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前編

                     §


 「これ第一弾!あとふたつかみっつあるけど」

段ボールの箱を抱えた美矢よしやが、部屋に入って来た。

「なぁに?あとふたつかみっつ位しかないの?」

弓佳ゆみかが意外そうに問う。

「服とかはおふくろが宅配便で直接向こうに送ってくれるって。後は大したものないから」

空いている場所に段ボールを下ろすと

「じゃ、次行ってくる!じいさん達が帰って来る前にメドつけておかないとな」

そう言って、再び美矢は出て行った。


 今夜、本家の祖父母に、ふたりの事を話すつもりでいる。

弓佳と一緒になるために、美矢は本家を継がない、総領にはならない、と。


 話の行方によっては、美矢も弓佳も本家に出入り禁止になる可能性がある。

だからその前に、本家に置いてあった美矢の荷物を取りあえず宮前みやまえの弓佳の実家に移しておこうという話になり……さっき祖父母が連れ立って外出したので、早速美矢は作業を開始した。

出禁どころか、祖父から勘当を言い渡される覚悟も、ふたりはしていた。

そうなったら、当分宮江へは帰れない。


 ……で、これそのまましまっておくつもりなのかしら。


 美矢が置いていった、蓋が半分開きかけている段ボールの中を覗いて、弓佳は呆れた。

まさかずっとこの状態でしまっておいたものなのだろうか、中身はぐっちゃぐちゃ。手あたり次第に無造作に詰めただけ、という様相だ。

もう少し丁寧に整理して入れたら、空間にかなり余裕が出来る。多分、次に来る荷物も似たようなものだろうから、全部そうやって詰め直したら段ボールひとつ位減らせるかもしれない。

半年後には、弟の彼女――弓佳や美矢の同級生でもある亜希が、この家に嫁いでくる。

新生活を始める弟と亜希の事を考えたら、自分達の余分な荷物は出来る限りコンパクトにまとめて納戸にしまっておいた方がいい。

そのつもりで弓佳も、実家に残しておいた自分の物を整理し、今の家に持って行くものと取りあえずここにしまっておくものを選り分ける作業をしていた。

整理整頓とテトリスが大好きな弓佳としては、今すぐにでも美矢の段ボールの中身を全部出して、隙間がない程にびっちりと詰め直したくて手がむずむずする……のだが、いくら結婚を約束した仲とは言え、ひとの物を本人の許可なく勝手に出して整理する訳にはいかない。

取りあえず荷物が出揃ってから美矢と一緒に片付けるか、と。

段ボールの蓋を閉めかけて、ふと、中にある封筒の束に弓佳の目が釘付けになった。


 今、自分が整理している友達からのたくさんの手紙の中にあるのと、同じ柄の封筒らしきものがいくつか見える。

そして束のいちばん上には、まだ記憶の奥底に残っている、深い緑色の無地の封筒があった。

……唯一、自分が預かって美矢に渡した封筒。だから、覚えている。


 「菜香なかちん、かぁ」


 そう、ひとりごちて。

その言葉の懐かしい響きを、弓佳は目を閉じて噛みしめた。


 目の前の、もらった友達毎に並べていた手紙の束の中の、沢山過ぎて積み切れずに山が崩れている所から一通手に取って、中の便箋を取り出す。

何枚も重ねて折りたたまれたそれを開くと

『Dear Yunchan.』

で始まる、懐かしい文字の羅列。


 どうでもいいような日常の、他愛もない事が延々と書き綴られた手紙。

自分が彼女に書いたものも同じ。……もう、彼女はそんなもの、とっくに処分したかもしれないけれど。


 順番にそれらを読んだ、最後に。

分厚い封筒ばかりの中でひとつだけ目立つ、薄い一枚を、開ける。



『ゆんちゃんへ


 ゆんちゃんはタロー君にとっては特別な子なんだよ。

 多分、誰もゆんちゃんの代わりにはなれないと思う。私も無理だった。

 彼女とかじゃなくても、タロー君を大事にしてあげてね。


                              Naka』



 中学二年の冬休みの終わり頃。

遅れて届く年賀状に紛れて舞い込んだ、親友からの最後の手紙。

あの頃、ここに書かれた内容の意味が全く理解出来なくて、返事を書けないまま。

二学期の終わりに転校して行った彼女との交流は、それきり途絶えた。


 今でも、思い返すと胸の奥がちりちりと痛む……切ない思い出。


 と、階段をどすどす上がって来る音がして。

弓佳は慌てて手紙を畳んで、封筒にしまった。

「第二弾、っと!」

目の前のものより幾分大き目の段ボールを両手で重そうに抱え込んだ美矢が戸口に現れる。

「何?おまえまさか友達の手紙読んでたの?俺がせっせと働いてる時に」

「え、あ……うん、ちょっとだけ、ね」


 アルバムとか手紙とか文集とか、そういうのを一々懐かしがって見始めるから、昔の物の片付けってなかなか進まないんだよな、と。

幾分呆れたように呟きながら荷物を置いた美矢は、弓佳が手にしている封筒の裏書きに何気なく目を留めた。

上村うえむらから?」

「え」

慌てたように弓佳が封筒をひっくり返した。

切手が貼られ、ここの住所と『宮江弓佳様』と大きめの字で書かれた表側が見える。

「……にしては、随分と薄い封筒だな」

微妙に気まずげな弓佳に、笑いに紛らせるように美矢は言った。

「おまえらあの頃、殆ど毎日分厚い手紙のやり取りしてただろ?毎日会うのによくそんなに書く事があるもんだって感心してたんだよな」

と。

「美矢のせいでしょが」

憮然とした面持ちで、弓佳がぼそりと言った。

「俺?」

「貴方が私から菜香ちん取ったから」

「はあ?」

意味が解らず、美矢は首を傾げた。

「毎日帰りにたくさん色んな話をするの、楽しみだったのに、菜香ちんが貴方と帰るようになったから話せなくなって。だから手紙のやり取りをするようになったのよ」

「へえ……そういう事、だったんだ」

初めて聞く、裏事情だった。


 小学校から中学校にかけて、誰とでもまんべんなく程々に親しく付き合っていた弓佳が、珍しい程に入れ込んでいた転校生。

頭が良くて、それまでほぼ弓佳との一騎打ち状態だったテストの順位争いに、鮮やかに乱入してきて俺達を負かした。

学校の勉強の範囲に留まらず博識で、どんな話にも手ごたえのある受け答えを返して来て。

……何時しかそんな彼女に、強く惹かれていた。

付き合ったのは、たったの三ヶ月そこそこ。

二学期が終わると同時に宮江から引っ越して行った彼女とは、その後、会うことはなかった。

話をしたのは、そのすぐ後の正月……元服式の後に彼女からもらった電話が、最後。


 「これね、菜香ちんからの最後の手紙」

弓佳が、手にしている封筒を軽くかざして、言った。

「もしかして、ガーデンズで飲んだ時に言ってたやつ?」

「うん」


 それは年の初めに、ホテルのトップラウンジで飲みながら、弓佳から聞いた話。

それまで黙っていたけれど、中二の三学期が始まる前に彼女から手紙をもらったのだ、と。

俺と弓佳の間には誰も入れないと思う。自分はもう出来ないけれど、俺の事を大切にしてくれ、と……そんな内容だったと。


 多分彼女は、元服式の電話の話を受けて、それを書いたんだろう。


 『ゆんちゃんってタロー君には特別なんじゃないの?』

『そうかもしれない』


 今でも思い出すと、恥ずかしくなるやり取り。

唯の従妹とは違う、でも彼女とも違う、それをうまく言い表す言葉が見つからなくて。

上村がさらっと口にした『特別』という言葉に、それだ、と飛びついてしまった。でも。

付き合っている彼女に、他の女の事を『特別』と言ってしまうなんて、馬鹿にも程がある。

……多分、あれで彼女は俺に愛想を尽かした。

そのすぐ後に書いた彼女への手紙に、返事は来なかった。

そして、そのまま俺達は、終わった。


 今振り返ってみれば、随分と子どもじみていたと思う。

大人の目で見ればままごとみたいな恋愛。だけどあの頃は、あの頃なりに本気だった。

それまで恋というものはわくわくする楽しいものだとだけ思っていた俺が、相手を想う事の切なさとか、苦しみとか、そういうものを初めて知ったのが、あの時だった。

それまで以上に本気で恋をした分……壊れた時の喪失感も、酷いものだった。

自分がこの手で壊してしまったようなものだから、尚更。


 あれ以来俺は、どこかで恋に本気になる事を恐れるようになった気がする。

心の奥底で無意識に、相手に変にのめり込み過ぎないように、いつも自分をセーブして。

そんな付き合いは、どれもこれも長続きするはずもなく。


 一体どこからそうなったのか。

弓佳から久々に上村の名前を聞かされるまで、すっかり忘れていた。

『中学の時の……菜香ちんの事、覚えてる?』

その一言だけで、記憶の奥底に沈んでいたあの頃の色々な事を、鮮やかに思い出した。


                     §


 「ゆんには……悪い事、したな」

「え?」


 美矢の言葉に、弓佳はきょとん、とした。

「おまえらあんなに仲良かったのに。ケータイ持つようになったら絶対メールやり取りする!って言ってただろ?でも、さ」

弓佳が手にしている、『最後の手紙』に視線をやって。

「……俺のせいでゆんまで上村と疎遠になっちまった、って」

美矢がちいさく呟いた言葉に、だが、弓佳は首を振った。

「ううん、美矢のせいじゃない。私が迂闊だったの、色々と」


 菜香ちんは、知ってた。

私が美矢の元服式で巫女として舞う事を、どれだけ楽しみにしていたか。


 母がうっかり口を滑らせて話してしまった、四年前から稽古に励んでいたという事を聞いただけで、菜香ちんは気が付いたんだ。

私がその頃から髪の毛を伸ばし始めた事、巫女として舞う時のために伸ばしたんだという事に。

たったそれだけの事にそこまでするなんて馬鹿だよね、と自嘲した私に、首を振って。


 『それって、それだけゆんちゃんにとっては特別な、大切なことだったから、でしょう?』


 誰もが気付かなかった事を、菜香ちんだけが解ってくれた、言葉にしてくれた。

その事がすごく嬉しくて、思わず強く、頷いていた。

……それが彼女の気持ちにどう響くかってことに、全く思い至らずに。


 『ゆんちゃんはタロー君にとっては特別な子なんだよ』

最後の手紙の、あの言葉。


 元服式の後に、菜香ちんが美矢にかけてきた電話で。

多分美矢は言ってしまったんだ。私の事、『特別』だって。

どうしてそういうやり取りになったのかは判らない。

それはもう、私から聞くつもりはない。多分、美矢から話す事もないと思う。でも。


 この間、親達に私達の事を打ち明けた時に、美矢が言っていた。

『特別な存在だって人に言う位、弓佳を大事に思っていたのに、自分をずっと誤魔化してた』

……あれで、確信した。言った相手は菜香ちんだと。


 それを聞いて、菜香ちんは悟ったんだろう。

あの頃の美矢も私も気付いていなかった事を。

美矢も私も、相手を特別な存在だと……お互いにそう思い合っていたっていう事を。


 薄い封筒。たった数行の、菜香ちんの最後の手紙。

結局これに返事を書く事は出来なかった。

あの頃、酷く落ち込んでいた美矢のフォローをする事で頭が一杯で。

……多分、どんな手紙を書いても、菜香ちんから返事が来る事はなかったんじゃないかと思う。

それでも。


 不意に。

背中を温かく、包み込まれた。

「……どうした?」


 何時の間にか背後に回っていた美矢に、抱きしめられて、優しく問われて。

弓佳は自分の頬に涙が流れている事に、気付いた。


 「これに、ね」

「うん?」

「返事、書けなかったの」

「……そっか」

「だからね、美矢のせいじゃないの。私の、自業自得なの」

「……」


 全部、今更だけれど。

すぐに返事を書くべきだった。

大切な親友だと思っていたのならば尚更。

今更思い出して泣けてくる位、失くしたくない友達だったのならば、尚更。


 時機を逃して。何の努力もせずに諦めてしまって。

多分何を書いても同じ結果だっただろうって、自分に言い訳して。

それで今更、泣くなんて。


 「……どうかしてるよね、私。今頃になって」

涙を笑いに紛らせての、呟きに

「それだけ好きだったんだろ、上村の事」

肩越しに返って来た、言葉。


 「美矢も、でしょ?」

「……そうだったな」



 何気なくそう返して。

美矢はしまった、と思った。

これじゃ、上村と電話で話したのと同じだ。

例え過去形でも……今カノに昔の女の事、好きだったなんてぬけぬけ言うなんて。


 弓佳は黙ったまま。背中を預けて、じっとしている。


 ……こいつはあの時の俺の気持ちを、知っている。

上村に振られて酷く落ち込んだ俺を見るに見かねてか、黙って一緒に帰ってくれた、毎日。

黙って、じゃなかったか。

隣でいつも騒いで、笑って、俺を散々やり込めて。

そして俺が他の子と付き合う事を決めた時、もういいよね、ってさらっと離れて行った。


 俺達は二重の従兄妹だから、絶対に結婚は出来ない。そう言われ続けて育った。

だから絶対に、恋愛の対象に相手を置く事は出来ない。

当たり前だ、そんな事有り得ない、絶対ないと笑い飛ばしていたうちは別に良かった、でも。


 俺にとって弓佳が『特別な女』だって、上村の言葉ではっきりと気付かされてから。

弓佳を恋愛対象外に置く事は、『当たり前の事』じゃなくて『努めてそうする事』になった。

最初は自分でも解っていなかった。

以前と違い、わざわざ自分にそう言い聞かせているという事に、自分でも気が付いていなかった。


 大学三年の春。

ゼミ絡みで見た宮江の総系図で、あいつらの事を知った。

悲劇の伝説のふたり。

同い年の従兄妹。相思の仲。でも決して一緒になれない総領と斎姫――太郎美矢と、弓姫。


 あれを見た時、初めて真っ向から考えてしまった。

俺と弓佳って一体、何なんだろう、と。

これは前世の因縁とか、運命の悪戯とかいうやつなのかと。


 考えた所で結局、結論は同じ。俺達は、どうにもならない。

だからもう、これ以上考えるまいと思った。

それまで以上に殊更に、他の女に目を向けるようにして、色んな相手と付き合って。

そうしているうちにいつか、本気になる事を恐れずに好きになれる女に、出会えるんじゃないかと……思って。


 けれど。

『特別な女』は、特別な事に変わりないまま、傍に居た。

俺が誰と付き合っても、別れても、変わらずそこに居た。

……どう努力した所で結局、目を逸らす事なんか出来なかった。


 そして今年の初め……弓佳の年来の真情を、聞かされた。

『斎姫にとっても、総領は特別なのよ』

『私は美矢を護りたかったの。ずっと』


 そう言われたらもう、認めるしかないじゃないか。

こいつが俺の、運命の相手だって。

例えそれが前世の因縁とやらだったとしても。


 いや。

前世の因縁だとしたら尚更。

一緒になれないという運命を、超えたいと思った……本気で。

――弓佳と、ふたりで。



 腕の中で、じっとしていた弓佳が、ほんの少し身じろぎした。

「ゆん?」

「あのね、美矢」

「ん?」

「菜香ちんが相手なら、私、口惜しくないよ」

「はあ?」

「他の人の事だったら、昔の事でもちょっと嫉妬するかも。でも、菜香ちんの事好きだったって言われたら、ああそうだろうなあって何か納得出来ちゃうんだ」

「……」

「だって私も、菜香ちん大好きだったから」


 ああ。

これは、さっきの俺の失言の、フォローだ。

『美矢も、でしょ?』

『…そうだったな』

言ってしまって、しまった、と俺が思った事に、気が付いたんだ……きっと。


 抱きしめる腕に、力を込めて。


 「俺は今、おまえだけが好きだから」

耳元でちいさく、囁く。

「……弓佳だけを、愛してるから」


 「……私も、愛してる……美矢」

呟くような返事に、腕を緩めて。

こちらを向きかけた弓佳の顎を、指先で軽く上げて。

唇を重ねようとした……その時。


 トントントン……と階段を上がる音がして。

ふたりは慌てて、離れた。


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