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空即是色

 独り寂しくデスクでランチしながら、ネットで東へと向かう列車の時刻表を確認していると、またもや黒い電話のベルがなる。まさしく不意をつくように、何の予兆も無く、ノーモーションで、アタシの肝っ玉をワシ掴むように響く。

 反射的な動きで受話器を取る。思考よりも速い速度で。

「はい、オニヅカ探偵事務所……」

 ともすると上ずってしまいそうになるのを、なんとか抑えながら平静を装うが、鼓動の高鳴りが頭蓋骨の中までガンガン響く。

「おう、アザミィ。おれおれ〜。ハナシあんだけど、会える? これから」

「え、あ、あの、おれおれじゃわかりませんよぅ。どどどっどちら様でしょうか」

「はぁ? なんだよ、おめぇ、俺だよ、俺! ミナミハルオでございます」

 わかってるわよ! そんな事。……わかってるけど、言わせたかった……

 何ヶ月ぶりかしら、敬愛する男の声。ああ、まるで鼓膜から犯されているみたい。脳味噌を掻き回されて腰に力が入らない。

 会えるかですって!? 当たり前じゃない! 万難を排して会いに行くわよ!

でもちょっと待って。髪を整えて、お化粧をする時間を頂戴。

「にっ、二時頃でもいいですか。ちょっと片付けなきゃいけない用があって……」

「オッケー。じゃ、ヒトヨンマルマル、いつもの場所な」


 …………


 大急ぎでチャリを漕ぎ、常楽町商店街にある美容室『くう』を目指す。

「いらっしゃいませ。……あ、お久しぶりじゃないですか。アザミさん」

 若きオーナースタイリスト、不知火流時=シラヌイリュウジが、如才ない笑顔で、爽やかにアタシをエスコートする。

 並の女ならば、大概はトキメキを感じるであろう不知火の甘い笑顔。

だが、その下に隠された獰猛で冷酷なまでのクラフトマンシップをアタシは知っている。

 ここ一番という時には、絶対の信頼を寄せる事の出来る、貴重な存在である。

 勿論、不知火は、滅多に顔を出さぬアタシの来店理由なぞ、分かりきった事を問うような野暮ではない。そこらへんも、評価に値するところだ。

「リュウジ、とにかくソソル女にして。1時50分迄に」

「かしこまりました」

 そう言って、シャンプーブースで待ち構えるアシスタント風間をアイコンタクトで制し、自らシャンプーに入る。

 ハルオさんの存在が無ければ、この男もアタシのターゲットに足るモノを持っている。

 事実この男のシャンプーはシビれる。日常に於いて、永遠に続いて欲しいと思える事柄って、実はそうそうあるもんじゃないけど、日常の、ほんの壁一枚の向こう側にこんな桃源郷があるなんて……、もしハルオさんが死んだらこの男にしよう。

などと、淫らな想いに耽るアタシに、素っ頓狂な問いを投げかける不知火。

「アザミさん、今日の出動は、ひょっとして、こないだの晴男サンの暴力沙汰ガラミですか?」

 暴力沙汰? 聞いてないけど……。多分ハルオさんからの呼び出しに関係大アリとみた。

「……まぁ、そんなトコよ。事後処理要員として駆り出されるてなカンジ……」

 適当に応えてもう少し情報を聞き出そう。……しかしながら、もしも、あのヒトが本気で暴れたらとても“暴力沙汰”ぐらいでは済まない。つまりは、その程度で収まったということなのだ。

「でも、ハルオさんがキレるなんて珍しいわよね、アンタ詳しいハナシ知ってる?」

「なんだか、那実ちゃんのバンドのデヴューの件でレコード会社とモメてたみたいスけど……ハルオさんから聞いてないですか……」

 そこ迄喋って、流石に己の軽口をマズいと思ったか、不知火の口調が重くなった。だが、そこ迄聞けばもう充分。

 なんたって今日のアタシはスペシャルに冴えているんだから。

「……ま、その件でこれから、東へと向かわなければならないのよ」

「なんか、スンマセン」

「なんでアンタが謝るわけ?」

「俺、その時、一緒にいたんですよ、『ディアマンテ』に。……もうちょっと早く空気読んでれば……」

 アンタごときに何が出来るっていうのよ。とは勿論口には出さない。

「輝世ママが居なければエラい事になってたってワケね」

「たまたま晴輝クンも居てくれて……」


 この世界に於いて、唯一アタシがリスペクトする同性。南輝世=ミナミテルヨ。

 女の細腕で、スナック『ディアマンテ』を切り盛りし、2男1女と亭主1匹をきっちり養っている肝っ玉母さんでありながら、女のアタシが身を隠してしまいたくなる程の麗人。

 いつであったか、カリスマ某なぞいう軽薄な呼称が流行した時期があったが、彼女に出会い、真の意味でのカリスマというものを目の当たりにした時には、礼賛とか、羨望とか、嫉妬とか、そういった俗な感情などは洗いざらい削ぎ取られてしまうものなのだ。という事を知った。唯々、己を恥じる謙虚で敬虔な気持ちしか無いという事を。

 ハルオさんの伴侶が彼女でなかったならば、いかなる手段を講じてでも略奪していたであろう。しかしながらアタシが彼女に勝っている要素は皆無。

 むしろあのロクデナシのヤドロクが、この尊き女性のストレスとなっているのが腹立たしく思える事さえ、たまにあるくらいだ。

 しかし、良くも悪くもアタシのトラウマは、この女性の亭主であるあのヒトでなければケア出来ないのよ。つまりアタシは、24時間365日、道徳と背徳のジレンマに苛まれているってわけ。それがまた心地良いときているのだからタチが悪い。

などと、メランコリックな事を考えているうちに、アタシの髪の毛と顔が、覚醒を見たかのように、色彩と艶を取り戻した。ホルモンの分泌も活性化したようだ。

 やはり不知火は一流の匠だ。

「お疲れ様でした。やっぱアザミさん、ポテンシャル高いッスね。惚れちゃいそうです」

「無理におだてなくても大丈夫よ。さっきアンタがペラった件、ハルオさんには黙っといてあげるから」

 ちょっとビミョーな褒め言葉だが、ちょっと照れ隠しに意地悪い返しをくれてやる。が、不知火は悪びれもせず、女の腰をとろけさすような笑顔で、サラっと言ってのける。

「ありがとうございます。つーか、おべっかじゃないですよ。本心です」

「心が籠ってないわよ。あんた、いつか誰かに刺されるんじゃないの?」

 アシスタント風間も、そうそう。と頷いている。

「そんときはアザミさんが俺の事守って下さいね」

 不知火の軽妙なリップサービスに後ろ髪ひかれることもなく、目下の最重要案件、あのヒトとのミーティングという名のデートに向かい、既に魂は疾走していた。





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