからそのどれかかな?ホントに記憶ないんだけれど……大体、おじいちゃんってちいさい頃は何か怖そうだったって印象しか……」
信じられないというように、首を傾げた。
「ああ、見た目ちょっと厳しい感じだしあまりしゃべらないからね。でもゆんちゃんにはかなり甘かったのよ?女の子の初孫でしょ。可愛くて可愛くて、一緒に悪戯してもよっちゃんだけ怒ってゆんちゃんは怒らないって位」
伯母の言葉に
「あ、それなら覚えがある、色々と。何で私の事は怒らないのかな……って、美矢に悪くって」
弓佳は苦笑いを浮かべ、美矢ははぁ?という顔で
「じゃ何か?じいさんが俺にばっか厳しかったのって総領息子だからとかじゃなくて、単にゆんをえこひいきしてただけって事か?」
「そういう事。だからね」
絹子はふふ、と微笑んで
「今日、ふたりでおじいちゃまとおばあちゃまに正直な気持ちをきちんとお話しなさいね」
さり気なく重要な話をふたりに振った。
「私とお父さんも反対された口だから、絶対大丈夫!とまでは言えないけれど、少なくともゆんちゃんを頭ごなしに怒鳴るとかいう事はないから」
「俺だけ怒鳴られるって事かよ!」
母の言葉に、すかさず美矢が突っ込んだ。
すると。
「怒鳴られるだけで済むかしら」
「は?」
「この間の次郎さんじゃないけど……一発殴られる覚悟位はしておいた方がいいんじゃない?」
さらりと恐ろしい事を言う母に、美矢は震え上がった。
先日、弓佳との事を許す代わりに一発殴らせろと言った叔父に、手形が残る程のビンタを喰らった際の痛さは未だ記憶に新しい。
「何、それ……いや、総領やめますって言ったら殴られるかなって思ってはいたけど……そっちじゃなくて……?」
「ええ」
絹子が、わざとらしい程に重々しく頷く。
「そんな事じゃ殴らないわよ。お父さんも昔、同じような事言ったけれど殴られなかったもの。でもゆんちゃんの事はねえ」
「伯母さん……」
弓佳が、微妙に涙目になっている。
「何かそれじゃ私って、美矢にとって疫病神……」
「やだゆんちゃん!そんな事ないない!むしろ疫病神はよっちゃんでしょ、昔からゆんちゃんに散々世話やら手間やら迷惑かけまくって」
「母さんっ!」
「だからちょっとは痛い目みていいのよ、この馬鹿息子は」
「てっ!」
むっとしている息子にデコピンを喰らわせて
「まあ、頑張ってねよっちゃん。お父さんがおじいちゃまと対決した時はカッコよかったわよ?私、惚れ直したもの」
そう言いながら、絹子は座を立った。
「あのな……いい年して息子の前で堂々とノロケるなよ……」
「伯母さんってば……」
母の発言にげんなりする美矢の横で、弓佳が微妙に頬を染めていると。
「あ、そうそうゆんちゃん、ひとつお願いがあるんだけど」
「はい?」
「そのうちその呼び方、変えてね?」
「え?」
「やっぱりそこは、お母さん、でしょ」
「……っ!」
伯母に言われて、弓佳は今度こそ顔中を真っ赤にして、俯いた。
「母さん!気が早すぎ!」
「だって女の子に可愛い声でお母さんって言われてみたかったんだもの。オトコなんて母さんとかおふくろ~とか、ぶっとい声でつまんなくって」
だからよろしくねゆんちゃん、と。
楽しそうに笑いながら、絹子は部屋から出て行った。
「ったくもう!娘ドリームかよ!」
忌々し気に母が消えた方にそう言い捨てた美矢を
「あの……美矢」
消えそうな声で、弓佳が呼んだ。
「何?」
「……私が、護るから」
「へ?」
「おじいちゃんに殴られそうになったら……私、身体張ってでも、美矢の事、護るから」
「……」
「私、疫病神なんかじゃなくて……」
「斎姫だもんな、俺の」
半分泣きそうな顔で言う弓佳の言葉を、引き取って……抱き寄せて。
「美矢……?」
「……さっきの、続き」
そう言って、美矢は弓佳の唇にそっと、唇を重ねた。
さっきみたいに、ああ言えばこう言ってやり返してくる勝気さは前と変わらない、けれど。
ふたりで居る時に、俺が今まで知らなかった顔を、色々と見せてくれるようになった。
今みたいなひどく心細そうな顔とか、泣き顔とか。
時折ふと見せる、ぞくっとする程艶めかしい横顔とか。
……俺の腕の中で、甘やかな声を上げる時の、今にも融けてしまいそうな表情とか。
その全てが、愛しくて。
その全てを、護りたいと思う。
いつも護られているだけじゃなくて、俺もおまえをいつも、護りたい――と。
おまえが傍に居ればきっと、強くなれる。
おまえと一緒ならきっと、どんな運命でも超えていける。
だから。
俺が、総領じゃなくなっても。
ずっと、俺だけの斎姫でいてくれ――弓佳。
§
最後のふたつの段ボールを、ふたりで本家から運び込んだ後。
「思ったより早く片付いたから、その辺ちょっと歩いてくるか」
美矢が言うのに、弓佳も頷いた。
「この間帰って来た時も慌ただしかったもんね。久しぶりにあちこち見てみたいな」
「じゃ、取りあえず氏神様行くか?」
「戦勝祈願?」
「それ!ナイスだな!」
弓佳の言葉に、美矢がぽん、と手を打った。
「氏神様って言えば、知ってる?最近の都市伝説ってか島伝説。美道に聞いたんだけど」
「何?」
「氏神様でかくれんぼして遊ぶ時って、鬼は大抵、御神木の所にいるでしょ?」
「ああ、確かそうだったよな子どもの頃」
「それがね、御神木の所で『もういいかい』って言うと、ちいさな女の子の声で『まぁだだよ』とか『もういいよ』って聞こえる事があるって、噂が流れてるんだって」
男の子だけで遊んでいてもそれは聞こえるらしい、と、弓佳が笑いながら言うのに
「それってもしかして……あいつら?」
美矢も、悪戯っぽい笑いを浮かべながら、応える。
『もーう、いいよぉ』
幼い女の子のその声を、合図にして。
美矢と弓佳が初めて肌を重ねた夜、突然降りてきたふたり――太郎美矢と、弓姫。
五百年以上の時を経て、再び逢って……子孫の現身を借りて、結ばれて。
そしてそれきり、二度と現れることなく、どこかへ去って行った。
五百年前の真実と、互いの万感の想いを、末裔のふたりの内に残して。
「やっぱり美矢もそう思う?きっと、太郎君と弓ちゃんだよね?もしかして子どもの頃、ふたりでかくれんぼして遊んだのかな?」
「……ゆん、それ絶対他のやつに言うなよ?」
「言う訳ないじゃない。って言うか聞いても他の人には誰の事かさっぱり判らないでしょ」
と、美矢はふっと溜息をついて。
「あのなぁ。ここじゃ『太郎君と弓ちゃん』ってのは、まんま俺とおまえの事だろが?」
「……あ、そっか」
弓佳が目を丸くして、掌で口を押さえる。
「言われる前に気付けよ」
「やだ、本気で全然気付かなかった」
首を竦めながら。
「でも多分、あのふたりだよね。宮江に……帰って来たんだね」
ふたりで、一緒に。
感慨深げにそう呟いた弓佳に、美矢もうん、と頷いた。
「やっと帰って来られたんだな、ふたりで」
§
氏神様の御神木の上にある大きな穴から、ふたり並んで境内を見渡す。
『……まだやるのか』
幾分、うんざりしたような口調に
『まあ、わたくしは幾歳も幾歳も鬼のままでしたのよ?それに比べればまだまだ足りませぬ。今しばらくは鬼をやって頂かないと』
口を尖らせて、返す。
『私とてそなたを捜しておったのだぞ?黙って隠れておった訳ではない』
『嘘。わたくしが捜し回っているのを、まず見つかるまいと笑って見ておられたのではありませぬか?』
『またそのような童のような事を……そなた、少しは己が歳を自覚した方が良いぞ』
『現世での歳なぞもはやどうでもよい事』
確かに、その通りなのだが。
『……ほんにそなたは変わらぬの。ああ言えばすぐこう返す』
『……』
『如何した?』
『……お気に……障りましたか?』
今までとは一転しての、おずおずとした声に、笑い声が被る。
『今更何を申しておる。私はそなたのそのような所を愛しゅう思うておったのだ。童の頃からの』
『まあ、そのような……』
頬を染めて、絶句する。
『何やら……お口が上手うなられましたような』
『そうか?憑依した折にあやつの性が移ったかの』
あの者は私と違うて艶聞が絶えなんだらしいからのう……と、ふっと笑って。
『されど結局のところあの女子一途であったあたり、やはり我らが末裔だの』
『貴方様と同じような事を、申しておりましたものね』
『私と?』
『『おまえしか要らない』……と』
声が、優しい響きを纏う。
――そなたと添えぬならば、妻など要らぬ。
遠い昔の己が言葉を思い起こして……含羞を、表情に滲ませながら。
『……あの女子も、そなたによう似ておったの。勝気で、一途で』
話をほんの少しだけ、逸らす。
『元服式で舞った折から、ずっとあの者を護りたいと思っておったと……自らが選んだ運命だと』
『……』
『一途な者同士、この後……どんな運命でも、超えて行けるであろうよ』
ふたりで、共に。
ちいさく、ひとりごちるような最後のひとことに
『ええ、きっと』
微笑みと、力強い頷きが、返って来た。
『ここからの眺めも、随分と変わったの』
『……まことに』
家々が増えた中に、埋もれるように立っている、一の鳥居。
ふたりが並んでほぼ毎日のようにこの境内から眺めていた頃は、そのすぐ前が、海だった。
船着場に入って来る小早(小舟)から、戦勝の凱旋の先触れを叫び告げる声が、ともすればここまで届く程に海辺は近かった。
後の世の干拓事業や、近年の護岸工事によって、神社から港まではかなり距離が出来た。海岸線の形もすっかり変わっている。
少し視線を上げると、これだけは変わらぬ遠くの島々の稜線の間を、うっすらと一本の太い直線が結んでいるのが判る。
『よもや、海を橋で渡る事が出来るようになるとはのう』
『昔ならば、さながら虹の架け橋を渡るような夢物語としか思えませぬのに……まことの事なのですね』
感嘆の溜息が、どちらからともなく洩れる。
『だが、どれ程世が変わろうとも、宮江は変わらず、ここまで続いてきた』
『ええ』
視線を交わして、笑み合って。
『私でなくとも、あの者でなくとも、我等が宮江はまだまだ、続く』
『めでたき事にございまする』
と。
「かくれんぼしよ!」
「おっけ~!」
「じゃ、俺最初鬼な!」
数人の子ども達が、境内にわらわらと駈け込んできて。
中の一人が、御神木にもたれて、両手で顔を隠した。
『ほら来ました。では、太郎様が鬼ね!』
『やれやれ……於弓には敵わぬの』
「もーう、いーいかぁい!」
「まぁーだだよー!」
「もーう、いーいかぁい!」
「……」
§
「それ、俺が小学校の頃はちょっと話が違ってたんだよな」
「そうなの?」
「男が鬼だと女の声で、女だと男の声だったんだって。俺は聞いた事ないけど」
「ふぅん」
「母さんの頃はなかったの?」
「うーん、お母さん小学校の途中でここへ引っ越してきたから、氏神様でかくれんぼとかした覚えがないんだよね」
「そっかぁ」
「伯父さんや伯母さんなら何か知ってるかもよ。冬休みに来るから聞いてみたら?」
「え?来るの?伯父さんと伯母さん!佳矢姉も?」
「ええ。今度の貴方の元服式の打ち合わせに顔出すって。あと一年ちょっとしかないもんね」
「そっかぁ。じゃ元服式の事とか色々聞けるかな」
「そうね、前回の主役本人から細かい事を聞いておくといいかもね。伯父さんの元服式、物凄くカッコ良かったのよ」
「っしゃ!きっちり教えてもらおうっと!でも……佳矢姉には何か悪いよなぁ。今度中三だろ?受験直前の冬休みに俺のために巫女さんって……今度来たら先に謝っとくかな」
「あら、佳矢ちゃんなら大丈夫よ。頭いいし」
「でも、潔斎だっけ?巫女さんのは厳しいんだろ?元服式まで一週間、宮前の家に引きこもるって聞いたけど……大事な時期なのに、いいのかなあ」
「うんそれがね、受験勉強に集中出来そうだから却ってラッキーって喜んでるって」
「はあぁ?どんだけ前向きなんだよ佳矢姉!」
「去年あたりから巫女舞の練習も始めてるらしいけど、かなり踊れるようになったみたいよ。後一年あったら楽勝じゃない?」
「ええ!もう練習始めてたのかよ!ってかどこで教わるんだよ巫女舞って」
「伯母さんがみっちりお稽古つけてるわ」
「え?何で伯母さん?踊れるの?」
「あれ?知らなかった?伯父さんの元服式では伯母さんが巫女さんになったのよ?そのために何年も前からお稽古してたって」
「うっそ!マジ?」
「本当よ。すごくきれいで、舞も上手だったんだから。まるで神様が降りて来ているみたいだったって評判だったのよ」
「へええ」
「あのお母さんから教わるんだから、佳矢ちゃんもきっと上手く舞うわよ。楽しみね」
「そっか……それじゃ何?伯父さんと伯母さんってもしかしてその頃から、らぶらぶ?」
「やだもう何言ってるのこの子は!……ああ、でもあの頃は、ふたりともそういう雰囲気じゃなかったかな」
「そうなの?」
「うん、でも仲が良かったのは確かだわね、タロー君とゆんちゃんって。昔から唯の従兄妹って感じじゃなかったし」
「……母さん、だからそれやめてくれよ……自分の事言われてるみたいでさ」
「だってしょうがないじゃないの。同級生は昔から皆そう呼んでるんだから。今更美矢君とか呼べって言われてもムリムリ!誰よそれ?って感じだもの」
「そりゃそうだけどさぁ……」
「大体、母さんは貴方の事タローって呼ばないんだからいいじゃないの、美希」
ずっと昔から、今まで。
そして、これからも。
宮江はまだまだ、続く――。
=完=