世界箱―第一幕ー
旅行業者は眠らない 西向といち
ノックの音がけたたましく鳴り響く。
どっかの交響曲第五番では『このように運命は扉を叩く』なんていうけれど、僕の場合はむしろ運命を左右する方だから、扉叩かれる筋合いはない。
なんてことを思っていても、まぁお客様は神様だ。
よって、僕は叩かれた扉を開けなければならない。
それが仕事というものらしい。
返事をして、扉に向かって、歩を進める。
床の棘が顔を出して、僕の靴を絡め取り、転倒しそうになること少々。
危ないなぁ。今度修理しなくては。
そんなことを考えながら、扉を開ける。
すると、暗闇しかないようなこの場所に、白が生まれた。
正直何度やっても、この景色は慣れなくて、目がしばらく点滅してしまう。
といっても、大事なお客様の前で、そんな態度でいるわけにもいかないので、僕はすぐさま目を擦って、懇切丁寧に礼をした。
「いらっしゃいませ」
よくもまぁ、こんなむさくるしい所にいらっしゃって。 なんてことは思ったけど、言いはしなかった。
僕の姿を見て、男は目を丸くした。正直こんな餓鬼が担当しているとは思っていなかったという顔だ。
僕は、営業用スマイルを絶やさずに、
「とりあえず、お座りください」
向かいの椅子を指差し、その椅子をひいて促した。
男は渋々という呈で、椅子に腰をおろす。
「あの、ここで合っているんですよね?」
男は不安そうに問うた。
また、その質問か。とは思うが、仕事は仕事。
僕は笑顔で答える。
「はい、ここが旅人専用出入国管理国です。
そして、私がその”旅行業者”を務めています。
単に“業者”と呼んで頂ければ幸いですよ?」
それぞれの国が大きな壁で分断され、『相互不可侵分国法』が施行されてから、約百年。
この法律により、人々が外国へ移住もしくは旅行をする場合は、『出入国管理国』という専門の区画国を介して、『出入国審査』を受けることになった。
いや、受けなければ外国に行けなくなった。
僕はその管理国唯一の住人。審査管。人呼んで“業者”だ。ネーミングセンスの悪さは否めないが、言いえて妙ではあると思うね。
目の前の男は、僕をしげしげと眺め、
「君みたいな子供が、審査を任されているのか?」
と尋ねる。まぁ、当然っちゃ当然。至極当たり前。こんな少年に己の人生の岐路を委ねるかと思ったら、僕なら遠慮するね。
「えぇ、これでも結構経験長いんですよ」
僕は、スマイルはそのままに、しかしきっぱりと、男の疑念を否定した。
「証拠が欲しいなら、証明証とか謎の能力的なものとか一杯お見せすることはできますが、出来れば早めに本題に移りたいんじゃないですか?僕もお客様も」
慇懃無礼とも思えるその口調に、男は皺を寄せた。
僕は、仮面のように貼り付けた笑顔を動かさない。ぴくりとも。
「…分かった、お願いしよう」
男は、渋々と、いや本当に渋々といった呈で、僕を促した。
僕はその言葉と共に、立ち上がった。
机の端に置いていたスタンドに光を点け、再び椅子に座る。
僕は鞄からファイルを取り出して、眼鏡をかけた。
机の真ん中に置いてある時計を見て、時間を確認する。
「十一時二十五分、これより第七十五期第七次出入国検査を開始致します」
僕は書類にぺたりと印鑑を押した。
「申請は一か月以上前に届いていますが、一応確認させていただきます。お名前は何ですか?」
「…ノーク・ダイノス」
男…いやノークは渋い顔を正して、神妙に答える。
「ダイノスさん。年齢と出身地をお答えいただけますか?」
「年齢は29。出身はアレス国第七都市“カイシデン”第十五居住区“エルレランド”」
はい、確かに。僕は頷いて、書類との照合をペンで指差しつつ確認する。
「生年月日は?」
「6月20日」
かたん、と音がした。いかん、ペン回し失敗だ。心の中で毒づき、ペンを取ろうと手を伸ばす。そこに突き刺さるノークの黒い視線。
僕は一瞬笑顔になってから、咳払いを一つかました。そして、何事も無かったかのように、質問を続ける。
「職業は何ですか?」
「地元で農家を務めていました」
「農家…珍しいですね」
科学技術にとって代わる新技術(所謂、魔術っていう奴だ)が百年近く前に生み出されてから、農業や畜産、漁業などの第一次産業は更に衰退の一途を辿った。
そんな必要が無くなったからだ。特殊な術を使うことで、生物たる生物の殆どと意思疎通を行えるようになったこの時代では、態々生き物を殺す為に育成する第一次産業は効率が悪くなった。
「親爺の高祖父の代から行っていることだから、その伝統を守ろうと思いまして」
ノークは少しだけ熱っぽく語る。それまで冷静に応対していた分、その仕事に対する思いが伝わってくるようだ。
ま、関係ないけれど。
「そうですか。良いことですね」
にこりとも笑わずに僕は応えた。眼鏡のつるに手を当て、向きを修正する。さてと。
「では、本題と行きましょう。
貴方は何故、この国を出たいのですか?
そして、何故異国へ向かいたいのですか?」
真っ直ぐとノークの目を見つめながら、僕は二つ指を立てた。
ノークの額に汗が浮かんだ。
緊張、困惑、思惑。まぁ、そういったものの結晶かな。
一つ一つ。言葉を確かめるように、口を動かす。
「…国を出たい理由はあまりないです…。強いて言うなら、土地が足りなくなった…から…でしょうか。異国に行きたい理由は…もっと新しい世界が見たいから…ですかね」
「成程成程」
書類に筆を走らせつつ、ノークの話を聞く。ペンで紙をぽんぽんと叩き、
「つまり…内容を纏めますと、国を出たい理由はあまり無いが、新しい世界を見る為に異国へ行きたい…と。そのような旨で構いませんね?」
「はい」
ノークの頷きと共に、僕は書類を閉じた。
「十一時三十五分。ノーク・ダイノスさん。書類審査は通過です」
その一言でノークの肩は面白いように垂れ下がった。
長く長く続いていた緊張が、不意に解けて、呆けているようなそんな表情を浮かべている。
僕はその顔を見ながら、
「一応断っておきますが、私どもでは行先の国を選ぶという行為を旅行者に行わせておりません。アトランダムに決まります。そして、その場所がいかなるところでも、変更は出来ません。今回は第七十五期ですので、五期後の第八十期になるまで、出国は一切できませんのでご了承ください」
しっかりと注釈を付け加える。
最早、出国者の間では常識となっていることだが、それでも、後で契約違いと言われるのは困る。
「分かっています」
ノークは頷く。
僕はその一言で安心した。よし、契約成立。
「まぁ、気を楽にして下さい。とりあえず準備が終わるまでもう少しかかりますので、お茶でも飲んでくつろいでいてくれると助かります」
今お茶入れますねと、前置きをして、僕は椅子を引き立ち上がった。
棚に置いてあった薬缶を取る。
うわっ、埃くさ。
随分前から使っていなかったようで、薬缶はすっかり白く化粧をしていた。もちろん、雪とかシュガーとかそういう類の意味ではない。
「紅茶でいいですかね?」
僕は問いながら、薬缶を水ですすいだ。
全く蛇口を捻らずとも、杖を一振りで水が扱えるようになるとは、便利な時代になったもんだな。
なんて年寄り臭いことを思いながら、僕は鼻歌混じりにお湯を沸かす。
「茶葉は何か指定がありますか?大抵の種類なら揃っていますが」
「あ…では、アップルティーで」
よりにもよって僕が一番苦手な種類を選んだ事に、悪い意味で運命的なものを感じた。
といっても、まぁ、お客様は神様ですので。
僕は心を殺して、棚からアップルティーの茶葉を取り出す。
うむ、この甘ったるい香りがたまらないね。嘔吐しそう。
茶葉をポットに入れ、お湯を注ぐ。
「じゃあ、十分くらいお待ちいただけますか?蒸らしますので」
僕はティーポットに蓋を被せながら、問うた。
いや、実質選択権は無いじゃないかと言う顔をノークはしたが、彼は一応首を縦に振る。
「じゃあ、後は待つだけなので」
椅子を引いて、どっかと腰を下ろす。
「しばらくお話でもしましょう」
★
「しばらくお話でもしましょう」
そう言った少年の顔は、まるで天使のように綺麗に笑っていた。
他に類を見ないような青い眼が、ノークを見据える。
まるで、人間ではないようだ。ふと、そんなことをノークは思う。
そんな天使の、いや悪魔とも取れる少年の笑顔から発せられた提案を、彼は大して戸惑わずに受け入れることにした。
退屈を持て余すのも難であった。
とりあえず、下手な事を言わずに大人しくしていよう。
そう決めて、ノークは口を開く。
「お話…と言っても、何を話すんですか?」
業者の少年は笑顔を崩さず、
「仕事のお話とか、興味ありますねぇ。というか、敬語は止めてください、敬語は。僕年下じゃあありませんか」
手をひらひらと振った。
「はぁ…」
ノークは曖昧に頷く。
まぁ、無理に今すぐ直せとは言いませんよ、と業者は前置きしつつ、
「お仕事は農家っていう事ですが、ぶっちゃけ時代遅れだとかひどいとか言われたことはないんですか?」
と単刀直入に問うた。あまりのストレートさにノークは苦笑する。
事実、ノークがこの仕事を選んだ時、周りからの圧力、疑問、不満は大いにあった。
今や生きとし生けるもの全てとの“意思疎通”が可能になった時代に、コミュニケートを拒んで、動植物を育たせ、
そして、最終的に弄り殺すという、方法自体が野蛮だ、という風に言われた。
「確かに、そういう意見はありますが」
「はい」
しかし。ノークは思う。
「面と向かって、動植物に対して、こっち側が食物連鎖ピラミッドの頂点に立つ為に“生贄”をよこせと要求する方が、よっぽど野蛮であり、残忍じゃないですか?」
柄にも無く熱くなっているな。ノークは思って、口調を少しだけ抑える。
「…と、私は思うんですよ」
「成程成程」
業者の少年は、ぱちぱちと両手を叩く。しかし、先程の貼り付けたような笑顔は無くなっていた。
「やっぱり現役農家の方は、動植物と意思疎通しないんですね。じゃあ、動物が勝手に逃げ出したりとか、こっちに襲いかかってきたりとか、そういうデメリットはあるんですよね」
「それは…」
図星。だ。が、
「しょうがないことですよ」
百年以上前の人間はそうやって暮らして来ていたのだろうから、その苦労をするのは、別に大しておかしな事じゃない。不平等だとか、効率が悪いだとか。
「それに、動物は大抵逃げ出しませんから。最近は知能が上がっているので」
動物も人間と接する中で、確実に知能を上げてきた。今や、特殊な術や装置を使わずとも、ある程度の会話なら理解しているだろう。
「と言ったって、0ではないでしょう。その場合はどうするんです?」
少年は、そう尋ねながら、良い匂いをさせ始めたポットに視線を向けた。
そろそろ、なのだろうか。と、伺いつつ、
ノークは先程の質問に応答する。
「そんなことが起きた場合は、とりあえず、その動物を隔離して、檻に入れます」
「そして、しばらく、規則を破る重さと檻の中の窮屈さを身を持って学ばせる…って事ですか?」
「えぇ、まあ」
少年はくすりと、静かに笑う。それは先程までの仮面のような笑顔ではなかった。
「本当に人間の教育みたいですね」
「私は、動植物と人間は一緒だと思っていますよ」
ノークは静かに、しかしはっきりと告げる。
「新しい考え…ですね」
少年は顎に手を当てて、興味深そうに頷く。
そんなことはない。ノークは思った。
人間は所詮生物の一端だ。偶然知能を持った為に、ピラミッドの上に立ったに過ぎない。
「ま、そういう考えもあるんでしょうが」
少年は話をさらりと流し、椅子を立った。
時計は十一時五十五分を指していた。先程からきっかり十五分だ。
洗い場へ顔を向け、こちらに背を向ける。
ポットにかけた布を取り、匂いを確かめているようだ。
「あ、カップの希望ありますか?」
特にありません、と返しつつ、ノークは先程からずっと疑問に思っていたことを問うことにした。
「あの…伺ってもいいですか?」
どうぞご自由に、と少年はこちらに背を向けたまま答える。
「業者さんは、何でここでこんな仕事をしているんですか?」
瞬間、少年のポットを持つ手が止まった。
が、直ぐに動き出す。
「まぁ、一身上の都合といいますか…、簡単に言うならば、僕は忘れ物みたいなもんなんですよ」
カップにこぽこぽと紅茶が注がれていく。
部屋に甘い匂いが充満して、少年とノークの間に流れていた複雑な空気を更に澱ませた。
そんな雰囲気に少しだけ躊躇いながらも、ノークは言葉を続ける。
「…どういうことですか」
「言葉通りです。傘とか財布とかみたいな物ですね」
これでこの話題は終わりだ、と言わんばかりに、
少年はカップをテーブルへ置いた。
「どうぞ」
少年の勧めを受け、ノークは素直にカップを持ち、紅茶を啜った。
林檎の甘い香りが口に広がる。
「お気に召しましたか?」
少年は問うてくる。多少顔に不安の色が浮かんでいる。
ここではお世辞の一つや二つを言うべきなのだろうが、ノークがそんな心配をする必要もなく、その紅茶は美味だった。
「えぇ、とても。美味しいですよ」
少年の顔がぱあと輝く。
「それは良かった!お代わりもありますので、もし良かったら言ってください」
それはどうも。
ノークはカップの紅茶をもう一度啜り、
「じゃあ、もう一個だけ質問していいですか?」
「どうぞどうぞ」
カップの淵のラインを指でなぞりつつ、少年は促した。
「…業者さんは、何で”業者”と言うのですか?」
いや、馬鹿な質問だとは思う。が、疑問に思ってしまったのだからしょうがない。
少年は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。
「あぁ…それですか」
少年は一息ついて、頭を抱える。
「いや、まぁ、旅行業者なんて普通は言いませんよね。というか、こっちも勝手にそんな風に言われて困ってる節があるんですよ。最近は開き直って、もう自分で名乗っていますが」
その反応から見るに、少年は本当に困っている様だった。
「やっぱり、そんな風に呼ばれるのは嫌なんですか?」
「センス高すぎて死にそうですよ…」
手を壁につきながら、落ち込み続ける少年。
ノークはそれを止めない。
センス…高いかなぁ。なんて疑問が脳裏に浮かびはしたけれど。
☆
旅行業者の話を振られるなんて思ってなかった。
いや、正直聞かれたくはなかったんだけどさ。
僕は心を静めて、椅子に再び座り直す。
甘い香りに多少嘔吐しそうになるが、それを堪えて、机に置いてある時計を見る。十二時五分。
ノークさんがこの部屋に訪れてから、約三十分。
今日は時間が経つのが早いな~。
やっぱり、お客様が来るって良いねぇ。
「あ、すいません。お茶のお代わりをお願いします」
ノークさんはカップを差し出して、頭を下げた。
「いいですよ」
こんなものでいいならば、いくらでも。
「本当に美味しいんですよ。そんなにへりくだらないで下さい」
ノークさんは苦笑した。そして、二杯目のアップルティーを早くも飲み干し、カップを机に置く。
「とても楽しい時間が過ごせました。有難うございます。
改まって、ノークさんは僕に感謝の意を伝える。
いや、それを言うのはこっちの方だ。
「いえ、こちらこそ。本当に偶に来るお客様だけが、僕の楽しみですので」
感謝のお返しすら、どこか冷かしてしまうのは、僕がそういう風に育ってしまったからなのだろう。少しだけ哀しくなった。
そんな僕の胸中など知ることも無く、ノークさんは笑って応じる。
「とんだ公私混同ですね」
「違いないですね」
僕とノークさんの目が合い、そして、僕らは同時に笑い出した。
笑い止んで。
僕は再び時計を見る。十二時十分。
「でも、そろそろ時間だと思うんですがね…」
「何が、ですか?」
僕の呟きを聞き逃さずにノークさんは反応した。
僕はその設問を無視し、腕を組んで、指で秒数を数え始める。
「いえいえ、お迎えがね、くるんですよ。多分、後…」
二秒くらいで。
その言葉を告げようとした。
つまり、それを告げることは無かった。必要が無かった。
何故なら、目の前で急にノークさんが姿勢を崩し、倒れたからだ。
ばたん、と、人体と木材(床)がノーガードで触れ合う音が響く。
いや、音が響くコンマ二秒前に受け止める。
あぁ、来たか。“おむかえ”が。
僕はノークさん…いや、出国希望者ノーク・ダイノスの身体を抱え、腕を触り、脈を確認する。動いている。一安心であった。
「お疲れ様です」
紅茶に混ぜた睡眠薬は、飲用後きっかり十五分で効く。効き目は折り紙つきだ。床に強打でもしない限り、起きはしない。
綺麗な寝息を立てて、ノークは瞼を閉じていた。
さて、どう運んだものかな。
そう言えば、説明していなかったけれども。
僕の役割は、こうして、出国希望者達の出入国審査を行い、
望み通り出国させることだ。
但し、移動の様子を見せない為に、睡眠薬か催眠魔法を使用し、出国者を眠らせること、
そして、彼らを特定の方法で、全員“同じ国”へと移送する事も条件に含まれている。
ノークの両手を、肩に背負って、僕は彼の身体を引きずる。
見た目十六の少年が見た目三十二のおっさんをおんぶして運んでいる。きっと、傍から見たら、新手の苛めだと思うのではないだろうか。
「っ重…」
もう少しダイエットしてくれよ、いやマジで。
なんてことを思いながら、ふらついた足取りで扉の方へ進む。
重心がしっかり取れていない。まるで酔っ払いが歩いている様だ、
そう心の中で毒づいていると。急に足元がふらついた。
そうだ。忘れていた。
床から飛び出た木の棘は僕の足を簡単に掬い、そして、
僕とノークは床に身体を強打した。
床に強打でもしない限り起きはしない、ということは、床に強打すると起きる。小学生でも分かることだ。
そして、その小学生理屈に反することなく、ノークは頭を振り、目を瞬かせ、意識を取り戻した。
「ん……わた…」
がつん。
次の言葉まで言わせる気は毛頭無かった。
僕は彼の頭を強烈に殴打する。手加減無し。
ノークの意識は再び攻撃され、吹き飛びかける。彼の口から細々と、かろうじてという大きさで言葉が紡がれる。
「…何で…こんなこ…と」
そんな世迷い言を言わないでくださいよ。
「これが仕事ですから」
ここで貴方を殴り、予定通りに連れて行く事で、僕は食い扶持を繋いでいるんですから。
呆気にとられているような表情でノークは僕を見ていた。先程の殴打と薬の影響で、目の焦点は定まっていない。
その姿を見て、僕はふと…、本当にふと、言葉を続けることにした。
「さっき打ち切った質問の続き、どうせ最後なんで答えてあげますよ」
僕が、ここに居る理由。ここで今こんなことをしている、理由。
「僕の両親は僕を連れて、外国に避難しようとここに来ました。ま、ちょいとした人種差別がありまして」
ちょいと悪魔の子だと蔑まれまして。
「それで、そこにいた業者の方は懇切丁寧に、今と全く同じような対応をしてくれましたよ。僕の両親は、使われた魔法に拒絶反応を起こしてしまって、死にました。今は改善されていますけれど、昔は人種によって魔法の耐性は違っていたみたいですね。あははは」
淡々と、淡々と。そう心がけて、僕は話を続ける。
「けれども、対人用の魔法は未成年に使用することが禁止されていましてね。僕は死なずに済んだのですよ。それ以来、僕はここで育ちました。先代の業者を親代わりにして。こっちの世界は時間軸が止まるようでして、お蔭様で僕は今年で八十五歳です」
一気にまくし立てた。いかん、熱くなりすぎたかな。
僕は、深呼吸をして、意識がそろそろ現世を離れる男の方へと向き直った。
「と言う訳です。ご理解頂けましたか?」
営業用スマイルはいつだって忘れないさ。僕の笑顔は2カラットくらいだから、いつだって安売り中。
しかし、彼からの反応は無い。
「……」
「おーい」
永い沈黙が続く。そろそろ意識がおさらばしたのだろうか?
だとしたら、話は早い。
僕は素早く、ノークの肩を背負って、再び歩き出した。
持っていたペンで扉を二回ほど叩く。
かちゃりと音がして、数秒後、扉は独りでに開いた。
相変わらずのオーバーテクノロジーっぷりだ。
開いた扉の向こうにあったのは、エレベーターだった。
このエレベーターに乗せられて、
旅行者たちは皆“同じ国”に運ばれる。
背中でがさごそと気配がした。僕は振り向かずに、後ろの男の鎖骨を圧迫する。
「う…」
「ご質問があるならば、今のうちにどうぞ。もう会う事もないので」
出血大サービスだ、何でも答えてやんよ。
「…わた……ど…こ…い…」
言葉にならない無声音も含めて、唇の動きを読み取る。
私は、どこへ行くのか。 そう読めた。
僕は微笑して、そして、目的地を告げる。
「檻の中です」
そこで彼の意識は途切れた。
エレベーターに、男の身体を押し込む。
久しぶりの運動で、息が荒くなった。怠けてんなぁ。僕。
あぁ、疲れた。
腕を伸ばし整理運動をしながら、僕は先程の応答を思い出す。
“檻の中”なんて洒落た答えだが、あながち外れでもない。
彼がこれから向かうのは、
出国希望者の為に作られた国。労働を主とする、小国。
つまりは、一昔前風に言うと、“刑務所”の国だ。
そこで、これからずっと、全国家の指導の下、労働する事になる。
“檻の中”と言えなくもないよね。
だから、僕は外へ逃げようと思ったことが一度もないのだ。
ここを出ても、行ける場所は、地獄だけだから。
政治の話を一つしよう。
『相互不可侵分国法』が生まれた理由は、互いの国の治安を守る為だ。当時、各々の国は、各々の国で、幸せに暮らしていたし、これからもそうであろうとしていた。
その為、自国から他国へと移動しようと思う者、つまり、何らかの理由で自国に不満があるか、他国に影響を及ぼそうと思う者は“危険分子”に他ならなかったのだ。
それを遂行する為に作られたのが、この仕事だった。
旅行業者とは言い得て妙な表現だ。
僕らは旅行者に“業”を下す者。
驕りたかった人間の生を、末代まで操り続ける愚者。
ある意味、本質を言い当てた表現とも言える。
だから、僕は“旅行業者”と名乗ることを止めない。
勿論、全ての旅行者が、“危険分子”であるという理由や保障はない。しかし、けれど。逆にそうならない保障も何処にもない。
可能性はイーヴン。ならば、芽は早めに摘むべきだ。
困難はなるべく、避けて通る。可能性だって、取り除いておく。
これまでずっと、人間が行ってきた、当たり前の方法だ。
エレベーターの安全を確かめる。よし、正常動作確認、と。
最終チェックを終え、僕は“檻の中”直通便エレベーターの外側へと抜け出た。すたこらせ。
最早反応は何一つ無いノークの顔を眺めながら、先程までの会話を何となく思い出す。客を見送る時はいつもこうだ。感傷癖なのだろうか。
ふと、外へ出ようとした家畜の話を思い出した。
「規則を破る重さと檻の中の窮屈さを、身を持って学ばせる…か」
そう、例えば、それらの家畜が外の世界を見たいという理由で外へ出ようとしていたとして、誰がそれを信じようとするだろうか?
どう思いますか、ノークさん?
寝顔に問うても、返答は無かった。だから、僕は一人で結論を出す。
「だったら…人間だって同じですよね?」
扉を閉める音だけが、部屋に響く。僕の言葉に答える者は誰もいない。
僕はボタンを押して、客人が旅立つのを静かに見送った。
了
【後書き】
処女作です。
一年前に書きました。
読まないで欲しいですが、 まあ、この後書きを読んでる時点で、後の祭りですよね。
ご拝読有難うございました。